2018年06月26日
映画解説(工芸部門)vol.6
着物は命を守るもの
映画『彩なす首里の織物—宮平初子—』
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大友 真希(染織文化研究家) |
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沖縄は染織の宝庫である。染織品としての素材、色彩、文様などの多様さがその第一の理由であるが、同じく沖縄は染織の「つくり手」の宝庫であることも間違いない。そのつくり手の一人が、一度は途絶えた首里の織物を蘇らせ、その技をいまに伝える染織家・宮平初子(1922−)である。本映画『彩なす首里の織物—宮平初子—』は、宮平による手縞(てじま)と花織(はなおり)の制作工程の記録であるとともに、宮平が着物へ込める「思い」についても克明に伝えている。
かつて琉球王国の都であった首里(現 那覇市)は、王国の消滅から約140年が経ったいまも、どことなく華やかさが漂う土地である。これまで幾度か首里城やその周辺を訪れたことがあるが、王族や士族が暮らしていた頃の悠久の時間が流れているような、そんな印象が残っている。
首里に生まれ育った宮平は、3、4歳の頃から祖父の御用に連れだって王族や士族の邸宅・御殿(ウドゥン)や殿内(トゥンチ)によく出入りしていた。邸宅では、家に伝わるさまざまな着物を見ることができたという。それらは身分の高い人びとの着物であり、織物の種類や染料についても家の大人たちが細かく聞かせてくれたという。この経験は、宮平の「首里の織物」の原体験であり、この頃に見聞きした数々の着物が、宮平にとっての「伝統」という基礎をつくったといえる。
琉球城下では、王族、士族、庶民といった身分や階級によって身につける装束に細かい決まりがあった。素材や色の違いとともに、身分が高い人ほど大きな柄を着て、階級が低くなるにつれて着物の柄は細かくなっていた。絣柄の大きさは「玉」という単位で表わされ、布の巾に「一玉」や「二玉」の着物は王家専用であり、「六玉」までは士族が着ることを許されていた。柄は大きくなるほどに人の目をひきつける。柄の大きさが階級を顕示する役割を担っていた。また、柄をまとうことは魔や穢れ(けがれ)から身を守ることにも通じている。柄のモチーフとなる身の周りの自然、植物、動物、生活の道具などがもつ霊力が着物に宿され、身につける人間の身を守るのだ。
「着物は命を守るもの」と宮平は言う。そして、「着物は自分のカラダと一緒」であるとも加える。着物を、身につける人物もしくはその人の身体と同一視する心性は古くからあり、「形見」はそのひとつの表れだといえる。亡くなった祖母や母の着物を形見に受け継いだとき、その着物を手にすれば、祖母や母を思い起こさずにはいられない。またいつしか、その着物自体が祖母、母の存在として感じることもあるだろう。
宮平は織りあがった布に対して手を合わせ拝む。この姿は、首里の伝統という霊力を織物に込めているように見える。沖縄では、布が仕上がることを「布が生まれる」というが、宮平が生んだ数々の織物は、着物となってそれをまとう人びとの命を守り続けている。
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花織を織る宮平初子
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≪絹紺地三玉手縞沖縄衣裳≫(全体) 2002年 ポーラ伝統文化振興財団蔵
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≪絹紺地三玉手縞沖縄衣裳≫(部分)
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完成した衣裳を前に「手縞織唄」を歌う 宮平と工房の女性たち
※今回掲載した写真は、ポーラ伝統文化振興財団による撮影
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※記録映画「彩なす首里の織物-宮平初子-」(1995年制作/34分)
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※今回をもちまして、大友真希先生による染織関係の映画解説は終了になります。
次回の投稿は7月25日、6月の伝統文化通信にもご寄稿いただいた、
中川智絵先生(紙の文化博物館学芸員)に、映画「細川紙の美を漉く-和紙の
こころ-」の見所を解説していただきます。
※大友先生(染織文化研究家)の映画解説バックナンバーはこちら
→映画解説(工芸部門)vol.5 白線のコスモス ― 糸目にみる秩序の美 映画『山田貢の友禅-凪-』
→映画解説(工芸部門)vol.4 紬織の風合いとはなにか 映画『紬に生きる-宗廣力三-』
→映画解説(工芸部門)vol.3 絹帯をめぐる音の風景 映画『筬打ちに生きる-小川善三郎・献上博多織』
→映画解説(工芸部門)vol.2 「流れの美」を描いた染色家 映画『芹沢銈介の美の世界』
→映画解説(工芸部門)vol.1 わざと心を受け継ぐ織物 映画『芭蕉布を織る女たち』
※中川智絵先生(紙の文化博物館学芸員)の伝統文化通信はこちら
→【伝統文化通信Vol.13 「越前和紙の里の神まつり」 紙の文化博物館 中川智絵先生】