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2019年10月10日

映画解説 vol.1

映画『狂言師・三宅藤九郎』

緻密な構成が語る狂言の神髄

 

三浦 裕子 (武蔵野大学文学部教授、
同大学能楽資料センター長)

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三宅藤九郎(1901~1990)は和泉流の狂言師である。五世野村万造(初世萬斎)の次男で、兄の六世野村万蔵に続いて重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)となった。本映画は藤九郎の芸と人となりを通して、狂言の本質を見せようとする意欲的なものである。

そもそも狂言とは何か。これを語るときに必ず能にも言及することになる。というのも狂言と能はともに猿楽(さるがく)という祖先を持つ演劇で、室町時代に芸術的な基礎を築き、交互に演じられる原則だからである。能が歌舞劇(かぶげき/ミュージカル)・仮面劇であるとすれば、狂言は様式的なセリフに基づく喜劇と言える。

映画冒頭、国立能楽堂の能舞台を映し出す静止画をバックに、主人が太郎冠者(たろうかじゃ)に遊びに出かける相談をするセリフが流れてくる(ちなみに狂言も能も能舞台で演じられる)。これは狂言〈舟ふな(ふねふな)〉であろう。家来の立場である太郎冠者は狂言の現行曲(げんこうきょく/現在のレパートリー)263曲中、約100曲に登場するヒーローである。この場面は太郎冠者それ自体を紹介しつつ、「狂言の世界に遊びに行こう」というメッセ―ジにもなっている。

この後、藤九郎と安藤常次郎が対談する場面となる。安藤は藤九郎の芸を知り抜いた同世代の狂言研究家である。

続いて〈木六駄(きろくだ)〉の舞台場面となり、大雪のなか12頭の牛(実際には登場しない)を追って峠道を行く太郎冠者が登場する。藤九郎は写実的な演技に定評があったが、ここでは柔らかみも感じられた(後で、藤九郎が自身の狂言を「能と芝居との丁度真ん中、いうなれば崖っぷちギリギリの道を歩むもの」と言っているのが示唆的)。やがて峠の茶屋での小舞(こまい/小品の狂言舞曲)「鶉舞(うずらまい)」になる。この小舞は「鶉舞を見まいな」と語りかける謡(うたい)に応えて、鶉を捕らえようとする様子を謡い舞う楽しいものである。じつは本曲に「鶉舞」を導入したのは藤九郎で、このように狂言の演出を練り上げることにも尽力したのである。

「猿に始まり狐に終わる」という狂言の修業過程を表す言葉から〈靱猿(うつぼさる)〉と、自宅の稽古舞台での〈腰祈(こしいのり)〉の稽古風景が映し出される。それから、能・狂言のルーツを探る目的で、山形県鶴岡市に民俗芸能として伝承されている黒川能(くろかわのう)の映像となる。

最後の狂言は〈川上〉。目の不自由な男が川上地蔵に願を掛け開目(かいもく)するが、悪縁である妻と離別するのが条件であった。別れぬと言い張る妻に従うことにした夫は再び失明してしまう。六世万蔵と藤九郎で完成させたという定評のある名曲で、これによって藤九郎は笑い以外の要素も狂言にあることを言いたかったのであろう。

世阿弥の芸術論の引用など吉田喜重監督の知的興味に基づく脚本や一柳慧による斬新な音楽など、本映画は緻密な構成を見せる。その価値に付け加えるとすれば、昭和の名人と称される善竹弥五郎・三世茂山千作・六世万蔵・三世山本東次郎が皆〈木六駄〉の映像を残しており、本映画では藤九郎の〈木六駄〉が収録された。この点に映画の記録性の意義が示されていよう。

(文中、敬称略)

本映画は1984年、藤九郎83歳の時に撮影された。写真は〈木六駄〉で藤九郎の演じる太郎冠者が大雪のなか12頭の牛を峠道に追うところ。

 

 

 

 

 

 


  1691_001記録映画「狂言師・三宅藤九郎」(1984年制作/32分)
 ▼映画紹介はこちら
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 ※次回は11月11日、「世阿弥の能」をご紹介します。

 ※執筆者 三浦裕子先生(武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長)
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インタビュー記事はこちら

2019年09月25日

 



映画解説 vol.16

映画『伝統の技と心 西出大三 截金の美』

美の考古学

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

001

 

 わたしたち人間は、とかく、今・現在、自分たちが見ているものを基準として、歴史的な過去をイメージしてしまいがちである。特に、仏像や仏画といったいわゆる仏教美術については、そういった傾向が著しいようである。たとえば、仏像の色をイメージしていただきたい。おそらく皆さんは、暗い色や素材である木の色をイメージするのではないだろうか。日本の伝統的な美意識である「侘・寂(わび・さび)」や「枯山水(かれさんすい)」といった芸術様式では渋さや静かさが良しとされることも手伝って、仏像や仏画もそのようにイメージされがちのようだ。

だが、本当にそうだろうか?

  002

 

 かつて人々は、今・現在、私たちが見ている仕方とはまったく別の仕方で、まったく別のものとして、仏像や仏画を見ていたのではないだろうか?これは、哲学に通ずる発想である。哲学とは、今・現在の自分の考え方や感じ方を唯一の正しいものであるという思い込みを捨てることから始まるのだ。

 そういった意味では、西出大三氏は截金(きりかね)師であると同時に哲学者である。西出氏は、現在に残された仏像や仏画の中に、本来の姿の痕跡を発見し、それを手がかりとして仏像や仏画のかつての姿を再現する。そこに現われるのは眩い極彩色の上に金や銀による装飾がほどこされた、繊細かつ華麗な姿である。

 西出氏の仕事は、遺跡や遺物を手がかりにしてかつての人々の生活を再現しようとする考古学者たちの仕事にも通ずるものがある。フランスの哲学者M・フーコー(Michel Foucault  1926年~1984年)は、このような考古学的方法を哲学の世界に取り入れ、それを「知の考古学」と名づけた。西出氏の仕事は、まさに「美の考古学」と呼ぶにふさわしいであろう。

 截金とは細い直線状の金箔や銀箔を貼りつけることによって模様を描く技術である。その技術は高度であるがゆえに受けつがれることが難しく、その伝統は久しく途絶えていた。西出氏は截金の文様を再現して標本化する作業に努め、その文様は実に100種類にもおよぶ。西山氏はさらに、再現された截金の文様を自分自身が製作する作品に活かした。現代の工芸の世界に、「美の考古学」の成果を取り入れたのである。

 かつて人々は、きらびやかな仏像や仏画を見て、なにを感じ、なにを想ったのか。今となっては、私たちがそれを直接知ることはできない。しかし、再現された截金の文様を活かして西出氏が製作した工芸作品を目にする時、わたしたちはもしかしたら、かつて人々が仏像や仏画を見て抱いていたのと同じような想いを、抱くのかもしれない。

 

 

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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「伝統の技と心 西出大三 截金の美」(1986年制作/30分)
映画パンフ
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2019年09月10日

【映画解説(伝統芸能部門)講師のご紹介】

三浦顔写真トリミングimg263映画解説では、弊財団が制作した記録映画に
ついて、各分野の専門家にご寄稿いただき、
映画の見どころやを背景知識などを読者の
皆さまにお届けしております。

来月10月からは、三浦裕子先生を講師にお迎え
し、これまでご紹介してこなかった伝統芸能
分野の映画解説を連載いたします。

三浦先生は能・狂言がご専門で、武蔵野大学
で教鞭を執られるほか、武蔵野大学能楽資料
センター長も務められています。能・狂言をわかりやすく解説した入門書のご執筆や、
能・狂言の楽しみ方や魅力を伝えるイベントへのご出演など、幅広いご活動を展開して、
普及に尽力されています。

今回は、連載に先立ちまして、三浦先生にお話をうかがいました。
三浦先生の映画解説の初回は、10月10日を予定しております。
どうぞご期待くださいませ。

...

財団:伝統芸能の魅力について教えてください

三浦先生:
 一口に伝統芸能と言っても、平安時代の雅楽から江戸時代の人形浄瑠璃文楽・
歌舞伎まで、多種多様なものがあります。私が専門としている能・狂言(能楽)
に引き付けてその魅力を考えると、音楽・舞踊・演劇・美術といった諸要素が
高度に洗練され、それが不可分に結び付いた総合芸術であることがあげられると
思います。室町時代に基礎を築きましたので、先行芸能である雅楽・声明などの
影響を受け、後代芸能の人形浄瑠璃文楽・歌舞伎に影響を与えた点など、芸能史
の流れのなかでちょうどよい立ち位置にあるのも興味深いところです。


財団:三浦先生のご専門・現在の興味関心について教えてください

三浦先生:
 現在は、近代の能・狂言について強い関心を抱いています。それは、初世梅若実
(1828~1909)(現在の四世梅若実氏[シテ方観世流能楽師・日本芸術院会員・人
間国宝]の曽祖父)が幕末から明治末期までの60年間にわたって綴った日記『梅若
実日記』の刊行に際して編集委員として携わったことがきっかけです。この『日記』
を通じて、明治維新の動乱期に能・狂言の役者がどのように困難を克服したのかを
知り、当時と現代の能・狂言との違いを意識するようになりました。芸能は人間の
身体を通じて伝承されていくものですから、当然、変化を伴うものです。どのよう
に変化するのか、それに時代がどうかかわってくるのかなどを、総合的視野をもっ
て考えていきたいと思っています。


財団:当財団の伝統文化記録映画についてコメントをお願いします

三浦先生:
 伝統文化を記録する映画を長年にわたり制作し、映写会などを通じて公開して
いるポーラ伝統文化振興財団の活動は非常に有意義なものと思います。学生時代
(四半世紀以上前になります)、能・狂言を勉強したいと思いつつも、どうアプ
ローチすればよいのかわからず、そのような折に「狂言師・三宅藤九郎」の映写
会に行った記憶があります。今となっては懐かしい思い出ですが、私を能・狂言
の世界に導いて下さった一つの機会となったものでした。
 財団が制作した伝統芸能の映画は4本あります。伝統工芸26本、民俗芸能18本に
比べると少ないものの、4本のうち能1本、狂言2本、文楽1本と、ほとんどが能・
狂言であることが私にとっては大変心強いことです。来月から、これらの映画の
魅力を沢山ご紹介していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。



■執筆者 三浦 裕子(みうら ひろこ)

<経歴>
武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長。
東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。
武蔵野女子大学(現在の武蔵野大学)能楽資料センター助手、
同大学文学部講師を経て現職。

<受賞歴>
名古屋文化振興賞[評論の部]受賞。

<おもな著書・共著>
『はじめての音楽史』(共著。音楽之友社、1996年)
『能・狂言の音楽入門』(音楽之友社、1999年)
『初めての能・狂言』(ショトル・シリーズ、小学館、1999年)
『梅若実日記』(梅若実日記刊行会・編集委員。監修=梅若六郎・鳥越文蔵、全7冊、
  2002年~2003年、八木書店)
『面からたどる能楽百一番』(淡交社、2004年)
『日本音楽基本用語辞典』(共著。音楽之友社、2007年)
『能・狂言』(学校で教えない教科書シリーズ、日本文芸社、2010年)

