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2018年12月25日



映画解説 vol.11

映画『十三代今右衛門 薄墨の美』

 

佐藤 典克

(公益社団法人 日本工芸会正会員 日本陶芸美術協会 会員)

001今右衛門

 今泉家は江戸時代より代々鍋島藩の御用赤絵屋として、色鍋島の赤絵の技術を伝えてきた。そんな今泉の家に生まれた13代今泉今右衛門は、伝統的な色鍋島を継承する一方で色絵磁器の創作的な可能性を模索し続け、「吹墨・薄墨」を用いて平成元年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された陶芸作家である。

 個人指定とは別に重要無形文化財色鍋島の総合指定も受ける今泉家だが、かつては廃藩置県により藩の窯が無くなり赤絵の御用もなくなった過去を持つ。しかしながら、明治6年には10代今泉今右衛門によって古伊万里様式の磁器の一貫生産が開始された。それを端緒として、今でも多くの職人とともに一貫した分業的工程を守り江戸時代からの技法を継承し続けている。

002今右衛門

 13代今泉今右衛門、善詔(よしのり)は大正15年に生まれ、有田工業で轆轤を学び東京美術学校の工芸図案部へ進学した。翌年、有田へ帰省する途中に仲間たちと訪れた奈良で見た飛鳥・天平時代の仏像の初々しい美しさに衝撃を受け、その時の感動はその後の氏の支えとなったという。

 戦後間もなく有田に戻ったのは23歳の頃。今右衛門を待っていたのは、家業が経済的に困窮し悪戦苦闘する厳しい日々である。その中にいても、伝統と創作の狭間に苦しみながら挑戦をやめることはしなかった。今右衛門窯や色鍋島の影響から逃れることができず大いに苦戦しながらも、「鉄筆で描いたような堅苦しい線、裃を着たような雰囲気を崩しもっと柔らかい線を取り入れたい」と願い作品を作り続けた。

 色絵手毬花紋鉢である。昭和40年、第12回日本伝統工芸展で日本工芸会会長賞を受け、色鍋島の中にある新しさを見つけると同時に、父のもとに踏みとどまり色鍋島を継承していく覚悟を決めた。その影響からか今泉善詔を名乗り制作をしていた40代の作品は、伝統的な技法を踏襲しながらも写生を元にした感覚的で斬新な構成が多くみられる。

 当時から度々発掘をしていたという氏は、まだ精製技術も確立されない時代の土のにおいが残った素朴で柔らかい表情の白磁に若い頃からあこがれを抱いていた。飛鳥時代の仏像に感じたうぶで素朴な美しさと、初期伊万里のラフで粗削りな美しさ、この二つを融合したような新しさを表現できないかと模索し続け、最後に思いついたのが染付の「吹墨」であった。

 昭和50年制作、色絵吹墨蕪文花瓶。磁器特有の冷たい研ぎ澄まされた印象を吹墨の微妙な色むらが打ち消し、氏の想いが形となって表れている。その後も「薄墨」「吹き重ね」と、今までの概念を取り払いながら伝統の中に新しさを発見していった。

 完成した色鍋島には静かで落ち着いた渋い紬の色合いが滲み、吹墨で生み出された新しい表現を物語っていた。

 60代になると、氏の作品には美術学校時代より好きだったという更紗文が多く登場する。「プリントのようにきちっとしていないからこそ、堅苦しさのない自分だけの文様が生み出せるにちがいない」と新しい色鍋島、色絵について語り、その姿は歴史ある今泉家の課題「伝統と創造」「伝統工芸の在り方」に応える13代今泉今右衛門の生きざまそのものであった。

 本編では13代今泉今右衛門の創作過程が具体的にわかりやすく描かれており、その工程も内面的な変化と共に楽しむことができる。是非一度はご覧になってはいかがだろうか。

 
003今右衛門
 作品① 色絵手毬花紋鉢
004今右衛門
 作品② 色絵吹墨蕪文花瓶
005今右衛門


006今右衛門

 

 

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  表紙記録映画「十三代今右衛門 薄墨の美」(1994年制作/36分)
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