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お知らせ

2013年01月29日

【和をつなぐメッセージ】第4回 中村信喬さん(人形作家)

伝統文化を未来へつなぐお仕事をなさっている方々は、
どのようなことを考えていらっしゃるのでしょうか。
これからの伝統文化を担うため、さまざまな分野で
ご活躍の方々に、等身大のご意見を伺うFive Questions。
和をつなぐメッセージを季刊でみなさまへお届けします。

第4回は、人形作家の中村信喬さんからの
和をつなぐメッセージをお届けします。


<プロフィール>
中村信喬 Nakamura Shinkyo (人形作家)日本工芸会理事
1957年 福岡県中村信喬さん生まれ
1954年 九州産業大学芸術学部美術学科彫刻卒業後、京都人形修業に出る
1995年 伝統工芸人形展 文化庁長官賞
1999年 日本伝統工芸展、高松宮記念賞
2005年 福岡県文化賞創造部門受賞
2010年 第1回金沢世界工芸トリエンナーレ招待作家
2011年 伝統文化ポーラ賞 優秀賞
      イタリア、ローマ ラールーチェ展 ローマ法王謁見作品献上
2012年 金沢21世紀美術館 工芸未来派招待作家
      九州産業大学芸術学部彫刻非常勤講師

[パブリックコレクション] 
東京国立近代美術館 
金沢21世紀美術館
岐阜県現代陶芸美術館

①最近のお仕事で印象に残っていること。
20年前より、生まれ育った九州博多を題材に作り続けていた南蛮文化の人形作品を、
ローマで展覧会をしたことにより、ヨーロッパの人々に人形は只の玩具ではなく、
人の形の美術工芸作品であるとの評価を頂き、本当に作り続けていて良かったと
思っています。また、金沢21世紀美術館にて「工芸未来派展」に展示できたことは、
現代美術の世界に日本の人形を見直して頂くきっかけになった展覧会でした。
                       
聖堂 信喬さんイタリア

 

 

 

 

 

 

 

 

◎写真 ローマ法王へ献上した人形「聖堂」

②この道を歩もうと決心したのは、何歳のとき、どのようなきっかけでしたか。
二代続く博多人形師の家に生まれたことは必然的に他の職業になろうと思いませんでした。
物心ついた時、常に父の仕事をする後ろ姿を見て育ちましたし、人付き合いは上手くないが
腕はいい父(衍涯/えんがい)のような人形師になりたいと思っていました。

制作工程

 

 

 

 

◎人形制作をしている中村信喬さん

③座右の銘は。
禅語の一つですが「一得一失」です。18歳の頃から禅に傾倒していた父のせいか
「碧厳録」や「臨済録」にはまり、一つを得ようと思えば、まず一つを手放しなさい・・・
という真理を今でも心に置いています。

④伝統文化を未来へつなぐために、いま、どのようなことをなさっていますか。
博多人形のもともと持っていた特性、それはその時代に合った人形を作り、
しっかりとした造形力、土や木の素材を使って色々な物を作り出す人形師の育成と
工房製による伝統の節句人形や縁起物人形を支える若い職人の育成を行っています。
現在、工房に人形の修復保存研究所を立ち上げ、そこで各地に伝わる民俗文化財の
祭りに使われている人形たちが傷んでおり、その修復に携わることにより、先人の
技術に触れ後世につなぐ若い人材の育成を目指しています。

⑤和をつなぐメッセージリレー
☆伊那人形芝居保存協議会さんから中村信喬さんへのご質問
若い後継者を育てることが大変重要なことですが、具体的な育成方法などお考えでしょうか。
若い人を指導する上で重要なことは、どんな点でしょうか。

☆中村信喬さんのご回答
人形を作り出すということは、技術ではもちろんデッサン力が大切ですので、息子には
小学生の頃より石膏デッサンをさせて、常にスケッチを心がけます。人形師になりたくて
入門してきた弟子はまず石膏デッサンからですが、人形は人の気持ちがわからなくては
なりません。そこで「一得一失」のように自分を捨てて人に尽くす考え方を指導します。



[展覧会・作品展のご報告]
2013年2月 中村勘九郎襲名口上姿人形制作
     4月 福岡県筑後船小屋 福岡県芸術文化交流施設に石馬制作
        佐賀 ホテルフォレストイン伊万里 木彫バチカン衛兵像制作
     12月25日~1月7日 日本橋三越 特設画廊 個展


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