2018年12月18日
宗教というものは、人々の生活に多大なる影響を及ぼしています。しかし、その中心である「神」は、科学的に証明できません。そこで、神楽を例にあげ、我々日本人が、どのようにその存在を感じ取ってきたのかを探ってみようと思います。 |
(写真① 布舞) |
最も分かりやすいのは、ポゼッション、つまり神を人間の体に宿す儀式です。 岡山県の備中神楽など、一部の神楽には、今尚受け継がれています。 |
(写真② 託宣神事) |
重要なのは、神は「ある特定の条件下において、その場に降臨したと解釈される」という点です。ならば、「特定の条件下」というコードが、人間でなくともかまわないはずです。 |
(写真③ 練り歩く獅子頭) |
次の例を見てみましょう。 |
(写真➃ 獅子舞) |
神のコードは、生き物を模していなければならないのでしょうか。 そこで思い出すのが「鈴」です。梁塵秘抄に「鈴はさや振る藤太巫女(略)」とあるように、鈴はシャーマン(巫女)が操る呪具です。 やがて鈴の音は、神そのものを表すとされるようになりました。 |
(写真⑤) |
2016年の愛知県古戸の花祭見学の折には、とても興味深いお話を聞くことができました。舞人は神楽鈴を持って舞います。振り付けの中には、下の柄ではなく、上についた楽器そのものを握って踊ることで、音をこもらせる動作があります。保存会によれば、その後、柄に持ち変えて通常の音を出すことで、「神の降臨」を表しているのではないか、とのことでした。現在古戸ではポゼッションの儀式は行われていません。その代わり、鈴の音を聴かせることで、神を聞こえるようにしています。 |
(写真⑥) |
以上のように 、日本人は神というコンセプトを、目で見て、耳で聞いて、時には触れることもできるものに変換することにより、神の存在を認識しているのです。 |
平井暁子 お茶の水女子大学文教育学部を経て、同大学院人間文化研究科博士前期課程修了。パリ・ソルボンヌ大学 にて音楽学修士号取得。2015年度・16年度同大学非常勤講師。現在、同大学第5博士学院在学及びIReMus研究員。 専門は民族音楽学。神楽紹介サイト運営。 |