2019年07月25日



映画解説 vol.15

映画『加賀象嵌 中川衛 美の世界―新たな伝統を創る―』

伝統、あるいは、リズムの融合

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

001

 なんとも心地よい、軽快なリズムが響く。加賀象嵌(かがぞうがん)の第一人者、中川衛氏が鏨(たがね)を鎚(つち)で叩いている。象嵌、文字通り、ある象(かたち)に加工された金属を別の金属に嵌めて作品を創る技術である。この映画を観る者は、あたかも冒頭に響き渡るリズムに誘われるように、二つの「旅」に引き込まれる。一つは、中川氏の故郷であり加賀象嵌のルーツである金沢から、象嵌のツールであるトルコ、さらには象嵌の「未来」へとつながるアメリカへ、という「旅」。もう一つは、氏が象嵌朧銀花器「夕映のイスタンブール」を完成させるまでの「旅」である。さらに二つの旅は、伝統の継承という一つの「旅」へと収束してゆく。

  002(仮)

 あらゆるものはリズムをもっている。生活のリズム、文章のリズム、四季のリズム……。そして、異なるリズムは融合する。二人の人が異なるリズムで手を叩いていても、やがては重なるように。中川氏は、イスタンブールの街の昼から夜へという変化のリズムを、みずからの作品の中に表現する。もちろん、簡単な作業ではない。何度も何度も、鎚を打つ手が止まる。しかしそのたびに、さまざまな工夫によって、氏は新たなリズムを刻み始める。完成した作品は現代的な空間のアクセントとなり、その空間のリズムを変える。

 中川氏は生まれ故郷の金沢で、金沢象嵌のもつ独特のリズムに引き込まれ、高橋介州氏の弟子となる。師と弟子のリズムは融合し、中川氏は師から受け継いだ道具を使って独自のリズムを刻み続けてきた。自分の作品が見た人の癒しとなったり創造性を刺激したりするようなものであって欲しいと、中川氏は語る。また、伝統とは「新しさ」を求めることであり、それが未来に残って伝統となる、中川氏はそう考える。古いもののもつリズムと新しいリズムが融合することによって伝統は続いてゆくのである。中川氏の指導を受ける若者たちは、そのリズムに耳を傾け、自分たちの中で新たなリズムを創造してゆく。そして中川氏もまた、若者たちの想いやアイディアを取り入れることによって、自分の中に常に新たなリズムを創造してゆこうとする。こうして、リズムの融合というかたちで、伝統は続いてゆくのである。

 この映画を通じて中川氏に触れることによって、皆さんの中にはどのようなリズムが生まれるであろうか。

 

 

 

 

003(仮)
004(鳥)

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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「加賀象嵌 中川衛 美の世界 ―新たな伝統を創る―」(2011年制作/39分)
映画パンフ
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2019年07月10日

今年5月まで連載してきた民俗芸能の映画解説では、全18作品について
川﨑瑞穂先生(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)にご執筆いただきました。
本連載では、各地に伝わる祭りの魅力や楽しみ方を、川﨑先生の実体験や
先生ならではの視点から教えていただいておりました。
今回はその総集編②として、2018年8月から2019年5月までの映画解説を振り返ります。
ご高覧下さいませ。


2018年8月10日
映画解説vol.10 他者の顔と交わる夜 映画『端縫いのゆめ―西馬音内盆踊り―』
端縫いの夢









2018年9月10日
映画解説vol.11 人形という多様体 映画『ふるさとからくり風土記ー八女福島の燈籠人形ー』
八女福島の燈篭人形









2018年10月10日
映画解説vol.12 君が望む君は誰が望む君? ―映画『われは水軍―松山・興居島の船踊り―』
われは水軍










2018年11月12日
映画解説vol.13 花祭り、下から見るか?横から見るか?―映画『舞うがごとく 翔ぶがごとく―奥三河の花祭り―』
花祭り









2019年1月5日
映画解説vol.14 身代わりの鬼―映画『国東の修正鬼会―鬼さまが訪れる夜―』
国東の修正鬼会









2019年2月12日
映画解説vol.15 祭礼の部分的つながり―映画『月と大綱引き』
月と大綱引き









2019年3月11日
映画解説vol.16 人形と身体―映画『伊那人形芝居―明日へつなぐ伝承のチカラ―』―
伊那人形芝居









2019年4月10日
映画解説vol.17 まだ会ったことのない音を、探してみる-映画『飛騨古川祭』
飛騨古川祭り









2019年5月10日
映画解説vol.18 模型の戦略―映画『ねぶた祭り―津軽びとの夏―』
ねぶた祭り










【執筆者 川﨑 瑞穂先生の紹介】
2017年10月10日
【映画解説(民俗部門)講師のご紹介】

・映画解説(民俗芸能)総集編①はこちら
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2019/06/minnzokugeinou.html

※伝統文化記録映画の無料貸出はこちら
http://www.polaculture.or.jp/movie/rental.html

2019年06月25日



映画解説 vol.14

映画『鍛金・関谷四郎 -あしたをはぐくむー』

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

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 近代の科学技術は、自然界の物質の中に人間にとって有用なものとなる可能性を見出し、それを活用しつづけてきた。科学技術の対象としての物質は、人間にとって有用なものとしてのみ存在意義を認められるのであり、場合によっては人間の一方的な都合によっていわば「無理強い」をされてまで有用なものに変えられてしまう、「もの言わぬ素材」であるといえよう。そして「無理強い」の結果、現代では本来ならば自然界に存在しない物質さえもが存在するようになっている。ドイツの哲学者M・ハイデガー(1889年~1976年)は、技術というものの本質を「露わに暴く(あらわにあばく)」ことであるとしたが、「暴く」という暴力的な表現は科学技術のこのようなあり方を的確に表現するものであるといえよう。

  00002

 「鍛金家は素材に逆らわない」、「技術はたんなる渡し船のようなもの」、鍛金家の関谷四郎氏はそう語る。つまり、関谷氏は素材に「無理強い」をしないのである。「人それぞれに個性があるように、金属も個性をもっている」、関谷氏の仕事は、金属という素材に秘められた個性を発見することなのであり、いわば素材の「声」を聴いて素材と「対話」することなのである。

素材に「無理強い」をする技術と、素材と「対話」をする技術と。この二つを決定的に異なるものとしているのは、おそらく「美意識」の有無なのだ。関谷氏の仕事は、素材に「新しい美」を与えることであるという。しかし、美意識をもつ、ということは、ただたんに美しい作品をつくり出す能力や作品の美しさを理解する能力をもつ、ということだけを意味するのではない。素材とのかかわり方、技術の用い方など、工芸家としてのみずからのあり方そのものを吟味する能力をもつ、ということなのだ。

「吟味のない生は人間が生きるに値する生ではない」とはプラトン(BC427年~BC347年)が伝えるソクラテス(BC469年頃~BC399年)の言葉であるが、たしかに、みずからのあり方を吟味する能力をもつものは、少なくとも現在のところは、人間だけである(もっとも、いわゆるAIをめぐる「技術」が今後どのように進歩するのかはわからないが)。

だからこそ関谷氏の言うように「鍛金を工芸品にまで高めるためには、技術の練磨も必要だが、同時にまた人間の修行も大切」なのである。伝えられなければならないのは、工芸家として「みずからのあり方を吟味する」という人間に固有の能力なのであり、後継者を育成するということはまさに人間らしい人間を育てるということなのである。そういった意味では、関谷氏の仕事はまさに、人間らしさが生き続ける「あした」をはぐくむことなのである。

 

 

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

1971年生まれ。千葉県柏市出身。上智大学大学院博士後期課程修了。博士号取得後は上智大学等で哲学、倫理学、宗教等の授業で教鞭を執る。また「哲学対話」の普及・実践にも力を注いでいる。

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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「鍛金・関谷四郎 -あしたをはぐくむ-」(1983年制作/30分)

関谷表紙映画紹介はこちら
無料貸出はこちら

 

 

 

 

 

 

 

2019年06月10日

今年5月まで連載してきた民俗芸能の映画解説では、全18作品について
川﨑瑞穂先生(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)にご執筆いただきました。
本連載では、各地に伝わる祭りの魅力や楽しみ方を、川﨑先生の実体験や
先生ならではの視点から教えていただいております。
今回はその総集編①として、2017年10月から2018年7月までの映画解説を振り返ります。

映画解説で取り上げた全作品について、弊財団では無料貸出を行っており、
上映会や勉強会でのご利用も受けたまわっております。
ぜひ今一度ご高覧いただき、日本伝統の祭り行事の魅力にふれていただければ幸いです。

次回は7月10日に、総集編②を紹介します。

2017年10月10日
映画解説 vol.1 オロチの神楽と変装=変奏の妙 ―映画『神々のふるさと・出雲神楽』
出雲神楽









2017年11月10日
映画解説 vol.2 再び見出された祭礼の意味 映画『秩父の夜祭り―山波の音が聞こえる―』
秩父の夜祭り









2017年12月10日
映画解説 vol.3 緩急織りなす芸能の時間 映画『新野の雪祭り』
新野の雪祭り









2018年01月10日
映画解説 vol.4「まつり」と「きまり」 映画『神と生きる―日本の祭りを支える頭屋制度―』
神と生きる









2018年02月10日
映画解説 vol.5 民俗芸能のオニが教えてくれること 映画『鬼来迎 鬼と仏が生きる里』
鬼来迎









2018年03月10日
映画解説 vol.6 曳山、あるいは東西文化のタペストリー 映画『‐琵琶湖・長浜‐曳山まつり』
長浜曳山まつり









2018年04月10日
映画解説 vol.7 燃え盛る祭りの想像力 映画『炎が舞う-那智の火祭り-』
那智の火祭り









2018年06月11日
映画解説 vol.8 偏りと出会いから生まれる世界 映画『若衆たちの心意気-烏山の山あげ祭り』
烏山の山あげ祭り









2018年07月11日
映画解説 vol.9 イーハトーブの身体技法 映画『みちのくの鬼たち-鬼剣舞の里-』
鬼剣舞











【執筆者 川﨑 瑞穂先生の紹介】

2017年10月10日
【映画解説(民俗部門)講師のご紹介】

※伝統文化記録映画の無料貸出はこちら
http://www.polaculture.or.jp/movie/rental.html

2019年05月10日


映画解説 vol.18

模型の戦略

映画『ねぶた祭り―津軽びとの夏―』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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 空想の世界を模型化すること、それは今にはじまったことではない。日本を代表する祭りの一つとして知られる「ねぶた・ねぷた」では、毎年様々な趣向の燈籠が登場する。歴史上の、あるいは伝説的な人物を題材とするものもあれば、神話に取材したものも多い。プラモデルならば、説明書通りに作ればつねに同じものが完成するはずだが、ねぶたは複製ができない。江戸時代には絵本を元に「凧絵師」が描き、今では「ねぶた師」や「絵師」と呼ばれる専門家が、毎年下絵から、つまり説明書自体から制作しているのである。今回紹介する映画『ねぶた祭り―津軽びとの夏―』は、津軽の寒い1月から始まるねぶた作りを詳細に辿り、あの美しい「模型」がどのように誕生するのかを教えてくれる。

 

