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お知らせ

2018年01月15日

【エイサーの伝統と展開】

 エイサーとは、沖縄本島およびその周辺離島で旧盆の時期に先祖供養のために地域の若者たちによって踊られる芸能である。その起源は諸説あるが、一般的に日本本土から来沖したチョンダラー(京太郎)という流浪芸能集団に起源を求めることが多い。彼らはいわゆる門付芸人であり、念仏歌を唱えながら沖縄各地の家々を歩きまわっていたが、やがて、沖縄の青年たちがこの念仏歌を習い覚え、家々を巡るようになった。その担い手は青年会と呼ばれる市町村ごとに結成されている自主的な組織に属し、旧盆の時期になると、夕方から夜中かけて各家を踊りまわる(写真1)
 地元の人はどこからか聞こえてくる太鼓の音を頼りに、エイサーを見に来る。青年会の回るルートは公に発表されていないので、このように太鼓の音を頼りに地元の人が徐々に集まってくる(青年会に問い合わせてルートを把握することはできる)。

エイサー









写真1 普天間三区青年会   撮影:執筆者


 エイサーは各青年会によってキャラクターが異なるため、隊列や振り付け、衣装、人数、曲目などを比較しながら見てみると面白い。例えば、各青年会のエイサーの伴奏曲で《仲順流れ》や《唐船ドーイ》などは必ず含まれるのだが、同じ曲でも、テンポやその楽器構成、曲中の振り付けや隊列に違いがあるので、その曲の雰囲気や印象は青年会によって変わってくる。この多様化の背景には、1956年に開催された「全島エイサーコンクール」の影響が大きく、当時、各青年会は審査員や観客からの注目を引くために、豪快に太鼓を回したり、踊り手がジャンプをしたりと、青年会独自のエイサーを追求しており、現在でもそうした工夫は盛んに続けられている。1977年からは「全島エイサーまつり」に改名され、コンクール形式は廃止されたが、エイサーまつりは夏を代表する一大イベントになっている(写真2)

 
エイサー②









写真2 全島エイサーまつり(初日) 撮影:執筆者


 このようにエイサーは青年会を中心に継承・発展されていくが、それとは別に、1980年代以降、沖縄では地域共同体に依存しないクラブ型エイサーと呼べる新しいエイサーが登場した。1982年に結成された「琉球國祭り太鼓」は、沖縄だけでなく、本土や海外でも積極的に活動し、現在でもクラブ型エイサーとして根強い人気を持っている。青年会は住んでいる地域の人々によって組織された団体であったが、クラブ型エイサーは地域に限らず誰でも参加することができる。また、旧盆以外でも年間を通じての活動、女性でも太鼓を叩くことができる(伝統的に女性が太鼓を叩くことはなかった)など、様々な点で従来の青年会の伝統エイサーと異なる。特に、伴奏曲は今まで念仏歌、民謡、新民謡で構成されていたのに対し、クラブ型エイサーは沖縄ポップを導入するという斬新な展開を見せている。
 このように、エイサーには伝統に重きを置いた青年会とその型にとらわれないクラブ型エイサーがある。みなさんも沖縄に訪れた際には、両者のユニークなエイサーをご覧になってはいかかがだろうか。



澤田聖也 プロフィール

沖縄県那覇市生まれ。国立音楽大学 音楽文化デザイン学科音楽学卒業。東京藝術大学大学院 音楽研究科音楽文化学修士課程に在学。2015年、グローバル・カルチャー那須プロジェクトに三味線で参加。「沖縄音楽とアイデンティティの関係性」、「在沖米軍基地周辺のミュージシャンの演奏活動」をテーマに研究を行っている。


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