2019年12月10日
映画解説 vol.3
映画『狂言・野村万蔵-技とこころ-』
和楽の世界に遊ぶ
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三浦 裕子 (武蔵野大学文学部教授、 同大学能楽資料センター長)
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タイトルにある野村万蔵(7世)は和泉流狂言師(現在は萬(まん)。ここでは万蔵とする)。先日、文化勲章を受章されたばかり。狂言師の受章としては二人目、大蔵流の4世茂山千作(2007年)に次いでの快挙である。その千作と万蔵が狂言〈磁石〉を異流共演の形で演じるところから本映画が始まる。贅沢な作りが予感される冒頭である。
次いで狂言〈蚊相撲(かずもう)〉〈隠狸(かくしだぬき)〉〈茸(くさびら)〉が演じられる。〈蚊相撲〉は和泉・大蔵の両流が所演する狂言だが、結末が異なる。蚊の精と相撲を取り大名が勝つのが大蔵流、負けるのが和泉流である。家来の太郎冠者(野村万之丞。2004年没。死後のおくり名、8世万蔵)に八つ当たりをして蚊の精の真似をする大名(万蔵)の悔しそうなこと。和泉流だけに見られる楽しい結末である。
〈隠狸〉は和泉流のみの所演曲である。主人に内緒で狸を釣ってきた太郎冠者(万蔵)が、「狸も狸。大狸」と売り声とともに市場に急ぐのであるが、背中に負った狸のぬいぐるみが愛くるしい。
〈茸〉は和泉・大蔵の両流で演じられるが、鬼茸が出てくるのは和泉流だけ。祈れば祈るほど茸が増えて困惑する山伏(万蔵)の表情をカメラがよく捉えている。
最後に儀式の能楽〈翁〉で狂言方がつとめる三番叟(さんばそう)を、横道萬里雄原案・万蔵演出「式一番之伝」として万蔵が舞う。通常は紺色の直垂を着るが、この演出では白い狩衣・大口を着け清浄無垢な世界が広がる。
先日、万蔵が狂言の魅力を「健康的な明るさ、素朴で単純なものの強さ」(『日本経済新聞』2019年10月29日夕刊)と語っていた。これは万蔵の芸そのものでもあろう。声も身体も、核には鍛え上げられた硬質なものがあり、その周りを包む柔らかなものが明るく光り輝いている、そのような芸である。それが作用しているからだろうか、本映画には一貫して穏やかな時間が流れている。万蔵が、和楽の世界に遊んでいるごとくに見える。
本映画では、狂言の実写の合間に、狂言の演劇性、野村万蔵家、万蔵の芸歴、狂言面・狂言装束などについて、写真や絵画をふんだんに用いて紹介している。また、孫の太一郎や弟子に稽古を付ける場面もある。万蔵の発言も丁寧に取り上げており、世阿弥の言葉を芸の指針にしていることがよく伝わってくる。監修者のひとり、田口和夫は狂言研究家であり万蔵の弟子でもある。師匠のことをよく理解している研究者が、万蔵と狂言と両方のバランスを熟慮して構成を練り上げたのであろう。
(文中、敬称略)
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狂言〈磁石〉(シテ・すっぱ:茂山千作、アド・見付の者:野村万蔵) |
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狂言〈隠狸(かくしだぬき)〉 |
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※記録映画「狂言・野村万蔵-技とこころ-」(1999年制作/50分)
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※次回は「文楽に生きる 吉田玉男」をご紹介します。
※執筆者 三浦裕子先生(武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長)
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