2019年01月25日
映画解説 vol.12
映画『志野に生きる 鈴木藏』
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佐藤 典克
(公益社団法人 日本工芸会正会員 日本陶芸美術協会 会員)
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日本特有の白い肌に様々な緋色を景色とみる志野の伝統的な手法。その中に創意を込め現代志野を生みだした鈴木藏(1934年~)は、平成6年に重要無形文化財保持者、人間国宝に認定された作家である。氏の造形からは漢字の彫りや幾何学模様、自然の断崖絶壁や岩石、また郷土の僧 円空座像を想起させるなど多様な美の内面を感じることができる。
本編は昭和60年の「流旅転生」をテーマに制作した食器揃に次ぐ挑戦で、3色の粘土による異なる緋色で季節を表現する懐石用和食器一式の制作工程を追いながら、氏の作品と志野の歴史までを掘り下げていくものである。
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テーマは「春夏秋冬」、まずは継色紙風の志野大皿を制作する。継色紙とは色紙を装飾的に継ぎ合わせた様式のことで、氏は異なる土をそれに見立て作品を作り上げていく。ふわふわとした感触のもぐさ土をベースとして収縮率の違う土を組み合わせるという作業は、この制作の困難さを物語っていた。
今回は懐石用和食器一式の制作工程ということで、他にも様々な作品や業が紹介される。「隅切り向付」は轆轤を曳いた後に、土で作った型(土型)を用いて形を整えていく手法である。土型成型は桃山時代から続く手法であり、それに倣う氏の姿からは志野の歴史への畏敬が見て取れた。
桃山時代、千利休が侘茶を大成させ茶陶の需要が増す中で特定の名称を持たず誕生した志野。その後、利休の弟子であった古田織部は豊臣秀吉の好みを取り入れ斬新なデザインの織部陶を作り出すも、徳川の時代となると雅茶の影響により姿を消していった。そんな志野・織部がよみがえったのは約300年後。荒川豊三(1894~1985)が美濃の大萱の窯跡で志野筍絵筒茶碗と同じ文様の陶片を発見したことがきっかけである。
そんな荒川豊三氏と鈴木氏が巡り合ったのは、氏が多治見工業高校窯業科を卒業した後であった。昭和34年、24歳の時には日本伝統工芸展に出品し入選や入賞を果たしていく。そして平成6年、ガス窯による志野の焼成の可能性を明らかにし、「志野」で人間国宝に認定された。
ガスの量と空気の量のコントロールがしやすいということは窯変や緋色がコントロールしやすいに違いないとこだわり続けたガス窯は当時5機目であった。当初はステンレスのバーナー火口しかなく窯の保温性も乏しく試行錯誤を繰り返したが、ニューセラミック時代を迎えたことで、長時間焚き続けても支障がないバーナー素材や蓄熱効果の高いレンガが開発された。
「焼き物は化学であり現代の火を使うガス窯であっても結果は読めるものではない。点火の後、窯の神に祈るのは今も昔も変わらない。」と氏は窯の前で手を合わせる。捨て焙り・焙りを経ると、寝ずの番を要する5日間の焼成の始まりであった。
意図せず志野に出会い、長年ぶつかり続けてきたと語る鈴木氏は、志野とは日本人の物の考え方や美意識が凝集されたものであり、志野を掘り下げることにより学び得るものがあると語っている。さらなる創意を込めた現代志野への挑戦は、志野から学ぶ鈴木氏の姿そのものといえよう。
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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影
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※記録映画「志野に生きる 鈴木藏」(2000年制作/33分)
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