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2018年06月11日


映画解説 vol.8

偏りと出会いから生まれる世界

映画『若衆たちの心意気―烏山の山あげ祭り―』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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全国津々浦々、地域を彩る祭礼がある。源を同じくする祭礼であっても、どれ一つとして同じものはなく、よく見れば趣向の違いがたくさん見つかるはずだ。例えば栃木県那須烏山市の「山あげ祭」は、その余興の趣向が見事なことで知られている。道路に100メートルにわたる遠近感たっぷりの舞台空間が出現し、その圧倒的な野外舞台で演じられる所作狂言(歌舞伎)では、煙の中から役者が出てきたり、仕掛けで桜が咲いたり、さらには火花まで出して観る者を楽しませる。このような趣向はどのように生まれるのだろうか。映画『若衆たちの心意気―烏山の山あげ祭り―』を通して、祭礼の趣向の発生に立ち会ってみよう。

この祭礼は、六つの町が輪番制により毎年行うものであり、鍛冶町が当番であった1983年を記録したのが本作である。徳利(とっくり)を運ぶシーンが美しく描写される冒頭の会議では、「木頭」(きがしら)と「副木頭」という2人の祭礼の役が決まる。両者は、祭礼の裏方である若衆たちを指揮する重要な役である。山あげ祭は、この若衆たちが、竹の網代(あじろ)に和紙を貼った巨大な「山」を立てることからその名が来ている。永禄3年(1560)、疫病を除けるため牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、その余興で相撲、神楽、獅子舞を上演するようになったのが祭礼のはじまりといわれているが、「山」や「所作狂言」(歌舞伎)が採り入れられたのは江戸時代である。山の型(かた)は昔からそれほど変わりないが、毎回仕掛けなどの趣向を工夫しており、木頭は、それぞれ仕事をしながら、どのような山にするのかを考えるのだという。ここでは木頭の文具店と呉服屋をはじめ、生業の描写が多く、山作りにかかせない紙漉きなどをみることもでき、昭和末期の町の雰囲気が伝わってくる。


蔵から6年前の山をだすシーン。古い山を前に、皆でアイディアを出し合い、趣向を考える。これまでの山は絵具で山水(さんすい)を描いたものであったが、この年は色つき和紙の貼り絵にすることとなった。「他にはないものにしたい」というこの小さな偏向こそが、後に祭礼を変化させていき、各地で様々な趣向を花開かせていく種となるのである。映画では、貼り絵の山は初めて だからと、応援をよんで町ぐるみで準備している。決して表には出ない誰かの小さな偏向が、様々な出会いを生み出していく。それが祭礼、さらには文化というものにほかならない。

 

 

7月第4土曜日を含む金・土・日曜日、当番町の屋台は次々に町を練り歩く。新たな趣向を他の地域に見せることで、その趣向が新たな趣向を生んでいく。その舞台装置を載せて地車(じんぐるま)を走らせるのは、150人にものぼる若衆たちである。大急ぎで山を造り、終わるとすぐに解体して次の場所に行く彼らは、裏方とはいえ一人一人創意を持った人間であり、彼らがいかに重要であるかを、本作は教えてくれる。同じように伝承していても、一人一人の僅かな偏(かたよ)りが偏りを生み、祭礼は刻々と変化していく。多くの創意が離合集散し、時代の趣向が積み重なって形成されたのが、各地の祭礼であるといってもよい。毎年様々な祭礼に足を運ぶのも楽しいが、毎年同じ祭礼に参加し、僅かな偏りに注目していくのもまた、通な祭礼の楽しみ方である。 



 

 

 

山あげ祭の舞台

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所作狂言(歌舞伎)

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貼り絵された山

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「山」をあげる若衆

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


0192_001記録映画「若衆たちの心意気-烏山の山あげ祭り-」(1983年制作/34分)
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※次回は7月10日、「みちのくの鬼たち-鬼剣舞の里-」をご紹介します。

 


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