2019年04月10日
映画解説 vol.17
まだ会ったことのない音を、探してみる 映画『飛騨古川祭―起し太鼓が響く夜―』
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川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)
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太鼓が画面いっぱいに映し出される映画の冒頭。まるで「祭りの音」こそが主人公であると宣言しているかのようである。今回紹介する映画『飛騨古川祭―起し太鼓が響く夜―』は、岐阜県飛騨市古川町・気多若宮神社(けたわかみやじんじゃ)の例大祭「古川祭」を、「起し太鼓」(おこしだいこ)という神事を中心に描き出した作品である。この神社、古川を「聖地」とするアニメ映画の舞台の一つともなっている。『君の名は』(2016)の秋祭りの場面では、他県で実際に伝承されている祭囃子が使用されており、ある人にとっては郷愁を、あるいは旅情をかきたてる一幅の絵巻のように響くかもしれない。だが「祭りの音」といっても、屋外の祭りの喧騒が、自室で静かに映画を観るあなたの耳に届いたならば、日常生活のリズムをかき乱す「雑音」と化すかもしれない。祭りの音、君は誰?
本作前半では、酒職人、和蝋燭職人、そして提灯職人といった、アルチザンたちの音が響き渡る。昔日の職人が手掛ける提灯を介して祭礼の世界に入っていく本作は、生活の音と祭りの音がシームレスであったことを言外に物語る。3月、古川祭を象徴する「起し太鼓」の奏者、「太鼓打ち」が決められる。起し太鼓では、櫓(やぐら)に乗せられた巨大な太鼓が登場し、太鼓打ち2人はそこに跨り、地上約3メートルの高所から木刀のような撥(ばち)を交互に振り下ろす。ここでは、柳の枝から撥を作り出す、太鼓打ちたちの受け継いできた手仕事を垣間見ることができる。そして4月の祭礼前日。たった一度きりという起し太鼓の稽古からは、集中力が画面を通してもひしひしと伝わってくる。
ついに19日、「試楽祭」当日。道行きの囃子がこだまする中を屋台が巡る。「かたわれ時」(黄昏時)を過ぎ、いよいよ起し太鼓の登場である。先ほどの2人はまるで機械のように、その鍛え上げられた肉体をゆっくりと動かす。規則正しいその動きと見事なコントラストを成しているのが、「付け太鼓」と呼ばれる、櫓の下に群がる小さな太鼓とその担ぎ手たち。彼らは櫓にどれだけ接近できるかを競っているのであり、喧嘩の場面もみられる。そこに周りの大観衆の歓声が渦巻く。ここでは、上方に規則的な「音」が集中し、下方に無秩序な「音」があふれる。祭りの音、それは単なる雑音の総体ではない。秩序としての音を無秩序としての歓声が包み込むという、精巧な構造を宿しているのである。祭りは見るだけではなく、聴くものでもあるのだ。
本作は冒頭、「古川やんちゃ」とよばれる職人たちの頑固な気性を、祭りと社会に共通する地域性として描き出していた。「やんちゃ」、それは社会的な秩序をほどよく攪乱する試みである。やんちゃな彼らが響かせる「音」。それは秩序を作ると同時に侵犯する一種の「儀礼」であり、かつ「社会」という象徴秩序の相似形でもある。古川の自然の音、匠の音、そして祭りの音。都会の日常生活のリズムにとって、ともすると雑音にも感じるかもしれない音たちが、本作には横溢している。「雑音Bruits」、それはあるメッセージを聴くことを妨げる音たちの別名だが、その雑音自体に耳を傾けるとき、それらは、われわれがまだ聴いたことのないようなメッセージを伝えてくれることだろう。
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映画『君の名は』にも登場する気多若宮神社の参道
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古川最後の提灯職人・故白井久次郎氏
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起し太鼓の櫓
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付け太鼓
※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影
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※記録映画「飛騨古川祭―起し太鼓が響く夜―」(1992年制作/35分)
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※次回は5月10日、「ねぶた祭り―津軽びとの夏―」をご紹介します。