 見惚れるほどの筆さばき。プラモデルの塗装に悪戦苦闘していた私に言わせれば、「神の領域」である。日差しが緑から流れ落ちる夏。青森港近くの「ねぶた小屋」では、「面書き」という最後の作業に入っている。緊張の作業が続いたねぶた師の顔には、疲れの色が見えている。入道雲が伸びる8月2日、「青森ねぶた」初日。完成したねぶたが台に載る。ねぶたのまわりには、このねぶただけに登場する踊り手「跳人」(はねと)と、子ども達の姿。夜7時頃、大行列が力強く太鼓を打って進み始め、いよいよ大型ねぶたの登場となる。回転し、上下に動き、観衆を魅了するねぶたと、跳人の熱狂的な踊りが交互に打ち寄せる。上空から見下ろす迫力のねぶたは、本作ならではの光景である。

 

 8月の津軽地方にはたくさんのねぶたが現れる。本作ではねぶたに深く関係しているとされる農耕儀礼も紹介される。巨大な藁の蛇が曳行される「五所川原の虫送り」。夕暮れの河原にきらびやかな行列がゆく「横手のねむり流し」。そして美しい絵が町中に並ぶ「湯沢の七夕絵灯籠」。さらには弘前や黒石の扇型の「ねぷた」や、その最古の図も見せてくれる。かくも広範囲に伝わるねぶたを、本作では分布図によってわかりやすく図示するだけでなく、県外の例として秋田県の「花輪ねぷた」なども紹介している。眠気をさそう妖怪を流す民俗行事「ねむりながし」に由来するともいわれる「ねぶた」。「能代ねぶながし」をはじめとして、多くのねぶたは最後には火をつけられ、水に流されていた。ガンプラ(ガンダムのプラモデル)にバトルダメージを施すどころの話ではない。本作には、ねぶたを流した後の歌を記憶する人物による、貴重な歌声も収録されている。

 

 アニメ『ガンダムビルドファイターズ』(2013~2014)では、キャラクターたちが「実際の」ガンダムに乗って戦うのではなく、ガンプラを仮想空間で操縦して戦う。アニメの中のガンダム自体が「模型  Simulacre」である本作は、模型の対象自体が模型になるという、現代社会の特徴を如実に物語っている。これに対しねぶたでは、模型の対象自体はほとんどが実在しないのに対し、ねぶた自体はつねに「リアル」なものである。最近ではアニメやゲームのキャラクターがねぶたとなって登場することもあるが、彼らもねぶた師の手にかかれば複製不能な唯一無二のモノとなる。そのモノたちは、まさに毎年生まれるモノであり、技を伝え続けなければ生まれないモノでもある。「消費」でも「保護」でもなく、あくまで「蕩尽」されるねぶた。その眼は、「ハイパーリアル  Hyperréel」な現代社会の先を見据えているのかもしれない。

 

 

青森ねぶた
(2018年筆者撮影)

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跳人(はねと)
(1992年ポーラ伝統文化振興財団撮影)

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弘前ねぷた
(2018年筆者撮影)

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キャラクターのねぷた
弘前市のゆるキャラ、たか丸くん
(2018年筆者撮影)

1217_001記録映画「ねぶた祭り-津軽びとの夏-」(1993年制作/34分)
映画紹介はこちら
無料貸出はこちら

※次回は6月10日、映画解説(民俗芸能)の総集編をお届けします。

 

2019年04月25日

2018年9月より連載している映画解説では、伝統工芸の映画を
佐藤典克先生(公益社団法人 日本工芸会正会員・日本陶芸美術協会 幹事)にご執筆いただいています。
今回はその総集編②として、2018年12月から2019年2月の映画を振り返ります。
陶芸家たちがなにを考え、その技を磨いてきたのか、佐藤先生の感性から描かれた伝統工芸の歩みを
今一度ご覧ください。

 
表紙2018年12月25日
映画解説(工芸部門)vol.11   映画『十三代今右衛門 薄墨の美』

https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/12/moviem11.html

 

 

 

 

 
Saigo2019年1月25日
映画解説(工芸部門)vol.12  映画『志野に生きる 鈴木藏』

https://polaculture.weblogs.jp/blog/2019/01/moviem12.html

 

 

 

 

 

清水映画2019年2月26日
映画解説(工芸部門)vol.13  映画『備前焼 伊勢﨑淳の挑戦 -伝統と革新のはざまでー』

https://polaculture.weblogs.jp/blog/2019/02/moviem13.html

 

 

 

 

【執筆者の紹介】
佐藤 典克先生

HP:http://www.s-nori.com/

 

2019年04月10日


映画解説 vol.17

まだ会ったことのない音を、探してみる
映画『飛騨古川祭―起し太鼓が響く夜―

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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 太鼓が画面いっぱいに映し出される映画の冒頭。まるで「祭りの音」こそが主人公であると宣言しているかのようである。今回紹介する映画『飛騨古川祭―起し太鼓が響く夜―』は、岐阜県飛騨市古川町・気多若宮神社(けたわかみやじんじゃ)の例大祭「古川祭」を、「起し太鼓」(おこしだいこ)という神事を中心に描き出した作品である。この神社、古川を「聖地」とするアニメ映画の舞台の一つともなっている。『君の名は』(2016)の秋祭りの場面では、他県で実際に伝承されている祭囃子が使用されており、ある人にとっては郷愁を、あるいは旅情をかきたてる一幅の絵巻のように響くかもしれない。だが「祭りの音」といっても、屋外の祭りの喧騒が、自室で静かに映画を観るあなたの耳に届いたならば、日常生活のリズムをかき乱す「雑音」と化すかもしれない。祭りの音、君は誰?

 本作前半では、酒職人、和蝋燭職人、そして提灯職人といった、アルチザンたちの音が響き渡る。昔日の職人が手掛ける提灯を介して祭礼の世界に入っていく本作は、生活の音と祭りの音がシームレスであったことを言外に物語る。3月、古川祭を象徴する「起し太鼓」の奏者、「太鼓打ち」が決められる。起し太鼓では、櫓(やぐら)に乗せられた巨大な太鼓が登場し、太鼓打ち2人はそこに跨り、地上約3メートルの高所から木刀のような撥(ばち)を交互に振り下ろす。ここでは、柳の枝から撥を作り出す、太鼓打ちたちの受け継いできた手仕事を垣間見ることができる。そして4月の祭礼前日。たった一度きりという起し太鼓の稽古からは、集中力が画面を通してもひしひしと伝わってくる。

 ついに19日、「試楽祭」当日。道行きの囃子がこだまする中を屋台が巡る。「かたわれ時」(黄昏時)を過ぎ、いよいよ起し太鼓の登場である。先ほどの2人はまるで機械のように、その鍛え上げられた肉体をゆっくりと動かす。規則正しいその動きと見事なコントラストを成しているのが、「付け太鼓」と呼ばれる、櫓の下に群がる小さな太鼓とその担ぎ手たち。彼らは櫓にどれだけ接近できるかを競っているのであり、喧嘩の場面もみられる。そこに周りの大観衆の歓声が渦巻く。ここでは、上方に規則的な「音」が集中し、下方に無秩序な「音」があふれる。祭りの音、それは単なる雑音の総体ではない。秩序としての音を無秩序としての歓声が包み込むという、精巧な構造を宿しているのである。祭りは見るだけではなく、聴くものでもあるのだ。

 本作は冒頭、「古川やんちゃ」とよばれる職人たちの頑固な気性を、祭りと社会に共通する地域性として描き出していた。「やんちゃ」、それは社会的な秩序をほどよく攪乱する試みである。やんちゃな彼らが響かせる「音」。それは秩序を作ると同時に侵犯する一種の「儀礼」であり、かつ「社会」という象徴秩序の相似形でもある。古川の自然の音、匠の音、そして祭りの音。都会の日常生活のリズムにとって、ともすると雑音にも感じるかもしれない音たちが、本作には横溢している。「雑音Bruits」、それはあるメッセージを聴くことを妨げる音たちの別名だが、その雑音自体に耳を傾けるとき、それらは、われわれがまだ聴いたことのないようなメッセージを伝えてくれることだろう。

映画『君の名は』にも登場する気多若宮神社の参道

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古川最後の提灯職人・故白井久次郎氏

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起し太鼓の櫓

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付け太鼓

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  1168_001記録映画「飛騨古川祭―起し太鼓が響く夜―」(1992年制作/35分)
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※次回は5月10日、「ねぶた祭り―津軽びとの夏―」をご紹介します。

 

2019年03月25日

2018年9月より連載している映画解説では、伝統工芸の映画を
佐藤典克先生(公益社団法人 日本工芸会正会員・日本陶芸美術協会 幹事)にご執筆いただいています。
今回はその総集編①として、2018年9月から11月の映画を振り返ります。
陶芸家たちがなにを考え、その技を磨いてきたのか、佐藤先生の感性から描かれた伝統工芸の歩みを
今一度ご覧ください。

次回は4月25日に、総集編②を紹介します。

 

  近藤悠三_表紙2018年9月26日
映画解説(工芸部門)vol.8   映画『呉須三昧ー近藤悠三の世界ー』

https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/09/moviem12.html

 

 

 

 

  藤本0000012018年10月25日
映画解説(工芸部門)vol.9  映画『藤本能道の色絵磁器ー釉描加彩ー』

https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/10/moviem9.html

 

 

 

 

  清水映画2018年11月25日
映画解説(工芸部門)vol.10  映画『土と炎と人とー清水卯一のわざー』

https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/11/moviem10.html

 

 

 

 

【執筆者の紹介】
佐藤 典克先生

HP:http://www.s-nori.com/

 

2019年03月11日


映画解説 vol.16

人形と身体
映画『伊那人形芝居―明日へつなぐ伝承のチカラ―

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

伊那人形4

 

 長野県南部の伊那谷と呼ばれる地域では、関西方面から将来された人形芝居や歌舞伎が娯楽として根付き、今日まで様々な民俗芸能として伝承されてきた。一時は30か所以上で行われていたとされる人形芝居も、今では4か所のみとなっており、それらも衰退、断絶を経て今に至る。今回紹介する映画『伊那人形芝居―明日へつなぐ伝承のチカラ―』では、これらの人形芝居が辿った別様の道を描き出している。若者の関心が離れていき、女性の積極的な参加によって伝承されるようになった早稲田人形。クラブ活動に力を入れて若者による継承を目指す今田人形・古田人形。持ち前の反骨精神で継承する黒田人形。各々の道は、民俗芸能の直面する今日的問題とその解決の可能性のいくつかを提示しており、各地の現状を考える上でも有益な記録となっている。

 本作でクローズアップされているのは、次世代を担う若者たちの活躍である。クラブ活動を垣間見ると、人形を扱う若者たちは、伝承者の操作を模倣することを通して、その動かし方を学んでいる。「もっと迫力がないとだめ、観る人はみんな話を知っているのだから」、と伝承者の厳しい指導が入る今田人形。96歳の女性と中学生たちの見事な競演は、その練習の成果である。人間によって操作される道具(マニプランダmanipulanda)としての「人形」が、ここでは「伝承者」と「後輩」という、異なる身体(しんたい)を結んでいる。人形や、その操作を教えるための文化的な「道具」たる言語によって、彼/彼女らは人形芝居という共同作業の中で自己を超越し、ひいては共同的な身体として生きることとなるのである。

