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2020年01月27日



映画解説 vol.20

映画『磯井正美のわざ-蒟醤の美-』

無限の「融合」

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

01
「蒟醤月あかり食篭(じきろう)」

 今回の映画の見どころは、漆芸の技法「蒟醤(きんま)」の、我が国における第一人者である磯井正美氏が作品「蒟醤存清パガン紀行合子(きんまぞんせいぱがんきこうごうし)」を完成させてゆく過程である。磯井氏は蒟醤の「ふるさと」であるミャンマーの古都パガンを訪れて漆塗りの原点と出会い、新たな創作への想いを抱く。この作品は、磯井氏独自の感性とパガンの歴史とが「融合」し、かたちとなったものである。

 融合、とはどういうことか。

 たとえば哲学の世界には、文章(テクスト)の「正しい読み方」などない、と考える立場がある。人は自分自身のあり方に影響されずに文章を読むことなどできない。人は他の誰でもない「その人自身」として文章と向き合うのである。だから同じひとつの文章であっても、読む人の数だけ読み方、つまり「解釈」があるのだ。解釈が生まれることを哲学の世界では「地平融合」と呼ぶ。文章と読み手とを異なる二つの「地平」にたとえて、解釈とは二つの地平が融合することだ、というのである。これは文章を読む場合のみに限られない。この世界はいわば一冊の書物なのであり、この世界に存在するありとあらゆるものが、そして、この世界そのものが、「文章=テクスト」として私たち一人ひとりの解釈を待っているのである。

 パガンの歴史と磯井氏のあいだにも地平融合が起きた。パガンの全体的な印象として「暗さ」を感じると同時に、その空気や景色から「明るさ」を感じる。さらに廃墟となったパゴダ(寺院)が群立するさまから「時間が止まった」かのような印象を受ける。磯井氏がパガンで抱いたさまざまな印象はたがいに相反するものであり、矛盾したものでさえある。しかしそれは、磯井氏の感性が豊かであるがゆえにこそ、相反し矛盾するほど多様な印象を抱くことができた、ということでもある。磯井氏は、氏の中に受け継がれている我が国固有の花鳥風月という美意識、少年時代に見た蝶が舞う風景、そして蒟醤の技術の継承者という立場、つまり、他の誰でもない磯井氏「その人自身」として、パガンで出会った人、モノ、景色、そして蒟醤の技に向き合ったのである。絶妙な色使いで表現されたパガンの暗さと明るさ、立ち並ぶパコダ、そしてその上を華麗に舞う蝶……「蒟醤存清パガン紀行合子」には、磯井氏の「解釈」が見事に表現されている。

 蒟醤の原則は「彫って色を埋める」というシンプルなものである。しかし、シンプルだからこそ蒟醤には無限の可能性が開かれていると、磯井氏は言う。それは、完成された作品にもいえることであり、磯井氏の作品自体もまた、観る者との間に無限の「地平」を拓いてゆく可能性をもっている。磯井氏の作品をご覧になった時、皆さんの中にどのような新しい地平が拓かれるであろうか。

02
「蒟醤むらさき箱」
03
蒟醤の技によって表現された華麗な蝶の姿
04
立ち並ぶ廃墟と化したパゴダ(寺院)
05
「蒟醤存清パガン紀行合子」
 

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「磯井正美のわざ-蒟醤の美-」(1992年制作/40分)
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