文字サイズ

  • 大
  • 中
  • 小

ここからコンテンツ情報

お知らせ

2021年02月25日

ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎えた「伝統文化ポーラ賞」。この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。

第20回 伝統文化ポーラ賞 地域賞

鳥羽鐐一「金剛石目塗の伝承」

世川祐多(パリ大学博士)

 静岡は少なくとも室町時代から漆器の生産地で、今川の時代には中川大工と呼ばれる工人たちが漆器を生産していた。江戸時代に入ると、駿河遠江(とおとうみ)で勢力を拡大した徳川家康のお膝元で、彼を祀る久能山東照宮なども作られたことから、腕の確かな職人が日本中から集まる土地となり、漆塗りも栄えた。とりわけ、総漆塗りの浅間神社の造営により漆職人が大量に移住してきたことで、静岡は日本の漆の中心地となり、開国後はパリ万博にも出品された。

ショールーム01

鳥羽漆芸ショールーム

   ここに新風を吹き込んだのが、大正時代に下地に砂を撒く金剛石目塗(こんごういしめぬり)を考案した鳥羽清一氏である。安倍川で採取される砂の下地の上に何層もの漆を重ねる金剛石目塗は、日本で唯一漆器の下地に砂を用いる技法で作られた、堅牢で艶やか、熱や水にも耐性がある用の美そのものの漆器である。鳥羽氏は、漆下駄にめり込んだ砂を見て、漆の下地に砂を用いる着想を得たそうだ。

ショールーム02

漆をまとった美しいワイングラス

 鐐一氏は鳥羽氏のご子息であり、金剛石目塗という画期的な発明の継承者である。作風は、重厚、堅牢に気品が兼ね備えられており、武士の甲冑のような気配を帯びている。この腕に魅せられた若者たちが各地から集まり、弟子として鐐一氏の技巧を積極的に学んでいる。そして今では息子の俊行氏が、3代目として現代の食文化やライフスタイルに適した金剛石目塗を作り続けている。

鳥羽俊行氏 直希氏

鳥羽鐐一氏の長男 俊行氏(左)と孫 直希氏(右)の作業風景

鳥羽漆芸(公式HP)
http://toba-japan.com/index.html

 

 

 

 


ここからサブコンテンツメニュー


  • ページトップへ戻る