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お知らせ

2012年05月28日

【和をつなぐメッセージ】第1回 築城則子さん(染織家)

伝統文化を未来へつなぐお仕事をなさっている方々は、
どのようなことを考えていらっしゃるのでしょうか。
これからの伝統文化を担うため、さまざまな分野で
ご活躍の方々に、等身大のご意見を伺うFive Questions。
和をつなぐメッセージを季刊でみなさまへお届けします。
 
第1回は、染織家 築城則子さんからの和をつなぐメッセージをお届けします。

<プロフィール>
築城 則子 Noriko Tsuiki   (染織家)  日本工芸会正会員
1952年北九州市生まれ。                                                         04 
1974年早稲田大学文学部中退後、
久米島、信州などで紬織について学ぶ。
1984年小倉織復元。1994年小倉縮復元。
2004年に東京国立近代美術館
「非情のオブジェー現代工芸の11人―」に出品。
2005年第25回伝統文化ポーラ賞優秀賞受賞。
2007年文化庁芸術家海外派遣制度の特別派遣
として80日間ロンドンにて研修。
[作品収蔵]
東京国立近代美術館  Victoria and Albert Museum(ロンドン)
日本伝統工芸染織展で文化庁長官賞など受賞多数
銀座 和光ホール他で個展開催


築城則子さんへのFive Questions。
①最近のお仕事で印象に残っていること。

生まれ育った小倉の地に300年以上続いていた小倉織が昭和初期に途絶え、
その再生が叶ったかなと思ってから、もう30年近く経ちました。木綿の縞織物と
いうかなり制約の多いものですが、まだまだ汲めども尽きません。縞の中に揺らぎが
見えるように工夫した「小倉縞木綿帯 面影」が日本伝統工芸展で奨励賞を受賞でき,
新しい展開をさらに楽しんでいます。

01

面影

②この道を歩もうと決心したのは、何歳のとき、どのようなきっかけでしたか。

21才、大学の3年生。近代演劇(室町,江戸期)を学ぼうとして、能楽堂や国立劇場に
通い始めました。能楽堂に充ちている音と色の世界は独特で、すっかり魅了されました。
特に能装束の中に在る色彩感覚に魅かれ,文学から染織へと大きく方向転換したわけ
です。


③座右の銘は。

私の工房名「遊生染織工房」にもしていますが、梁塵秘抄の中の一節、
“遊びをせんとや生まれけむ”。今年の大河ドラマ「平清盛」でさかんにでてきている今様
ですが、自由な精神を大切にしたいと思います。ちなみに、このドラマは若き清盛とその
時代背景が伝わって私は面白いと思います。衣装選びも独特ですし。


④伝統文化を未来へつなぐために、いま、どのようなことをなさっていますか。

一度途絶えた小倉織を復元,再生、ということに、 はからずも関わった私にとって、
「つなぐ」とは、作品そのものだと思っています。もちろん,人を育てることは重要で,
若い人達が次々とその各人の個性で仕事をしてくれて喜んでいます。が、織られた布が
輝けば必ず未来につながると信じています。


⑤和をつなぐメッセージリレー

伝統文化の様々な分野の方が「つなぐ」をキーワードに、リレー形式で質問をつないで
いきます。

☆第一回は、編集部から築城則子さんへのご質問。

小倉織の縞を次世代へつなぐために、大切にしている道具は何ですか。エピソードと共に
お教えください。

☆築城則子さんからのご回答。

竹筬。
経糸の多さが特色の小倉織にとって、櫛のように見える筬のひとつのすきまに各4本、
1cmに60本の糸がひしめきあう筬がステンレスでは弾力がなくて織りづらいものです。
昔から竹を極薄くして用いていましたが,10年程前に作る人がいなくなりました。現在、
下村輝氏を中心とした竹筬研究会が再生に取り組み、作って下さるようになって感謝して
います。

(展覧会のご報告)
現在、平成24年度文化庁主催の海外展として、"日本のわざと美:近現代工芸の精華"を
テーマに "GIAPPONE  TERRA DI INCANTI" (= "JAPAN  LAND OF ENCHANTMENT" :
"魅惑の地、日本") がイタリア フィレンツェのピッティ宮殿博物館で開催されています。
(2012年 4月3日~7月1日)陶磁器や漆工品など103 点の展示品の中に、私の
「小倉縞木綿帯 分水嶺」も選んでいただきました。この展覧会に行ってきましたので、
少し報告したいと思います。

イタリアのフィレンツェにあるトスカーナ大公の宮殿
として使用されたピッティ宮殿は、ルネサンス様式の_DSF0529

広大な建築で、今も多くの人が訪れていました。
内部はタイプの違う6館の美術館に分かれ、
メディチ家をはじめとする各時代の大公が
集めた美術品が展示されています。
そんな中に特別企画展として上記の展覧会が
催されているわけですが、不思議な空間でした。

天井高4メートルはありそうで、天井にはびっしりと
絵画が書きこまれ、天井にも壁にもシャンデリア。
そんなゴージャスな宮殿の中、分厚いガラスで
囲まれて作品があるのですが、静寂で高潔な
空気が満ちていました。

日本で観るのと違う、ミスマッチとも思える余白なしの
空間で、日本の工芸は自らの資質に内在する美を堂々と世界に伝えていたのです。
人間国宝であられた先生方の完成度高い作品から、現代という時代に模索中の
私のような者まで、その作品群は日本の工芸の一断面を切り取っているように感じました。
照明を落とした部屋の中で、ひときわ存在感を放つのは、ガラスケースの周りや背景に
用いられた「青」、ジャパンブルーというイメージからでしょう、藍色というよりは青でしたが
暗めの空間には似合っていました。
藍色系の作品の背景は白に変えてあり、納得のいく展示でした。当初、ピッティの
ホームページなどに書かれていた英語タイトル「JAPAN LAND OF ENCHANTMENT」が現場
では「THE ELEGANCE OF MEMORY」と変わっていました。(イタリア語タイトルは全くわかり
ませんので悪しからず)追憶の風雅、とでも訳せばいいでしょうか、エレガンスという言葉を
あててくださって嬉しく思いました。
クールジャパンなどとも言われていますが、今こそ日本文化の格好良さを私たち日本人も
再認識しつつ誇りにしたいものです。


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