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2019年10月10日

映画解説 vol.1

映画『狂言師・三宅藤九郎』

緻密な構成が語る狂言の神髄

 

三浦 裕子 (武蔵野大学文学部教授、
同大学能楽資料センター長)

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三宅藤九郎(1901~1990)は和泉流の狂言師である。五世野村万造(初世萬斎)の次男で、兄の六世野村万蔵に続いて重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)となった。本映画は藤九郎の芸と人となりを通して、狂言の本質を見せようとする意欲的なものである。

そもそも狂言とは何か。これを語るときに必ず能にも言及することになる。というのも狂言と能はともに猿楽(さるがく)という祖先を持つ演劇で、室町時代に芸術的な基礎を築き、交互に演じられる原則だからである。能が歌舞劇(かぶげき/ミュージカル)・仮面劇であるとすれば、狂言は様式的なセリフに基づく喜劇と言える。

映画冒頭、国立能楽堂の能舞台を映し出す静止画をバックに、主人が太郎冠者(たろうかじゃ)に遊びに出かける相談をするセリフが流れてくる(ちなみに狂言も能も能舞台で演じられる)。これは狂言〈舟ふな(ふねふな)〉であろう。家来の立場である太郎冠者は狂言の現行曲(げんこうきょく/現在のレパートリー)263曲中、約100曲に登場するヒーローである。この場面は太郎冠者それ自体を紹介しつつ、「狂言の世界に遊びに行こう」というメッセ―ジにもなっている。

この後、藤九郎と安藤常次郎が対談する場面となる。安藤は藤九郎の芸を知り抜いた同世代の狂言研究家である。

続いて〈木六駄(きろくだ)〉の舞台場面となり、大雪のなか12頭の牛(実際には登場しない)を追って峠道を行く太郎冠者が登場する。藤九郎は写実的な演技に定評があったが、ここでは柔らかみも感じられた(後で、藤九郎が自身の狂言を「能と芝居との丁度真ん中、いうなれば崖っぷちギリギリの道を歩むもの」と言っているのが示唆的)。やがて峠の茶屋での小舞(こまい/小品の狂言舞曲)「鶉舞(うずらまい)」になる。この小舞は「鶉舞を見まいな」と語りかける謡(うたい)に応えて、鶉を捕らえようとする様子を謡い舞う楽しいものである。じつは本曲に「鶉舞」を導入したのは藤九郎で、このように狂言の演出を練り上げることにも尽力したのである。

「猿に始まり狐に終わる」という狂言の修業過程を表す言葉から〈靱猿(うつぼさる)〉と、自宅の稽古舞台での〈腰祈(こしいのり)〉の稽古風景が映し出される。それから、能・狂言のルーツを探る目的で、山形県鶴岡市に民俗芸能として伝承されている黒川能(くろかわのう)の映像となる。

最後の狂言は〈川上〉。目の不自由な男が川上地蔵に願を掛け開目(かいもく)するが、悪縁である妻と離別するのが条件であった。別れぬと言い張る妻に従うことにした夫は再び失明してしまう。六世万蔵と藤九郎で完成させたという定評のある名曲で、これによって藤九郎は笑い以外の要素も狂言にあることを言いたかったのであろう。

世阿弥の芸術論の引用など吉田喜重監督の知的興味に基づく脚本や一柳慧による斬新な音楽など、本映画は緻密な構成を見せる。その価値に付け加えるとすれば、昭和の名人と称される善竹弥五郎・三世茂山千作・六世万蔵・三世山本東次郎が皆〈木六駄〉の映像を残しており、本映画では藤九郎の〈木六駄〉が収録された。この点に映画の記録性の意義が示されていよう。

(文中、敬称略)

本映画は1984年、藤九郎83歳の時に撮影された。写真は〈木六駄〉で藤九郎の演じる太郎冠者が大雪のなか12頭の牛を峠道に追うところ。

 

 

 

 

 

 


  1691_001記録映画「狂言師・三宅藤九郎」(1984年制作/32分)
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 ※次回は11月11日、「世阿弥の能」をご紹介します。

 ※執筆者 三浦裕子先生(武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長)
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