 人形芝居の上演。そこでは人形という媒介によって他者の身体が私の身体の延長と化し、人形遣いたちは字義通り「三位一体」の感覚を得るわけであるが、人形芝居という共同作業に対する「関心」という次元では、共同体の成員全てが一致しているとは限らない。早稲田人形を眺める高校生の、関心から無関心までの様々な表情。同じその人形芝居を泣きながら観るお年寄りの表情。そして、義太夫節をお茶畑で口ずさむ女性太夫の温かな表情。人々の多様な意識がせめぎあう中で人形芝居が上演されていることを、それらの表情は物語っている。人形への関心の「不均衡」が増大し、ある時代には伝承の危機を迎えることもある。だがその段階ではじめて、人は人形(芝居)の向こう側に絶対的な他者がいたことを思い出すのであり、異なる価値観を有する他者との関係性の新たな構築が始まるのである。

 早稲田人形では中学生の創作による演目「田番叟」(たんばそう)が生まれ、今田人形では新たな世代のために現代語訳の演目が生まれ、さらにはその「危機」からの復活自体が、本作という「物語」を成立せしめてもいる。いつの時代も、人形自体は何も語らない。しかし、少なくともその人形を動かし、言葉を吹き込むことによって、彼/彼女らが何らかの形で「他者」に向かい合っていることは確かであり、そこにおいて自己/他者の身体もまた、確かな「存在」となるのである。かくも両義的なる存在としての「身体」が、「人形」という擬似的な身体を通して顕現する場、それが「人形芝居」であると言えるかもしれない。

黒田人形

伊那人形2

今田人形の中学生たちと金井美昇(金井はま子氏)(写真右奥の4名)

伊那人形3

古田人形

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早稲田人形の創作演目「田番叟」

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  1022_001記録映画「伊那人形芝居―明日へつなぐ伝承のチカラ―」(2010年制作/36分)
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※次回は4月10日、「飛騨 古川祭―起し太鼓が響く夜―」をご紹介します。

 

2019年02月26日



映画解説 vol.13

映画『備前焼 伊勢﨑淳の挑戦 -伝統と革新のはざまで-』

 

佐藤 典克

(公益社団法人 日本工芸会正会員 日本陶芸美術協会 会員)

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 400を超える作家がひしめく町、岡山県備前市伊部(いんべ)。ここに1000年続いた備前の穴窯を今も燃やし続け炎を操るひとりの陶芸家がいる。重要無形文化財保持者 伊勢﨑淳、その人である。伊部から世界を震わせる備前焼を生み出したい、と挑戦する氏の姿を描いた本作を紐解いていこう。

 父の陽山は陶芸家であった。昭和35年に南大窯の原型ともいえる穴窯を発見したことがきっかけで、晩年は穴窯の復元に費やした。しかし、完成した直後に他界。その初窯を託されたのが当時教師として働いていた惇(あつし)である。惇は仕事を辞め、伊勢﨑淳としてこの穴窯とともに陶芸作家の道を歩み始めるのであった。

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 自身について「性格的におおざっぱですから、荒っぽいですよ。でもそれなりに生かしていくのです。」と語る氏は、作品に偶然性と美術の要素を織り交ぜる。備前焼に使用する粘土にも美学を持っていた。備前焼特有の雨水に流され粒子の細かくなった〈田土〉と呼ばれる粘土と、粒子が荒く小石が混入した〈山土〉をブレンドし、備前の美しさがより際立つよう調整していく。

 学生時代にはスペインの画家ミロに魅了され、35歳の時に彼の故郷カタルーニャを訪れた。スペインの片田舎でその風土から生まれた作品が世界を感動させている、という事実が氏の魂を大きく揺さぶったのだと言う。伊部の地に生まれ、歴史ある備前・岡山・吉備国の風土から作品を生み出していくことを決めた瞬間であった。

 焼成前に作品を窯に並べる際には、藁を巻き、転がしてみたり、向きをずらしてみたり、素焼きの板を乗せ影ができるようにする。こうすることによって炎の当たり具合や影から器に映る景色が変わってくる。8~9割は思い描いた模様になるのだが、残りの1割を窯の神にゆだねることで偶然性による美しさが生まれる。

 登り窯の窯炊きはおよそ12昼夜にも及び、10日目に窯の中が1000℃を過ぎたころから器の肌はまるで透き通ったのかのように輝き出す。11日目には引き出し、大焚き、横焚きを行う姿が丁寧に描かれている。備前焼で最も価値があると言われる窯変(桟切り)を作り出すこれらの工程は重要だ。

 そうして焼きあがった作品は、炎がよく当たる部分は赤褐色、灰で覆われていた部分は黒く、その境目は灰青色と、美しい姿をあらわす。

 氏の代表作ともいえる古代への叙事碑、炎と土の記憶「吉備幻想」。岡山の地に霧大国と呼ばれる古代文明が存在していた証として発掘された特殊器台から生まれた奔放なオブジェである。この作品の制作により、氏は備前では誰も成しえなかった世界へと駆け上がる。

 だが氏は備前焼作家として名を馳せてもなお、より積極的に、より広く世界とのつながりを求めた。国内外や他産地の作家を備前に招き、穴窯を紹介し同じ伝統工芸作家の現状や将来を語る交流を大切にしたのである。氏が後世伝承への強い気持ちを持つように、同じ志を持つ者も多い。14代 酒井田柿右衛門氏は「素材の深み、味を大切にしてほしい。そしてそれを若者たちに大きな声で伝えたい。」と語った。他にも、氏は地元の芸術大学公開講座で備前の魅力を若い世代に伝え、知識や経験を惜しみなく語ることもあった。

 

 伊部から世界を震わす備前焼を生み出したい。そんな氏の想いが備前焼1000年の歴史に革新を加え、また新たな備前焼の伝統となってゆく。

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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「備前焼 伊勢﨑淳の挑戦 -伝統と革新のはざまで-」(2007年制作/33分)

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2019年02月12日


映画解説 vol.15

祭礼の部分的つながり

映画『月と大綱引き

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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  今回紹介する映画『月と大綱引き』は、懐かしい思い出があふれてくるような、小学校の運動会の風景から始まる。綱引きの不思議な感触、匂い、砂ぼこり。あの日、劣勢であった私の陣営の誰かが「せーの!」と声を掛けたとたん、みるみる綱が下がっていき、逆転勝利となったことを思い出す。あの時ほど人の力が合わさることの恐ろしさを感じたことはない。「いまはゲームとして楽しまれていますが…」という意味深長なナレーションによって幕を開ける本作は、われわれが引いたその綱が、悠久の刻を越えて過去と現在を結ぶ「世界線」であったことを教えてくれる。

 

  本作では日本の綱引きとして、北から秋田県大仙市の「刈和野の大綱引き」、鹿児島県枕崎市・南さつま市旧坊津町・南九州市旧知覧町の「南薩摩の十五夜行事」、そして沖縄本島(沖縄県島尻郡与那原町)の「与那原大綱曳」を紹介している。また、比較対象として韓国慶尚南道(キョンサンナムド、けいしょうなんどう)の「霊山の綱引き」や中国湖南省の芸能、さらにはインド古代神話までも採り上げており、われわれに馴染みの深い「綱引き」というゲームが、いかに世界各地に広がっているのかを知ることができる。それぞれの綱はわれわれが引っ張ったあの綱の何倍もの太さ、長さであり、人数も運動会の比ではない。「なぜ海を越えて広がっているのか」「類似をどう理解すればよいか」「なぜ綱を引くのか」、本作は問いと仮説を謎解きのようにつないでゆき、スリリングな知的冒険を楽しませる。

 

  「比較」という手法には、材料を増やしすぎると一つ一つの情報量が減少し、一つにフォーカスしすぎると他の情報量が減少するという問題がつきまとう。どちらも全体の情報量は一定であり、大事なのはバランスであるが、本作では薩摩半島の事例を地区ごとにいささか詳細に辿っており、このマクロとミクロの情報量の調停が計られている。地区ごとの差異がわれわれに教えてくれるのは、綱の両サイドの陣営が「置き換え可能」であることだ。秋田県では地区同士の対決であったが、鹿児島県のある地区では子どもと青年、ある地区では男性と女性になっている。綱引きの行事において共通しているのは「要素」ではなく、「白/赤」といった二項対立の「関係」だということがわかる。

 

 本作のタイトルは「月と大綱引き」。採り上げられている綱引きには旧暦の15日、すなわち満月の日の行事が多く、本作は月への信仰と綱引きとの関係に注目している。ただ、綱引きを考えるうえでは同一性より差異が面白い。本作の冒頭と最後に紹介される秋田県の例は、いわば雪国の冬の綱引き(現在は2月10日)であるのに対し、鹿児島県や沖縄県の例は、いわば南国の夏(8月)のそれである。多彩なそれらの祭礼は、伝承地域の歴史や環境といったコンテクストからそれぞれ多様な意味を引き出しているが、「綱引き」というある一点において、他地域、あるいは他国の祭礼とつながっている。そのつながりはあくまで「部分的」なのであって、その部分的つながりを紡いでいき、部分的な他者とのつながりを見出していくこと、それが言外に語られた本作の狙いではなかろうか。

 

 

「与那原大綱曳」(沖縄県)

綱引き4

「刈和野の大綱引き」(秋田県)

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「南薩摩の十五夜行事」(鹿児島県旧坊津町

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網で作られる月の輪(旧坊津町)

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  0924_001記録映画「月と大綱引き」(1990年制作/33分)
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※次回は3月11日、「伊那人形芝居―明日へつなぐ伝承のチカラ―」をご紹介します。

 

2019年01月25日



映画解説 vol.12

映画『志野に生きる 鈴木藏』

 

佐藤 典克

(公益社団法人 日本工芸会正会員 日本陶芸美術協会 会員)

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 日本特有の白い肌に様々な緋色を景色とみる志野の伝統的な手法。その中に創意を込め現代志野を生みだした鈴木藏(1934年~)は、平成6年に重要無形文化財保持者、人間国宝に認定された作家である。氏の造形からは漢字の彫りや幾何学模様、自然の断崖絶壁や岩石、また郷土の僧 円空座像を想起させるなど多様な美の内面を感じることができる。

 本編は昭和60年の「流旅転生」をテーマに制作した食器揃に次ぐ挑戦で、3色の粘土による異なる緋色で季節を表現する懐石用和食器一式の制作工程を追いながら、氏の作品と志野の歴史までを掘り下げていくものである。

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 テーマは「春夏秋冬」、まずは継色紙風の志野大皿を制作する。継色紙とは色紙を装飾的に継ぎ合わせた様式のことで、氏は異なる土をそれに見立て作品を作り上げていく。ふわふわとした感触のもぐさ土をベースとして収縮率の違う土を組み合わせるという作業は、この制作の困難さを物語っていた。

 今回は懐石用和食器一式の制作工程ということで、他にも様々な作品や業が紹介される。「隅切り向付」は轆轤を曳いた後に、土で作った型(土型)を用いて形を整えていく手法である。土型成型は桃山時代から続く手法であり、それに倣う氏の姿からは志野の歴史への畏敬が見て取れた。

