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2018年05月02日

映画解説(工芸部門)vol.4

紬織の風合いとはなにか

『紬に生きる-宗廣力三-』

  大友 真希(染織文化研究家)
①

 

映画『紬に生きる-宗廣力三-』では、「紬縞織・絣織」(つむぎしまおり・かすりおり)の人間国宝・宗廣力三(むねひろりきぞう・1914-1989)が終生にわたり紬に込めた、厳しくも温かい“心”が描かれている。全編を通じて「風合い」という言葉が幾度も語られるが、この「風合い」を手がかりに宗廣の言葉や作品を見ていくと、宗廣が求めた紬織とは一体何だったのかがわかるのではないか。

 

宗廣作品は、意匠のほとんどが縞・格子柄と幾何学柄で構成されている。縞・格子は紬織の基本であるが、そこに経緯絣(たてよこがすり)で丸文、菱文、立涌文(たてわくもん)、竹文などの文様を組み合わせて緻密な意匠を創り出している。文様の多くは自身が考案した染色方法“どぼんこ染”で染められたもので、文様の色・形に濃淡の“ぼかし”が入ることで、多層的な奥行を感じさせる。

 

ところで、紬といえば結城(茨城県)や信州(長野県)などが産地として広く知られるが、昭和初期まで全国各地——養蚕の盛んな地域では、農家の女性たちが家族や自分の普段着用につくっていた織物であった。蚕の飼育と繭の生産に際し、絹(生糸)として売り物にならない屑繭から真綿(まわた)をつくり、それを指で紡ぎ糸にして着物を織った。古くから、絹­の「美しい光沢」と「ひんやりとして滑らかな肌触り」は支配階級の特権であったが、「つつましい艶」と「温かみのある肌触り」という、別の絹の風合いを庶民は知っていたのである。

 

宗廣は、庶民が感じていた紬の風合いを自身の作品に求めていたのではないか。長年思いを馳せていたエリ蚕紬(えりさんつむぎ)に取り組む場面では、「紬は毛羽が出やすい。二、三年してくると渋くなる。エリ蚕の織りあがったものが既に二、三年した紬の良さを出している」と語る。つまり、紬は、数年経った(身につけた)後の方が本来の「美しさ」や「温かみ」が出ると考えていたのだろう。

 

宗廣の故郷・岐阜県郡上八幡(ぐじょうはちまん)でも、かつて農村の衣生活を支える織物として紬が織られていた。それは、山々の草木を染料に糸を染め、地機(じばた)で織った無地か単純な縞柄であり、「現代の私たち」が見れば「ざっくりとした素朴な風合い」だと感じるに違いない。

 

宗廣が郡上で紬を始めたころ、土地の老女が「色は冴えて、堅牢で、やわらかくて、こし強く、深みがありて、あたたかく」と紬を表現したという。近頃、宗廣作品《茜染エリ蚕紬やたら絣着物》を間近で見させていただいたが、制作から三十年を経たいまも、茜で染めた深紅色は「冴えて」いた。エリ蚕紬の「こしのある柔らかさ」と「温かみ」にも触れた。目の前の紬は、郡上の人びとが身につけていたかつての紬とは違う。しかし、まさしく、郡上の老女が宗廣に語った「紬の風合い」が、そこにあるのをはっきりと感じたのである。

図案を描く宗廣力三 1988年

②

《丸に華文茜どぼんこ染吉野格子絣着物》(全体)
1988年 ポーラ伝統文化振興財団蔵

③

《丸に華文茜どぼんこ染吉野格子絣着物》(部分)

④1

《茜染エリ蚕紬やたら絣着物》
1988年 ポーラ伝統文化振興財団蔵

※今回掲載した写真は、ポーラ伝統文化振興財団による撮影


0168_001記録映画「紬に生きる-宗廣力三-」(1988年制作/32分)
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※次回は5月25日、「山田貢の友禅-凪-」をご紹介します。


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