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2020年02月21日



映画解説 vol.21

映画『木の生命よみがえる-川北良造の木工芸-』

たんなる「材料」ではなく「目的」としての「木」

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

01
木の「狂い」を測る川北良造氏

 「木に対する畏敬(いけい)の念」。挽物(ひきもの)の技術ではじめて重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に認められた川北良造氏は、今回の映画の中でそのように語る。挽物とは材料である木を轆轤(ろくろ)で回転させながら作品を削り出す技術である。だから必然的に、木材のほとんどは木の屑になってしまう。川北氏は木のほとんどをこのように「無駄」にしてしまうことを木工芸師という仕事の「宿命」であるとしながらも、木に対して常に「申し訳ない」という気持ちを抱いていると言う。だからこそ完成した作品は最高のものであって欲しいし、丈夫で長持ちして欲しいと、川北氏は願う。たんなる材料として木に向き合っているのではなく、ひとつの「生命(いのち)あるもの」として向き合っているのである。これはたんなる喩(たと)えではなく、実際に、制作過程においても木は生きているのである。

 「荒挽き」という初期の工程が終わり、木から美しい木目が現われ、また、作品のおおよそのかたちが決まると、およそ2か月から6か月の間という長い時間をかけて、作品は自然乾燥される。その過程において、木は収縮してしまい、作り手が意図していた大きさが「狂う」のである。このように、伐られた後、水分を失ってもなお、木は動こうとする、つまり、生きているのである。それが木というものの本質なのであり、木工芸作家の仕事とは木のそのような本質との「戦い」であると、川北氏は言う。しかし「戦い」といっても、木工芸師は木の大きさを無理やり決めようとすることはない。むしろ乾燥の過程で、大きさに狂いが出る場合には十分に狂わせる。つまり、いわば木の生命力が尊重されるのである。木工芸作家の仕事の「目的」とは、自分の意図に合わせて木のかたちを変えることではなく、木のもつ可能性が実現するのを手助けすることである、そのようにも言えるであろう。

 「君自身や他のすべての人たちの人格における人間性を、単に手段としてのみ扱うことなく、常に同時に目的としても扱うように、行為せよ」、人と人との道徳的な「かかわり方」について、ドイツの哲学者カント(1724~1804年)はこのように述べた。簡単に言えば、他の人を自分のために「使う」ことを考えるのではなく、他の人のために「何ができるか」を考えて行為することこそ、人と人との人間らしいかかわり方であるということである。木をたんなる材料としてとらえるのではない、川北氏の木へのそのようなかかわり方には、人と人とのかかわり方について考えるためのヒントが、隠されている。

02
黒柿造食籠
03
欅造波文筋大鉢
04
欅造盛器
 
 

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「木の生命よみがえる-川北良造の木工芸-」(1997年制作/34分)
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