 

 桃山時代、千利休が侘茶を大成させ茶陶の需要が増す中で特定の名称を持たず誕生した志野。その後、利休の弟子であった古田織部は豊臣秀吉の好みを取り入れ斬新なデザインの織部陶を作り出すも、徳川の時代となると雅茶の影響により姿を消していった。そんな志野・織部がよみがえったのは約300年後。荒川豊三(1894~1985)が美濃の大萱の窯跡で志野筍絵筒茶碗と同じ文様の陶片を発見したことがきっかけである。

 そんな荒川豊三氏と鈴木氏が巡り合ったのは、氏が多治見工業高校窯業科を卒業した後であった。昭和34年、24歳の時には日本伝統工芸展に出品し入選や入賞を果たしていく。そして平成6年、ガス窯による志野の焼成の可能性を明らかにし、「志野」で人間国宝に認定された。

 ガスの量と空気の量のコントロールがしやすいということは窯変や緋色がコントロールしやすいに違いないとこだわり続けたガス窯は当時5機目であった。当初はステンレスのバーナー火口しかなく窯の保温性も乏しく試行錯誤を繰り返したが、ニューセラミック時代を迎えたことで、長時間焚き続けても支障がないバーナー素材や蓄熱効果の高いレンガが開発された。

 「焼き物は化学であり現代の火を使うガス窯であっても結果は読めるものではない。点火の後、窯の神に祈るのは今も昔も変わらない。」と氏は窯の前で手を合わせる。捨て焙り・焙りを経ると、寝ずの番を要する5日間の焼成の始まりであった。

 意図せず志野に出会い、長年ぶつかり続けてきたと語る鈴木氏は、志野とは日本人の物の考え方や美意識が凝集されたものであり、志野を掘り下げることにより学び得るものがあると語っている。さらなる創意を込めた現代志野への挑戦は、志野から学ぶ鈴木氏の姿そのものといえよう。

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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「志野に生きる 鈴木藏」(2000年制作/33分)
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2019年01月05日

 

 



映画解説 vol.14

 身代わりの鬼

映画『国東の修正鬼会―鬼さまが訪れる夜―』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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修正鬼会の鬼(岩戸寺)

 

 

 鬼が登場する民俗芸能は列島各地に伝承されている。鬼に類似するものまで含めるならば、海を越えてさらに広く分布しており、その表現も地域によって千差万別である。ポーラ伝統文化振興財団が制作した民俗芸能の記録映画のうち、実に5本もの作品で鬼が重要な役割を演じている。その中の一つである『国東の修正鬼会―鬼さまが訪れる夜―』では、大分県国東半島の山々、いわゆる「六郷満山」(ろくごうまんざん)に伝わる「修正鬼会」(しゅじょうおにえ)という芸能をとりあげている。この祭礼には、厄払いをする変わった顔の鬼が登場する。追い祓うモノではなく、福をもたらすモノである六郷満山の鬼。本作をたよりに「鬼」の意外な横顔をのぞいてみよう。

 

 冒頭、上空からの映像で国東半島と六郷満山を紹介し、この地に伝わる修正鬼会の歴史を紐解いていく。「鬼会」は、奈良時代の養老年間(717~724)に、仁聞(にんもん)菩薩が『鬼会式六巻』を伝授したことに始まるとされる。全国の寺院では、1月のはじめに「修正会」(しゅしょうえ)という法会が挙行されるが、その一環として、悪い鬼を追い払う「追儺会」(ついなえ)が行われていた。この追儺会が2月3日の節分の起源であるとされているが、「修正鬼会」はこの「修正会」と「鬼会」が習合したものであるとされる。明治時代以降衰退し、いまでは岩戸寺(いわとうじ)のほか、成仏寺(じょうぶつじ)と天念寺(てんねんじ)に残るのみとなっており、本作は、奇数年の旧暦1月7日直近の土曜日の午後3時頃から行われる、岩戸寺の修正鬼会を中心にまとめている。

 

 祭りの日、法螺貝を吹きながら、僧侶たちが岩戸寺にやってくる。行列には囃子も伴われている。午後には「昼の勤行」(ごんぎょう)となり、「大松明」(おおだい)に火がつけられる。「夜の勤行」に入ると、囃子のテンポも速くなり、僧侶も住民も踊りだす。この祭礼に登場する鬼は仏が化身したものであるとされ、夜中には2人の僧侶が岩屋に入り、角がある災払鬼(さいばらおに)と角がない鎮鬼(しずめおに)となる。「オニハヨー、ライショハヨー」という掛け声が鬼と人との間で飛び交う。意味は不明であるというが、不明であることに意味があるだろう。放たれた鬼と介添え役のタイレシ(松明入れ衆)は、寺から飛び出して村に駆け下り、それぞれの家で安全を祈り、仏を供養していく。

 

 この地域では、鬼は「おんさま」として親しまれており、鬼がお年寄りのリウマチの平癒を祈るシーンは印象的であるが、夜の村を走り回った鬼は、最後に「鬼鎮め」でとりおさえられてしまう。なぜ鬼は、年の初めに呼び出されて福をもたらすにもかかわらず、追い払われてしまうのだろうか。同じ人間の、一人を「鬼である」とするあの単純な遊び、「鬼ごっこ」にその謎を解く鍵があるかもしれない。子どもの頃、われわれは「じゃんけん」という儀礼によって選ばれた鬼役によって仲良くなることができたが、かりにその鬼役が、強力な霊力をまとったまま帰宅してしまったら興醒めだったに違いない。鬼に仮託されるのは、そういった人間の根源的な、アンビヴァレントな感情そのものである。人間の、ある意味では弱い部分を芸能や遊びとして昇華/消化する鋭意、それは修正鬼会や鬼ごっこを繰り返すなかで伝えられてきた、先人たちの知恵なのかもしれない。

 

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六郷満山の情景

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勤行の風景

 

 

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各家を廻る鬼

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


鬼会記録映画「国東の修正鬼会―鬼さまが訪れる夜―」(1981年制作/30分)
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※次回は2月12日、「月と大綱引き」をご紹介します。

2018年12月25日



映画解説 vol.11

映画『十三代今右衛門 薄墨の美』

 

佐藤 典克

(公益社団法人 日本工芸会正会員 日本陶芸美術協会 会員)

001今右衛門

 今泉家は江戸時代より代々鍋島藩の御用赤絵屋として、色鍋島の赤絵の技術を伝えてきた。そんな今泉の家に生まれた13代今泉今右衛門は、伝統的な色鍋島を継承する一方で色絵磁器の創作的な可能性を模索し続け、「吹墨・薄墨」を用いて平成元年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された陶芸作家である。

 個人指定とは別に重要無形文化財色鍋島の総合指定も受ける今泉家だが、かつては廃藩置県により藩の窯が無くなり赤絵の御用もなくなった過去を持つ。しかしながら、明治6年には10代今泉今右衛門によって古伊万里様式の磁器の一貫生産が開始された。それを端緒として、今でも多くの職人とともに一貫した分業的工程を守り江戸時代からの技法を継承し続けている。

002今右衛門

 13代今泉今右衛門、善詔(よしのり)は大正15年に生まれ、有田工業で轆轤を学び東京美術学校の工芸図案部へ進学した。翌年、有田へ帰省する途中に仲間たちと訪れた奈良で見た飛鳥・天平時代の仏像の初々しい美しさに衝撃を受け、その時の感動はその後の氏の支えとなったという。

 戦後間もなく有田に戻ったのは23歳の頃。今右衛門を待っていたのは、家業が経済的に困窮し悪戦苦闘する厳しい日々である。その中にいても、伝統と創作の狭間に苦しみながら挑戦をやめることはしなかった。今右衛門窯や色鍋島の影響から逃れることができず大いに苦戦しながらも、「鉄筆で描いたような堅苦しい線、裃を着たような雰囲気を崩しもっと柔らかい線を取り入れたい」と願い作品を作り続けた。

 色絵手毬花紋鉢である。昭和40年、第12回日本伝統工芸展で日本工芸会会長賞を受け、色鍋島の中にある新しさを見つけると同時に、父のもとに踏みとどまり色鍋島を継承していく覚悟を決めた。その影響からか今泉善詔を名乗り制作をしていた40代の作品は、伝統的な技法を踏襲しながらも写生を元にした感覚的で斬新な構成が多くみられる。

 当時から度々発掘をしていたという氏は、まだ精製技術も確立されない時代の土のにおいが残った素朴で柔らかい表情の白磁に若い頃からあこがれを抱いていた。飛鳥時代の仏像に感じたうぶで素朴な美しさと、初期伊万里のラフで粗削りな美しさ、この二つを融合したような新しさを表現できないかと模索し続け、最後に思いついたのが染付の「吹墨」であった。

 昭和50年制作、色絵吹墨蕪文花瓶。磁器特有の冷たい研ぎ澄まされた印象を吹墨の微妙な色むらが打ち消し、氏の想いが形となって表れている。その後も「薄墨」「吹き重ね」と、今までの概念を取り払いながら伝統の中に新しさを発見していった。

 完成した色鍋島には静かで落ち着いた渋い紬の色合いが滲み、吹墨で生み出された新しい表現を物語っていた。

 60代になると、氏の作品には美術学校時代より好きだったという更紗文が多く登場する。「プリントのようにきちっとしていないからこそ、堅苦しさのない自分だけの文様が生み出せるにちがいない」と新しい色鍋島、色絵について語り、その姿は歴史ある今泉家の課題「伝統と創造」「伝統工芸の在り方」に応える13代今泉今右衛門の生きざまそのものであった。

 本編では13代今泉今右衛門の創作過程が具体的にわかりやすく描かれており、その工程も内面的な変化と共に楽しむことができる。是非一度はご覧になってはいかがだろうか。

 
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 作品① 色絵手毬花紋鉢
004今右衛門
 作品② 色絵吹墨蕪文花瓶
005今右衛門


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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  表紙記録映画「十三代今右衛門 薄墨の美」(1994年制作/36分)
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2018年12月18日

 

 宗教というものは、人々の生活に多大なる影響を及ぼしています。しかし、その中心である「神」は、科学的に証明できません。そこで、神楽を例にあげ、我々日本人が、どのようにその存在を感じ取ってきたのかを探ってみようと思います。

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 (写真① 布舞)

 最も分かりやすいのは、ポゼッション、つまり神を人間の体に宿す儀式です。 岡山県の備中神楽など、一部の神楽には、今尚受け継がれています。
 ここでは、筆者が2015年冬に参観した神光社による 託宣神事を例にあげます。 一人の太夫が真っ白な長い布を持ち、「ゴウヤゴウサマ」と歌いながら、舞台をぐるぐる回ります。これを布舞といいます。 布舞のクライマックスは、舞人が叫びながら倒れこむ場面です。これは、憑依の状態に入ったという合図です。その後、 神を宿した太夫は、舞台中央に座らされます。他の太夫が米粒をお盆にのせたものを用意します。神がかりの状態の太夫が掴みとった米の数で、その年の吉凶を占います。ここでは、自己を失い、神となった太夫の様子と、米の数という具体的かつ客観的な要素を通じて、姿のみえない神を可視化しています。どうやらこのように、日本人は神の力を、目で見て、耳で聞こえる具体的なものとして捉えていたようなのです。

