2020年04月24日
映画解説 vol.23
映画『人形作家 秋山信子 ─心やすらぐ人形を』─
「繊細の精神」
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中畑 邦夫 (博士 哲学)
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作品「豊穣」の原型
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今回の映画は、沖縄民謡の調べとともに始まる。人形作家・秋山信子氏の作品は、沖縄の、アイヌの、そして韓国の伝統文化や人々をテーマとしたものが多い。さらにその多くが、女性、少年少女、子どもをモデルとしている。このような人々は、「言葉を奪われた人々」であると、秋山氏は語る。秋山氏は、そのような「言葉なき人々」「声なき人々」の内的な「美しさ」を自身の作品で表現しているのである。そのような人々の美しさを感じ取る秋山氏自身の感性は「繊細」そのものである。 西洋では伝統的に「男性中心主義」といった人間観が支配的であった。この人間観においては、「人間」とは成人男性であり、女性や子どもはいわば「不完全な人間」にすぎないとされてきた。そしてその傾向は、いわゆる近代に入り科学技術が発展してゆく時代になるとさらに強まっていった。そこで「人間」とは「健全で理性的な成年男子」を意味した。人間は理性の力(数学的・科学的な思考力)によって自然を知り、戦い、さらには支配する、力強い存在とされたのであった。17世紀の哲学者パスカル(Blaise Pascal、1623年~1662年)は、そのような傾向に警鐘を鳴らした。自身が数学研究者でもあったパスカルによれば、たしかに数学的な思考力(パスカルはこれを「幾何学の精神」と呼んだ)は人間にそなわる優れた能力ではある、しかし世界には数学的な思考ではとらえられない事柄があるのであって、そのような事柄に気づくためには幾何学の精神とはまったく違った「繊細の精神」が必要なのである。パスカルの説くこのような繊細の精神とは具体的にはどのようなものなのか。私にはその答えが、秋山氏の感性のあり方に現われているように想われる。 秋山氏のこのような感性は、そもそもの素養に加えて、敗戦を機に従来の男性中心主義的な価値観が大きく揺らぐ中、やはり従来は担い手の多数派が男性であったであろう伝統工芸の世界において、日本画家・生田華朝女(いくた かちょうじょ)氏、人形作家の堀柳女(ほり りゅうじょ)氏および大林蘇乃(おおばやし その)氏といった女性たちに師事するなかで育まれていったのではないだろうか。とくに大林氏については、氏がかつて、この騒音が溢れかえる世の中で大きな音・大きな声を張り上げて競い合う中から生まれてくるような作品ではなく、小さな音を聴き取る感性から生まれるような人形を作りたいと語っていたと、秋山氏は回想する。大きな声の「力」や競い合いつまり「戦い」といった男性的な価値観とはまったく異質な大林氏のこのような想いは、秋山氏の感性にしっかりと受け継がれている。秋山氏は、モデルとなる人々の内面の美しさを表現する人形を作り続ける。そして、そのようにして作られた人形からは、秋山氏自身の内面の美しさ、繊細な感性がしっかりと感じられるのであり、それこそがまさに、パスカルが言うところの「繊細の精神」なのではないだろうか。
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木彫の骨組に桐塑で肉づけされる |
「命」が入り完成に近づく |
秋山氏の二人の師 |
沖縄の人々・文化に親しむ秋山氏 |
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※人形作家 秋山信子 ─心やすらぐ人形を─」(2001年制作/39分)
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