2017年04月10日
世界には様々な人形芝居があります。フランスの「マリオネット」、インドネシアの「ワヤン」など、
様々な国で人形芝居が楽しまれています。もちろん日本でも人形芝居は、昔から親しまれてきました。
一言に「人形芝居」と言っても、その種類は様々ですが、今回は2017年4月8・9日に、
長野県飯田市黒田人形浄瑠璃の奉納公演を拝見したので、ご報告いたします。
人形浄瑠璃とは、文楽とも呼ばれる芸能で、江戸時代に大阪で発展した伝統芸能です。
実はこの「文楽」というのは、この芸能を創った「植村 文楽軒」(うえむら ぶんらくけん)
という人の名前からきています。では、文楽が人の名前からきているのなら、「浄瑠璃」とは
何なのでしょうか。「浄瑠璃」とは、《浄瑠璃姫十二段草紙》(じょうるりひめじゅうにだんぞうし)
という語り物から来ているといわれています。太棹三味線を使用した力強い音楽を持つ語り物が
人気を博し、同じ節回しをもって語られる人形劇が「浄瑠璃」と呼ばれるようになったと言われています。
さて、今回拝見した黒田人形浄瑠璃ですが、今から約300年前(元禄時代)に、正岳真海という僧侶が
義太夫・三味線・人形等の遊芸を黒田の人々に教えたことが始まりだと言われています 。
以来、人々の弛まぬ熱意によって伝承が続いた人形公演は、現代においても人々に愛され続けていました。
黒田人形は、昭和50年に国の無形文化財に選択され、その後、飯田市無形文化財にも指定された歴史の深い人形公演です。
まず上演されたのは、《寿三番叟》(ことぶきさんばそう)です。《三番叟》は元々、能で演じられる演目ですが、
黒田人形ではユーモラスな人形が舞台全体を大きく使い会場を沸かせていました。
《寿三番叟》は「場を清める」という役目を持つ演目で、日本では古くから「新しく場を開くとき」
「神聖な場に神を下ろすとき」に舞われました。しかし、黒田人形はそれだけでは終わりません。
演目の後半では、翁が腰を振ったり、突き上げたり…といった表現もされて会場はさらに沸き立ちます。
おどけた翁の動作は続きますが、目くじらを立てる人はいません。なぜかと言うと、
この翁の動作は予祝儀礼であり、春に種を蒔きそれが青々と茂り、やがて秋には豊満な実となるように、
祈りが込められているからです。
《寿三番叟》によって場が清められた後は、《三十三間堂 棟由来 平太郎住家より木遣音頭の段》
《傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段》《鎌倉三代記 三浦別れの段》が上演されました。
時に勇ましく、時に儚げに上演される黒田人形ですが、大人だけではなく、中学生の頑張りも光る舞台でした。
《傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段》は地元の高陵中学校人形座が務めました。ベテラン勢に支えられながらも、
危なげなく演じきった生徒の皆さんへは、喝采の拍手と、下黒田諏訪神社氏子さま達からの御ひねりが飛び交っていました。
以下に公演情報を記載します。今年は終了してしまいましたが、ご興味のある方は来年の公演に足を運んでみてはいかがでしょうか。
公演情報(2017年情報)
日時:4月8日(宵祭り)午後18時開演 ・ 9日(本祭り)午後13時開演
会場:下飯田諏訪神社境内 人形専用舞台
住所:長野県飯田市上郷黒田2344
公演された演目:
《寿三番叟》《三十三間堂 棟由来 平太郎住家より木遣音頭の段》
《傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段》《鎌倉三代記 三浦別れの段》
両日とも、甘酒とおでんが用意されていました。
※黒田人形は第22回ポーラ賞地域賞受賞者です。
http://www.polaculture.or.jp/promotion/year.html
※黒田人形については弊財団機関誌『伝統と文化』第34号で特集いたしました。(http://www.polaculture.or.jp/gallery/magazine.html#dentobunka