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2019年01月05日

 

 



映画解説 vol.14

 身代わりの鬼

映画『国東の修正鬼会―鬼さまが訪れる夜―』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

4

修正鬼会の鬼(岩戸寺)

 

 

 鬼が登場する民俗芸能は列島各地に伝承されている。鬼に類似するものまで含めるならば、海を越えてさらに広く分布しており、その表現も地域によって千差万別である。ポーラ伝統文化振興財団が制作した民俗芸能の記録映画のうち、実に5本もの作品で鬼が重要な役割を演じている。その中の一つである『国東の修正鬼会―鬼さまが訪れる夜―』では、大分県国東半島の山々、いわゆる「六郷満山」(ろくごうまんざん)に伝わる「修正鬼会」(しゅじょうおにえ)という芸能をとりあげている。この祭礼には、厄払いをする変わった顔の鬼が登場する。追い祓うモノではなく、福をもたらすモノである六郷満山の鬼。本作をたよりに「鬼」の意外な横顔をのぞいてみよう。

 

 冒頭、上空からの映像で国東半島と六郷満山を紹介し、この地に伝わる修正鬼会の歴史を紐解いていく。「鬼会」は、奈良時代の養老年間(717~724)に、仁聞(にんもん)菩薩が『鬼会式六巻』を伝授したことに始まるとされる。全国の寺院では、1月のはじめに「修正会」(しゅしょうえ)という法会が挙行されるが、その一環として、悪い鬼を追い払う「追儺会」(ついなえ)が行われていた。この追儺会が2月3日の節分の起源であるとされているが、「修正鬼会」はこの「修正会」と「鬼会」が習合したものであるとされる。明治時代以降衰退し、いまでは岩戸寺(いわとうじ)のほか、成仏寺(じょうぶつじ)と天念寺(てんねんじ)に残るのみとなっており、本作は、奇数年の旧暦1月7日直近の土曜日の午後3時頃から行われる、岩戸寺の修正鬼会を中心にまとめている。

 

 祭りの日、法螺貝を吹きながら、僧侶たちが岩戸寺にやってくる。行列には囃子も伴われている。午後には「昼の勤行」(ごんぎょう)となり、「大松明」(おおだい)に火がつけられる。「夜の勤行」に入ると、囃子のテンポも速くなり、僧侶も住民も踊りだす。この祭礼に登場する鬼は仏が化身したものであるとされ、夜中には2人の僧侶が岩屋に入り、角がある災払鬼(さいばらおに)と角がない鎮鬼(しずめおに)となる。「オニハヨー、ライショハヨー」という掛け声が鬼と人との間で飛び交う。意味は不明であるというが、不明であることに意味があるだろう。放たれた鬼と介添え役のタイレシ(松明入れ衆)は、寺から飛び出して村に駆け下り、それぞれの家で安全を祈り、仏を供養していく。

 

 この地域では、鬼は「おんさま」として親しまれており、鬼がお年寄りのリウマチの平癒を祈るシーンは印象的であるが、夜の村を走り回った鬼は、最後に「鬼鎮め」でとりおさえられてしまう。なぜ鬼は、年の初めに呼び出されて福をもたらすにもかかわらず、追い払われてしまうのだろうか。同じ人間の、一人を「鬼である」とするあの単純な遊び、「鬼ごっこ」にその謎を解く鍵があるかもしれない。子どもの頃、われわれは「じゃんけん」という儀礼によって選ばれた鬼役によって仲良くなることができたが、かりにその鬼役が、強力な霊力をまとったまま帰宅してしまったら興醒めだったに違いない。鬼に仮託されるのは、そういった人間の根源的な、アンビヴァレントな感情そのものである。人間の、ある意味では弱い部分を芸能や遊びとして昇華/消化する鋭意、それは修正鬼会や鬼ごっこを繰り返すなかで伝えられてきた、先人たちの知恵なのかもしれない。

 

3

六郷満山の情景

1

勤行の風景

 

 

2

各家を廻る鬼

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


鬼会記録映画「国東の修正鬼会―鬼さまが訪れる夜―」(1981年制作/30分)
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※次回は2月12日、「月と大綱引き」をご紹介します。


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