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(写真② 託宣神事)
 重要なのは、神は「ある特定の条件下において、その場に降臨したと解釈される」という点です。ならば、「特定の条件下」というコードが、人間でなくともかまわないはずです。
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(写真③ 練り歩く獅子頭)

 次の例を見てみましょう。
 獅子舞は、広く日本各地に継承されている舞です。山梨県都留市谷村に伝わる獅子舞は、毎年8月に行われる地元の金村神社例大祭で上納されています。宮司によって 神輿に遷された氏神様が、 神域を超え、人間の居住区域までやってきます。その後、獅子頭が町を練り歩き、家々をまわります。この場合は、 獅子舞(神)の来訪がコードです。この条件下で、 家 が守られるというご利益をもたらします。

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(写真➃ 獅子舞)
 神のコードは、生き物を模していなければならないのでしょうか。
 そこで思い出すのが「鈴」です。梁塵秘抄に「鈴はさや振る藤太巫女(略)」とあるように、鈴はシャーマン(巫女)が操る呪具です。 やがて鈴の音は、神そのものを表すとされるようになりました。
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(写真⑤)

 2016年の愛知県古戸の花祭見学の折には、とても興味深いお話を聞くことができました。舞人は神楽鈴を持って舞います。振り付けの中には、下の柄ではなく、上についた楽器そのものを握って踊ることで、音をこもらせる動作があります。保存会によれば、その後、柄に持ち変えて通常の音を出すことで、「神の降臨」を表しているのではないか、とのことでした。現在古戸ではポゼッションの儀式は行われていません。その代わり、鈴の音を聴かせることで、神を聞こえるようにしています。

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(写真⑥)

 以上のように 、日本人は神というコンセプトを、目で見て、耳で聞いて、時には触れることもできるものに変換することにより、神の存在を認識しているのです。

 

 平井暁子

お茶の水女子大学文教育学部を経て、同大学院人間文化研究科博士前期課程修了。パリ・ソルボンヌ大学 にて音楽学修士号取得。2015年度・16年度同大学非常勤講師。現在、同大学第5博士学院在学及びIReMus研究員。

専門は民族音楽学。神楽紹介サイト運営。
www.akikohirai.com

 

2018年12月10日

2017年10月より連載中の映画紹介では、民俗芸能の映画を
川﨑瑞穂先生(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)に
解説していただいております。
今回は総集編として、2017年10月以降の映画紹介投稿を振り返ります。
現代の身近な視点からひもとく、
先生の多才で鋭い感性に彩られた民俗芸能の楽しみ方を、
今一度ご覧ください。

川﨑先生の連載は、残すところあと5回です。
毎月10日頃に投稿いたしますので、引き続きお見逃しのないよう、
民俗芸能の魅力をお楽しみください。

今年もご愛読いただきまして、ありがとうございました。
来年もより充実した映画解説をお届けできるよう努めてまいります。
次回は2019年1月10日に
『国東の修正鬼会―鬼さまが訪れる夜―』を紹介します。

 

パンフ 出雲神楽2017年10月10日
【映画解説 vol.1 オロチの神楽と変装=変奏の妙】
映画『神々のふるさと・出雲神楽』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2017/10/moviem01.html

 

 

 

 

パンフ 秩父2017年11月10日
【映画解説vol.2 再び見出された祭礼の意味】
映画『秩父の夜祭り―山波の音が聞こえる―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2017/11/moviem02.html

 

 

 

 

パンフ 新野2017年12月10日
【映画解説vol.3 緩急織りなす芸能の時間】
映画『新野の雪祭り―神々と里人たちの宴―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2017/12/moviem03.html

 

 

 

 

パンフ 神と生きる2018年1月10日
【映画解説vol.4 「まつり」と「きまり」】
映画『神と生きる―日本の祭りを支える頭屋制度―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/01/moviem04.html

 

 

 

 

パンフ 鬼来迎2018年2月10日
【映画解説vol.5 民俗芸能のオニが教えてくれること】
映画『鬼来迎 鬼と仏が生きる里』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/02/moviem05.html

 

 

 

 

パンフ 曳山2018年3月10日
【映画解説vol.6 曳山、あるいは東西文化のタペストリー】
映画『―琵琶湖・長浜―曳山まつり』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/03/moviem06.html

 

 

 

 

パンフ 那智2018年4月10日
【映画解説vol.7 燃え盛る祭りの想像力】
映画『炎が舞う―那智の火祭り―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/04/moviem07.html

 

 

 

 

パンフ 烏山2018年6月10日
【映画解説vol.8 偏りと出会いから生まれる世界】
映画『若衆たちの心意気―烏山の山あげ祭り―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/06/moviem08.html

 

 

 

 

パンフ 鬼剣舞2018年7月10日
【映画解説vol.9 イーハトーブの身体技法】
映画『みちのくの鬼たち―鬼剣舞の里―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/07/moviem09.html

 

 

 

 

パンフ 西馬音内2018年8月10日
【映画解説vol.10 他者の顔と交わる夜】
映画『端縫いのゆめ―西馬音内盆踊り―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/08/moviem10.html

 

 

 

 

パンフ 燈籠人形2018年9月10日
【映画解説vol.11 人形という多様体】
映画『ふるさとからくり風土記―八女福島の燈籠人形―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/09/moviem11.html

 

 

 

 

パンフ 松山2018年10月10日
【映画解説vol.12 君が望む君は誰が望む君?】
映画『われは水軍―松山・興居島の船踊り―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/10/moviem12.html

 

 

 

 

パンフ 花祭り2018年11月12日
【映画解説vol.13 花祭り、下から見るか?横から見るか?】
映画『舞うがごとく 翔ぶがごとく―奥三河の花祭り―』
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2018/11/moviem13.html

 

 

 

 

【執筆者の紹介記事】
川﨑 瑞穂先生
https://polaculture.weblogs.jp/blog/2017/10/movieprof.html
※2018年4月より、ご所属が神戸大学に変更になりました。

2018年11月25日

 

 私は、フランスで神楽の研究をしています。 そのためか「なんでまたフランスで?」と驚かれます。日本のことは日本で学ぶのがてっとり早いのは事実ですが、そこには落とし穴もあります。

 私の専門分野は民族音楽学です。 我々のミッションは、研究対象の社会と自分の元いた社会の間と架け橋となり、フィールド(内)の言葉を、その外にいる人々にもわかるように置き換えること。私はこれを、文化のエンコードと呼んでいます。

 例えば、フランス語を日本語のOSで表示させようとすると、文字化けすることがあります。これは、日本語の記号(コード)とフランス語のそれが異なることに由来します。文字化けを防ぐために、機械内部で行うのがエンコード、つまり記号の変換です。

 文化もしかり。文化が違えば、社会コードも異なるものです。現地の人以外にもわかるように、変換する必要があります。そのためには、フィールド内外のコードに精通していなければなりません。(図:文化のエンコード)
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 さて、通常、科学と名のつくものは全て、研究者の 主観を取り除かねばなりません。 逆に、民族学では、研究者のバックグラウンドは 非常に重要です。 生身の人間の目を通して観察する以上、どうしてもその人の考えに影響されてしまうからです。また、自国の文化について学ぶとき、 フィールドのコードとアカデミックなコードの境界が曖昧となってしまうのです。

 これを私が研究する神楽に、当てはめてみたいと思います。

 通常、日本語で神楽が説明されるとき、その意味するものは多種多様です。神楽とは、ある特定の芸能スタイルを意味することもあれば、舞が行われる祭りそのものを指す場合もあります。地域によって、神楽と呼ばれる舞のスタイルは異なります。このように、神楽の学問的定義は、未だ曖昧と言わざるを得ません。日本文化圏の外へ出て、一度その文化コードを知らないところで説明しようとすると、不具合が生じます。これが、冒頭で述べた「落とし穴」です。(写真:備中神楽神光社のヤマタノオロチ)

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 さて、「神楽」とよばれる儀礼は日本独自の名称ですが、実際には世界各地に散見する娯楽的要素を含む宗教儀礼の一種にすぎません。フランス語では、「Divertissement rituel(儀礼的娯楽)」と呼ばれています。このように一般化してしまうことは、没個性と思われがちです。神楽を独自の文化足らしめているものは、失われてしまったのでしょうか。

 その反対です。 みんなが同じことをしていても、必ず個性が出てくるもの。神楽の真の価値は、儀礼そのものが娯楽的性格を持っている点にあります。つまり、「Rituel divertissant (娯楽的儀礼)」なのです。

 結論に代えて、ここではアイディアを提案したいと思います。

 神楽について、個々の事例を深く掘り下げることは、すでに多くの素晴らしい研究者たちによって行われています。既存の研究手法を、神楽研究に当てはめることもされています。これからは、日本文化研究を通じて、異文化にも汎用性のあるメトドロジーをこちらから提案することが重要なのです。

平井暁子

お茶の水女子大学文教育学部を経て、同大学院人間文化研究科博士前期課程修了。パリ・ソルボンヌ大学 にて音楽学修士号取得。2015年度・16年度同大学非常勤講師。現在、同大学第5博士学院在学及びIReMus研究員。

専門は民族音楽学。神楽紹介サイト運営中(www.akikohirai.com)。
 

 

2018年11月25日



映画解説 vol.10

映画『土と炎と人とー清水卯一のわざー』

 

佐藤 典克

(公益社団法人 日本工芸会正会員 日本陶芸美術協会 会員)

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 京都五条にある陶器の卸問屋に生まれた清水卯一。幼いころから焼き物づくりへの関心が人一倍強く、それは、毎日学校に行くふりをしては工房へ通い、轆轤技を学び仕事を手伝うほどであった。石黒宗麿(1893年- 1968年)の元へ弟子入りしたのは14歳の頃。分業が主流であった当時、土づくりから窯焚きまで全て1人で行う石黒の姿から、清水は芸術創作のこれからを見たのであろうか。

 

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 戦後になると清水の陶芸制作は活気づいていった。荒廃した時代だからこそ柔らかく暖かみのある焼き物を、と発表した作品は表現に富んだものばかりだ。おおらかな緑釉の壺、シンプルだが斬新な文様の渦文皿、その中でも特に表情豊かだったのは柿釉である。赤味をおびた独特の温雅で気品のある色合い。それを表現するため、清水は師の調合ではなく柿釉に原料を加え、焼成方法を変える工夫を施した。

 

 日本工芸会の要無形文化財伝承者養成研修会を開催した際には「人のやることを見て、自分ならどうするか?自分の体を膨らましてほしい」と若い陶芸家たちに伝えた。1に焚き、2に土、3に細工、と言われる世界の中で、言葉の通り〈焚き(焼成)〉は難しいものとされている。

 この研修会は、現代では主流となったガス窯や調整しやすい電気窯ではなく、焼き物の原点である登窯の焼成を経験してもらうという趣旨でもあった。1100℃を超える温度計は窯内の空気温度しか計測できない。作品の最も適正な温度を知るすべは、窯の中を走る炎、焼き物自体の色を見る目である。それは経験の積み重ねにより養われるのであろう。

