2018年01月10日
映画解説 vol.4
「まつり」と「きまり」
映画『神と生きる―日本の祭りを支える頭屋制度―』
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川﨑 瑞穂(国立音楽大学助手) |
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われわれの日常生活に様々な「きまり」があるのと同じく、各地に存在する祭礼にも多種多様な「きまり」がある。人間と自然との関係が「文化」であり、人間同士の関係が「社会」であるとするならば、その双方に跨るのが祭礼の「きまり」であるといえる。祭礼の代表者「頭屋(とうや)」にまつわる「きまり」はその好例であるが、今回紹介する映画『神と生きる―日本の祭りを支える頭屋制度―』は、複雑な頭屋制度の仕組みを、二つの祭礼を通して、図を使用しながら分かりやすく解説した作品である。
一つ目の祭礼は、島根半島の東端、松江市美保関町の美保神社に伝承されている「諸手船神事(もろたぶねしんじ)」と「青柴垣神事(あおふしがきしんじ)」である。毎年12月3日と4月7日に行われるこれらの神事は、「国譲り神話」、すなわち地上の神であるオオクニヌシ(ダイコク)が、当地「出雲の国」を天から降ってきた神々に譲る神話に基づいている。氏子の中から選ばれた「一ノ当屋」「二ノ当屋」の2人は、青柴垣神事においてミホツヒメ(オオクニヌシの后)とコトシロヌシ(エビス)となり、干し柿以外口にしてはいけない、目を開けてはいけない等、様々な「きまり」が課せられる。本作では、神となった2人が行列を伴って海に向かい、囃子が奏されている舟に乗り、海上での擬死再生の儀礼を経て神社の拝殿に迎えられるまでを詳細にまとめている。
次に舞台は兵庫県加東市上鴨川の住吉神社に移る。毎年10月第1土・日曜に当地で行われる「神事舞」は、氏子によって組織される宮座(みやざ)の一人が神主を務める芸能であり、こちらにも様々な「きまり」がある。最初の太刀舞(リョンサン舞)は、宮座の「若衆(わかいしゅう)」の序列で、上から三段目のものが舞うという「きまり」がある。また、本作には御神楽(おかぐら)で使用する楽器の一つである小鼓を転がして渡すシーンがあるが、これは手渡ししてはいけないためである。神事舞ではこの他にも、獅子舞、田楽、扇の舞(イリ舞)、高足、能舞(翁舞)といった様々な芸能が披露されるが、本作にはこれらの練習(はつならし)の風景も収録されており、芸能の「きまり」がどのように伝承されているのかがよく分かる。
室町時代より続くとされるこれら二つの祭礼を通して、われわれは頭屋制度だけではなく、祭礼自体に張り巡らされている多彩な「きまり」に遭遇する。本作に多数盛り込まれている個人へのインタビューは、この一見無意味なようにも思える「きまり」がなぜ伝承されてきたのか、その答えを探る糸口となる。祭礼の「きまり」は、しばしば日常の「きまり」を逆転、あるいは侵犯したものであるが、仕事と神主との両立の難しさを語る神事舞の青年の顔は、むしろ自信に満ちている。仕事、すなわち「何か」のために自らを捧げる社会的な「きまり」の中で、年に一度、あるいは一生に一度、何のためでもない別の「きまり」に自らを捧げるその刹那、人は生きていることを実感するのではあるまいか。様々な「きまり」の中で神と生き、さらには神となる個人を追った本作は、われわれに「生きるとは何か」ということを考える機会を与えてくれる作品でもある。
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諸手船神事
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青柴垣神事の一ノ当屋と二ノ当屋(中央の2人)
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神事舞「太刀舞(リョンサン舞)」
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「受渡し」(神主と禰宜が交代する儀礼) ※今回掲載した写真は、ポーラ伝統文化振興財団による撮影
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※記録映画「神と生きる-日本の祭りを支える頭屋制度-」(2004年制作/30分)
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※次回は2月10日、「鬼来迎 鬼と仏が生きる里」をご紹介します。