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2018年07月11日




映画解説 vol.9

イーハトーブの身体技法

映画『みちのくの鬼たち-鬼剣舞の里-』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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鬼剣舞(おにけんばい)をご存知だろうか。鬼のような仮面を被り、躍動的に身体を上下させるこの芸能に、私は小学生時代に出会った。といっても実際の鬼剣舞ではなく、宮沢賢治の小説を題材とした映画『風の又三郎―ガラスのマント―』(1989)のワンシーンである。そこに登場するのは、賢治の詩の題材ともなっている「原体剣舞(はらたいけんばい)」であるが、今となってみれば、原体剣舞こそ私にとっての芸能の原体験といえるかもしれない。小学生の私にはそれが何であるのかがさっぱり分からなかったが、その不思議な光景がなぜか脳裏に焼き付いている。鬼剣舞とよばれるこの芸能は、岩手県の北上川流域の中部から南部に多数分布している。今回紹介する映画『みちのくの鬼たち―鬼剣舞の里―』は、奥州市旧衣川村の「川西念仏剣舞」と、北上市旧和賀町の「岩崎鬼剣舞」を中心に、芸能の歴史とその伝承者たちの活動を描き出した作品である。

北上川の支流の一つ衣川が大地を潤す、旧衣川村。桜の森の満開の下で川西念仏剣舞が演じられる場面から本作は始まる。初めて鬼剣舞に接する人は、輪になって刀をくぐりあったり、頭を小刻みに動かしたりする、その不思議な所作に注意を惹かれるかもしれない。続いて紹介される岩崎鬼剣舞では、「膳舞」(ヘギまわし)など、祝いの席で余興としても演じられたという曲芸的な舞を見ることができる。民俗芸能の不思議な所作に出会ったら、身体の動きを少し真似してみるのも面白い。町内会の夏祭りの盆踊や、学校で習ったダンスなど、今までに体験した踊りとの違いや共通点に気付くはずだ。

真似が得意なのはいつの時代も子ども達。菅江真澄という江戸時代の旅行家の日記には、子どもが鬼剣舞を真似している風景が描写されている。今日でも各地の芸能を訪れると、しばしば観に来ていた子どもが同じ動きをして遊んでいるのを見かけることがあるが、子ども達の目に写るその芸能は、おそらく小学生時代の私の目に写った鬼剣舞と同じように、不思議な魅力をたたえているのだろう。本作には、川西念仏剣舞の伝承者が、衣川村立衣里小学校の子ども達に剣舞を教えるシーンがある。どこか不思議に思いつつも笑みを浮かべて舞う子ども達の姿が印象的である。11月1日から3日に開催される、中尊寺の「秋の藤原まつり」。そこで子ども達は初めて衣装を着け、伝承者たちに新調してもらった面を被り、練習の成果を披露する。芸能の「芸」は技を身に着けること、「能」はそれを発揮することであるともいう。見よう見まねで始めた子ども達が芸を披露するようになるまでの成長過程は、芸能という言葉の意味を体現している。

なぜ、民俗芸能の所作は子ども達の心も惹きつけるのだろうか。本作に映し出される演者たちの動きを見ると、その驚くべき「身体技法」に秘密があるように思う。「dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah」という太鼓の音(口唱歌)から始まる賢治の詩「原体剣舞連」(1922)は、その驚きを新たな芸術として昇華している。太鼓の打ち方や舞の所作、それらは先人たちが何かを表現するために編み出した身体の技法であり、現代のわれわれにとって、それは外国語のような異質性と魅力を帯びている。みちのくの大地に育まれてきた身体技法の結晶、それが鬼剣舞であるといえるかもしれない。



 

 付記:なお、本稿のいくつかの論点については、地芝居ポータル代表の蒲池卓巳氏による筆者へのインタビュー記事「民俗芸能における「余興」とは?」『(公社)全日本郷土芸能協会 会報』(第92号)に詳しくまとめられている。

 

岩崎鬼剣舞「一人加護」(ひとりかご)

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川西念仏剣舞「三人偉者」(さんにんいかもの)

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岩崎鬼剣舞「膳舞」(別名、ヘギまわし)

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川西念仏剣舞

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


0299_001記録映画「みちのくの鬼たち-鬼剣舞の里-」(1983年制作/34分)
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※次回は8月10日、「端縫いのゆめ―西馬音内盆踊り―」をご紹介します。


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