 蓬莱山に移り住んでから意欲的に取り組んだのは〈青瓷〉である。もともとは磁器(石)を材料とするものが多い中、あえて鉄分の多い土に変えることで、暖かみのある作品を作り出そうという試みだ。

 窯出しのシーンにおける、魚鱗のような貫入が入っていく様はまさに氷烈。その神秘的な音、映像共に圧巻である。

 

 また映画の後半では、河原で見つけた鉄分の多い石を砕いた釉薬が窯の中で変化することに魅せられた氏が、試行錯誤を繰り返す姿が描かれている。そうして生まれた油滴とは違う銀色に輝く窯変は、現代感覚に優れた鉄釉陶器を生み出したのであった。

 土にこだわり土と語らいながら轆轤を曳く。ぜひ一度はこの記録映画を見て、清水卯一の作品から大自然のような暖かみのある作品を作りたいという強い気持ちを感じてほしい。

 

 

 
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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


  清水映画記録映画「土と炎と人とー清水卯一のわざー」(1990年制作/31分)
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2018年11月20日

 

 

 (写真① 杉沢比山舞台)
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 山形県飽海郡遊佐町杉沢には、「杉沢比山番楽」という舞が継承されています。番楽とは、東北地方日本海側に見られる、武士の武勇譚をテーマにした演目の多い神楽のことです。(写真② エンターテイメント性の高い演目の一例(蕨折り)、道化役によるお福撒き)

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 さて、杉沢比山は、毎年8月6・15・20日の3回上演されます。 14の舞のレパートリーのうち、儀礼的意味合いを持つ演目は3日間全てで舞います。エンターテイメント性の高いものは一部を選択します。3回のうち、8月15日は内容盛りだくさんです。 獅子舞や供物を上納する儀式に続いて、舞の上演がされます。この日は、全演目を舞うことになっています。それ以外は、3日間ともほぼ同じ内容になります。 単純に同じような内容で3回公演すればいいだけならば、いつでもいいはずです。けれども、日取りは固定されています。少し不思議に思われませんか?一体、なぜ8月の6・15・20日なのでしょう。(写真③ エンターテイメント性の高い演目の一例「蕨折り」)
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 実は、8月6日から20日は、杉沢地区のお盆の期間に相当します。つまり、杉沢比山は、お盆に関連した宗教儀礼なのです。人は日常生活から、ある一定の時間を切り離すことで、聖なる祭りの期間を作ります。お盆もしかり。迎え火や送り火は、「火を焚く」という行為によって、非日常的時間を作り出すための行為です。 比山の上演日のうち初日の6日は、「仕組み」と呼ばれ、祭りの期間の幕開けを意味します。20日は「神送り」といい、死者の魂が、杉沢地区を離れる日です。 

 「盆」というコンセプトの背景には、生者の生きる「この世」と死者の住まう「あの世」の区別があります。普段は、両者の住み分けがなされていますが、この期間にのみ、二つの世界の境界があいまいとなり、両者が共存できるのです。日本の伝統的な信仰は、アニミズムです。自然界のあらゆるものには魂が宿っている、という考え方です。我々人間も、自然界の生き物です。そう考えると、死者の魂もまた超自然的存在、つまり「神」の一部であると解釈できます。

 しかし、ここに矛盾が生じます。神楽は、神道儀礼であり、お盆は古来の祖先信仰と仏教とが結びついた行事とされているからです。明治初期の神仏分離令を思い出すと、なる程、これらが混ざり合っていても不思議ではありません。(写真➃ 舞台裏から見た猩々(二人の謡担当が幕をあげて舞人を迎える))
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 さらに掘り下げてみましょう。杉沢比山の最後の演目は、「猩々」という空想上の動物の舞です。赤い着物を身にまとい、猩々に扮した舞人が、演目の最後に刀を加えながら、逆立ちをして舞台を3周します。成功した年は、豊作になると言い伝えられています。 仏教的死生観とは異なる、「神(となった死者)が、現在を生きる者に具体的な利益をもたらす」という、日本人のアニミズム的死生観を見てとれるイベントです。このように杉沢比山には、日本の伝統的な信仰のあり方が、今尚残されているのです。

平井暁子

お茶の水女子大学文教育学部を経て、同大学院人間文化研究科博士前期課程修了。パリ・ソルボンヌ大学 にて音楽学修士号取得。2015年度・16年度同大学非常勤講師。現在、同大学第5博士学院在学及びIReMus研究員。
専門は民族音楽学。神楽紹介サイト運営中(www.akikohirai.com)。

 

 

2018年11月12日

 



映画解説 vol.13

花祭り、下から見るか?横から見るか?

映画『舞うがごとく 翔ぶがごとく―奥三河の花祭り―』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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 愛知県、静岡県、そして長野県の県境地帯、いわゆる三遠南信地域は、毎年ある時期、民俗芸能を連日連夜「ハシゴ」することができる夢のような場所に変貌する。今回紹介する映画『舞うがごとく 翔ぶがごとく―奥三河の花祭り―』を観ていると、谷を越えれば別の芸能があるこの魅力的な地域を、早川孝太郎の名著『花祭』を頼りに歩き回った懐かしい学生時代の記憶が蘇ってくる。花祭りとは、お湯を沸かしてそこにあらゆる神を招き、最後に釜の湯を人々に振り掛ける、いわゆる霜月祭り(霜月神楽)とよばれる祭りの一種である。温泉に神々をもてなして饗応する映画『千と千尋の神隠し』のモデルの一つとなったことは、アニメファンならずとも広く人口に膾炙している。

 幽玄な奥三河の山々の風景が観る者を最初に出迎えてくれる。山村のどこか懐かしい情景から、地域の歴史を紐解いてゆき、室町時代末期の花祭りの開花までを簡潔に描きだす。囃子の音を合図に一帯の地図が映し出され、愛知県北設楽郡の東栄町足込(あしこめ)地区(11月第4土~日曜日)と豊根村下黒川地区(1月2~3日)の花祭りにフォーカスしていく。本作はこの二つの地区の花祭りをなるべくそのまま映し出そうとしており、BGMも控え目で、祭りの雰囲気を耳でも楽しむことができる。飛び上がり、大地を踏みしめる、いわゆる「反閇」(へんべ)などと呼ばれる特徴的な足さばきをカメラが巧みに追う。次第に観客たちも舞の輪に入り交り、歓声もこだまする。下から横から、さまざまな角度で花祭りの側面を映し出しており、さながら祭りの庭に迷い込んだようである。

 真夜中にさしかかると、いよいよ巫女(みこ)、媼(おうな)、翁(おきな)などといった様々なモノたちが順に登場し、煮えたぎるお湯の周りで幻想的な舞をみせてくれる。方言によって語られる翁の言葉は、同時通訳のようなナレーションを通して私たちを楽しませる。そこに様々な鬼たちが登場し、祭りは最高潮に達する。やがて朝を迎え、遂にお湯をまき散らす瞬間が突然訪れる。神々は一晩のもてなしに満足して帰っていくが、最後まで帰りそびれた神は、天狗のような面をつけた「鎮め」の舞で送り返されていく。湯ばやしの喧騒と静謐なる舞のコントラストは、花祭りの一夜が明けたことを言外に物語る。

 この映画評で初めて花祭りに接する読者は、そこかしこに『千と千尋』の世界に通じるトンネルを見つけ出すかもしれない。もし二つの世界を重ね合わせてしまったのならば、あなたの頭の中では、『千と千尋』「が」花祭り「に」影響を与える、という逆転現象が起きているともいえる。千尋が湯屋に迷い込む以前、花祭りに集う神々は温泉に入らなかったのだから。本作で二つの花祭りが精巧に入り組んで編集されているように、われわれをとりまく芸能やコンテンツの中には、他の何らかのコンテンツにつながるトンネル、あるいは線路がまぎれこんでいたりする。『千と千尋』と花祭り。どちらから見ても構わないし、別の好きなアニメや小説へのトンネルを探しても構わないのだ。どうか誤読を恐れないように。正しい読みなどいまだかつて生まれたことはなかったし、これからもそうであろうし、また、生まれないように注意しなければならない。

 

 

 

 

豊根村下黒川地区の情景

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足込地区の「花の舞」

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花祭り後半に登場する面(足込地区)

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下黒川地区の「山見鬼」(やまみおに)

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


  0702_001記録映画、「舞うがごとく 翔ぶがごとく―奥三河の花祭り―」(1992年制作/33分)
映画紹介はこちら
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※次回は1月10日、「国東の修正鬼会―鬼さまが訪れる夜―」をご紹介します。

 なお、12月10日は総集編をお送りします。

2018年10月30日

 

秋祭りシーズン真っ只中。

日本各地で五穀豊穣を感謝するお祭りが執り行われる。当神社も例外ではなく、毎年9月15日に例祭を、そして第3土日には「日本のふるさと遠野まつり」と合同で神輿渡御と流鏑馬、そして市内の郷土芸能総参加(本年は42団体)の馬場めぐりを行っており、本年は近年まれにみる快晴に恵まれ盛大に執り行うことができた。
一日市南部ばやし横
当神社例祭の最大の特徴はこの「馬場めぐり」である。もっと言うならば、馬場めぐりを行うことのできる広大な馬場を有していることである。これは1661年、青森県八戸から遠野に村替えした南部直栄が造営したものだ。南端は220m、最大幅50m、一周450mという広大な芝生馬場は、日本広しといえども全国に二か所しかない。そのもう一か所である島根県津和野の「鷲原八幡宮」の馬場と比べると、当神社の馬場の特徴がさらに際立つ。
遠野太神楽
鷲原八幡宮は1568年、津和野城主が鎌倉の鶴岡八幡宮の馬場を模して造営したものとされ、最も古い形を残すものとして県指定有形文化財にもなっているが、この馬場は、直線が235mと流鏑馬の定法に従って造営されているところは共通するも幅は約半分の23mしかなく、中央に土手を設けて馬がめぐる形になっている。対して当神社の馬場は、中央ではなく南端に土手を設け、中央は広場とし、その広場をめぐる形になっている。
境内の様子

馬場めぐりとは、当神社のお神輿を中心にして郷土芸能団体がこの馬場をめぐることを言う。1762年に書かれた『遠野古事記』にも「祭礼毎年九月十五日に御定、(中略)毎年祭礼には馬場を御廻り被成候(おめぐりなられそうろう)」と書かれており、造営当時より馬場をめぐっていたことが伺える。つまり、多くの観衆が広場に集まり、流鏑馬や郷土芸能などを見物できるように設計されているのである。

細越獅子踊り
これには理由がある。遠野南部氏が八戸から遠野へ引っ越してくる前、統治者不在の期間が長かったため遠野は荒れ放題だった。それを何とかするために南部直栄が注目したのが「お祭り」なのである。前述したように、領内の人々が集まることのできる馬場を整備し、流鏑馬を奉納させ、神楽やしし踊り、南部ばやしといった芸能を踊らせた。なぜかといえば、集まることによって、人々の不満や不安が解消されるからである。嫁に出した娘に会えるのは一年でもこの日だけだったのかもしれない。お互いの近況を語り合って盛り上がり、また来年の再会を誓う。そのような士農工商を超えた領民が一堂に会する交流の場こそ「遠野郷八幡宮例祭」であり、南部直栄の想いが今に息づいているのである。
東禅寺しし踊り 上組町南部ばやし
馬場めぐりにはもうひとつ注目すべき特徴がある。それは「右回りで三回めぐる」ということである。遠野地方では、葬式の数珠回しは左に回す。つまり左に回すことは魂を「解(ほど)く」ことを意味する。これが「ホトケ」の語源であり、その逆に右に回すことは「結ぶ」つまり神様からの御霊を我が体に定着させる意味があるのではというのが宮司の説である。この説の真偽はさておき、お祭りに参加した方々の晴れやかな表情を見ると、たしかに神様からのご加護を頂いているのだということを、私は毎年実感するのである。
露店の賑わい

