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お知らせ

2018年11月25日

 

 私は、フランスで神楽の研究をしています。 そのためか「なんでまたフランスで?」と驚かれます。日本のことは日本で学ぶのがてっとり早いのは事実ですが、そこには落とし穴もあります。

 私の専門分野は民族音楽学です。 我々のミッションは、研究対象の社会と自分の元いた社会の間と架け橋となり、フィールド(内)の言葉を、その外にいる人々にもわかるように置き換えること。私はこれを、文化のエンコードと呼んでいます。

 例えば、フランス語を日本語のOSで表示させようとすると、文字化けすることがあります。これは、日本語の記号(コード)とフランス語のそれが異なることに由来します。文字化けを防ぐために、機械内部で行うのがエンコード、つまり記号の変換です。

 文化もしかり。文化が違えば、社会コードも異なるものです。現地の人以外にもわかるように、変換する必要があります。そのためには、フィールド内外のコードに精通していなければなりません。(図:文化のエンコード)
Hirai_Pola_art3_1

 さて、通常、科学と名のつくものは全て、研究者の 主観を取り除かねばなりません。 逆に、民族学では、研究者のバックグラウンドは 非常に重要です。 生身の人間の目を通して観察する以上、どうしてもその人の考えに影響されてしまうからです。また、自国の文化について学ぶとき、 フィールドのコードとアカデミックなコードの境界が曖昧となってしまうのです。

 これを私が研究する神楽に、当てはめてみたいと思います。

 通常、日本語で神楽が説明されるとき、その意味するものは多種多様です。神楽とは、ある特定の芸能スタイルを意味することもあれば、舞が行われる祭りそのものを指す場合もあります。地域によって、神楽と呼ばれる舞のスタイルは異なります。このように、神楽の学問的定義は、未だ曖昧と言わざるを得ません。日本文化圏の外へ出て、一度その文化コードを知らないところで説明しようとすると、不具合が生じます。これが、冒頭で述べた「落とし穴」です。(写真:備中神楽神光社のヤマタノオロチ)

Hirai_Pola_art3_2

 さて、「神楽」とよばれる儀礼は日本独自の名称ですが、実際には世界各地に散見する娯楽的要素を含む宗教儀礼の一種にすぎません。フランス語では、「Divertissement rituel(儀礼的娯楽)」と呼ばれています。このように一般化してしまうことは、没個性と思われがちです。神楽を独自の文化足らしめているものは、失われてしまったのでしょうか。

 その反対です。 みんなが同じことをしていても、必ず個性が出てくるもの。神楽の真の価値は、儀礼そのものが娯楽的性格を持っている点にあります。つまり、「Rituel divertissant (娯楽的儀礼)」なのです。

 結論に代えて、ここではアイディアを提案したいと思います。

 神楽について、個々の事例を深く掘り下げることは、すでに多くの素晴らしい研究者たちによって行われています。既存の研究手法を、神楽研究に当てはめることもされています。これからは、日本文化研究を通じて、異文化にも汎用性のあるメトドロジーをこちらから提案することが重要なのです。

平井暁子

お茶の水女子大学文教育学部を経て、同大学院人間文化研究科博士前期課程修了。パリ・ソルボンヌ大学 にて音楽学修士号取得。2015年度・16年度同大学非常勤講師。現在、同大学第5博士学院在学及びIReMus研究員。

専門は民族音楽学。神楽紹介サイト運営中(www.akikohirai.com)。
 

 


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