遠野郷八幡宮  多田宜史

昭和55年生まれ。岩手県遠野市出身。

遠野市松崎町に鎮座する遠野郷八幡宮の社家に生まれる。
平成15年 皇學館大学文学部神道学科卒業
同年4月遠野郷八幡宮に奉職
 『遠野物語』や河童など、民俗学で有名な遠野に鎮座する神社の神職として、文化の伝承・保存に関心を持つ。

 

なお、本日ご寄稿いただいた多田先生の著書『教訓で読み解く 遠野物語』は書店他、Kindleの電子書籍でお買い求めいただけます。

多田 本

2018年10月25日



映画解説 vol.9

映画『藤本能道の色絵磁器ー釉描加彩ー』

 

佐藤 典克

(公益社団法人 日本工芸会正会員 日本陶芸美術協会 会員)

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 陰に深みと調和のある新しい色絵「釉描加彩」。その確立に人生を捧げた色絵磁器の人間国宝 藤本能道。映画が、氏が自然に恵まれた多摩川で写生に没頭する姿から始まる。

 

 中学3年の頃、受験勉強ばかりの先にある将来に反抗心を覚え小学生の時から好きだった美術を志した。東京美術学校(現東京藝術大学)工芸科図案部を卒業したのは昭和15年。

 卒業後、「なんでもいい、自分の手で何か物を作ってみたい」と文部省の工芸技術講習所に入所。陶磁器の制作を加藤土師萌に習い、講習所修了後は富本憲吉に師事する。この富本の影響ははかりしれないものがあり「これからは創意と工夫、いま生きている現代を造っていく事こそこれからの工芸の姿」とは、師富本の言葉。《伝承意識より創作意識》そこに藤本が志した色絵磁器の原点が伺える。

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 師の言葉通り、藤本は必ず見て写生し納得したものだけを作品に描いた。それを物語るように工房には膨大な数のスケッチや下図が積み重ねられている。その一方で、富本の影響から脱し自分だけの色絵磁器を作り出すことに苦労を重ねていた。

それは、「模様から模様を作らず。」という師の言葉を受けてのことである。

 

 どのような偉大な作家も若き日には、自己との葛藤に苦悩するのだろう。若き日の藤本は自分の作風に悩み、作品への考え方も揺れ動き、一時はオブジェ陶芸制作に走った時期もあった。これが師の色絵磁器の影響から抜け出せない自分への反発だったとは、驚きを覚える。

 やがて藤本は、「工芸としての焼き物づくりのとはこれでいいのか」そんな葛藤に苛まれる。もう一度原点に立ち返る決心をし、鉄釉彩・赤絵といった伝統的な技法に熱中した。

 

 そして「伝統的な上絵に新しさを加えていく」新たな目標を定め試行錯誤を繰り返し、50代の終盤を迎える頃に、ついに大きな変化を見せた。  

輪郭を「骨描」し、色を伏せる従来の上絵技法から、輪郭を描かずぼかすように描く「没骨描法」という上絵の技法を編み出したのだ。さらに五彩を混ぜ中間色で色を伏せる事で、今までに表現できなかった写実的な色合いの上絵表現を可能にしていった。

 65歳を過ぎた頃、上絵を施す前の本焼きの際に、白磁の生地に影の色味をぼかして入れていくという技を組み合わせた。ついに、影と立体感を表現できる「釉描加彩」を完成させたのである。

 

 後半の「釉描加彩」における「草白釉 釉描金彩 木の葉ずく文四角大筥」の制作過程では、繰り返し施される加彩により作り上げられた作品から、その背景に膨大な模索と探求を感じることができる。

自らの創作活動を、まだ過程であり完成ではないという藤本の貪欲さと執念が、色絵磁器の長い歴史に新しいページを加える偉業を成し遂げていったのだ。

当時の若き弟子たちによって藤本の精神は受け継がれ、《伝承意識より創作意識》の溢れた色絵磁器が現在も創作され続けている。

 

 

 
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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


  藤本000001記録映画「藤本能道の色絵磁器ー釉描加彩ー」(1987年制作/33分)
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2018年10月10日




映画解説 vol.12

君が望む君は誰が望む君?

映画『われは水軍―松山・興居島の船踊り―』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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 ふと、子どもの頃になりたかったヒーローたちを思い出してみる。ウルトラマン、仮面ライダー、挙げればキリがないものの、気づけばヒロイズムとは縁遠い業界の端っこで生き長らえている自分に戻ってしまう。瀬戸内海のある島に、「水軍」になりたい若者たちがいるようだ。もちろん本物の水軍ではない。中世、伊予水軍の活躍したその島には、往時を偲ぶ「船踊り」という民俗芸能が伝承されている。今回紹介する映画『われは水軍―松山・興居島の船踊り―』は、若者たちがどのように水軍になっていくのか、その舞台裏を映し出した作品である。

 

 

 伊予柑の花が咲き乱れる興居島(ごごしま)。愛媛県松山市に位置するこの小さな島の鎮守の社、中厳前神社(なかごぜじんじゃ)で、大人たちが若者に踊りを教えている。音楽は大太鼓と拍子木のみの、至ってシンプルなものである。この船踊りは、毎年10月の第一土曜日、船越和気比売神社(ふなこしわけひめじんじゃ)の秋祭りに際して挙行される。歌舞伎の影響によって成立したものであるとされているが、歌舞伎のようなセリフはない。当地では、海賊との戦に勝ち、その戦の様子を伝えたのがはじまりであるとも伝えられている。

 

 

 役者選びの場面。役所に勤めるある男性は、高校時代から踊り続けており、今回の演目「伊予水軍」で水軍の大将に抜擢される。これに対し、ある中学生は海賊の手下役を務めることとなる。大将となった男性は、手下を引き連れて勇壮に踊るが、舞台での踊りが初めてというその中学生は、いささか苦戦しているようだ。船踊りの稽古が続くある晩、師匠とよばれるベテランが来訪し、コツを伝授する。ここではセピア色になった船踊りの写真が映し出され、各地区から船が出て賑わう昔日の祭りの情景にわれわれを誘う。明治時代から現代の祭りの日に戻ると、あの2人は準備の真最中。水軍の武士の化粧と、海賊の手下の化粧を施され、いざ船上の舞台へ。この演目では、酒盛りをしている海賊のもとに水軍が登場し、手下同士の戦いから大将同士の戦いへと移っていく。一か月の稽古でどれだけ上達するのか、自信に満ち溢れる彼らの踊りが雄弁に物語る。

 

 

 少年は言う。これで大人に少し近づけたと思う、来年は今年よりもうまく踊りたい、そして水軍もやってみたい、と。なぜ彼は水軍になりたいのだろうか。芸能に携わっていなければその理由はわからないかもしれない。だが、そもそも何かになりたいと望むことに、はっきりとした理由がある人はどれだけいるのだろうか。水軍の大将を務めた男性も、大将の役を演じてきた先人たちも、元々は水軍になりたい若者たちであったはずだ。われわれが望んでいることは、このように他者が望んでいることであったりする。というより、他者が望まないもので、われわれが望むものはないといってもよい。誰がために人は人の望むことなど望むのか。それは、他者たちの後ろに透けて見える大いなる他者のためかもしれない。船踊りで男たちが「海賊」から守るもの、それはある特定の個人ではない。人間が生きていくうえで不可欠なその大いなる他者を、人は伝統や文化と呼び、振興したり信仰したりして生きてきたのである。

 

 

興居島

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船踊りの練習風景

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船踊りの準備風景

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船踊り本番

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


  水軍 表紙記録映画「われは水軍-松山・興居島の船踊り-」(1998年制作/33分)
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※次回は11月10日、「舞うがごとく 翔ぶがごとく―奥三河の花祭り―」をご紹介します。

2018年10月01日

 団扇には、大相撲の行司が勝敗を示す軍配団扇、七輪の火を煽いで調整する渋団扇、水に浸して使用する水団扇、神輿の担ぎ手を煽ぐ大団扇など様々な種類·形態が存在します。ここで取り上げる団扇は、日常生活において片手で使用できる竹やプラスチックの骨組みに紙や布を貼った丸団扇を対象とします。(写真① 夏祭りで団扇をもらう人々)
①夏祭りで団扇を貰う人(埼玉県熊谷市熊谷うちわ祭)

この団扇は、奈良時代に古代中国から伝来した翳(さしば)が原型とされています。この翳は、貴族などの権威を象徴する道具として使用されていました。その後、庶民にも伝わり、虫を追い払う道具や送風機として様々な身分の人びとにも使用されるようになりました。江戸時代には、団扇専門の職人が登場し様々な団扇が作られていきました。団扇をはじめとする扇類は、かつて権威を示す道具であったため古くから贈答品として贈られていました。その他にも、扇類は神の宿る依り代や厄災を払う呪具とされています。
(写真② 出産の祝い返しに贈られる初山団扇(群馬県館林市富士嶽神社初山大祭))

②出産の祝い返しに贈られる初山団扇(群馬県館林市富士嶽神社初山大祭)
その中で団扇は、他の扇類に比べて広告塔や中元などの贈答品とされてきました。
現在でも、夏に町を歩くと宣伝の書かれた団扇や店名の書かれた団扇を貰えるなど贈答品としての団扇は存在します。この団扇の贈答とすることは、明治時代以降のことでした。江戸時代に記された日記などを見ると、扇子を贈答した記録が多く確認できます。団扇を贈答する記録はほとんどありません。(写真③ 現在の贈答品としての団扇(長野県松本市))
③現在の贈答品としての団扇(長野県松本市)
明治以降に団扇の贈答が盛んになった背景として、団扇の製造が盛んになったことが大きな要因と考えられます。明治時代、団扇は日本を象徴する工芸品としてイギリスを中心に大量に輸出されていました。それに合わせて、国内の最大の団扇の産地である香川県丸亀市の団扇製造が近代化していきます。かつては、丸亀市の団扇は金毘羅宮の土産物として下級武士の内職として作られていました。その後、団扇を作る工場が整備され、大量生産が可能になります。それだけにとどまらず、丸亀市では団扇の骨の部分を大量に生産して販売し、全国の農家が内職で団扇が完成させて、団扇問屋がそれを買い取り国内外で販売が行われていました。その他にも、七輪などの焜炉の普及によって団扇の使用する頻度が増加したことも要因です。そうして、団扇は実用的な贈答品として重宝されるようになりました。
(写真 ④商店の広告塔としての団扇(長野県松本市))
④商店の広告塔としての団扇(長野県松本市)

 現在では、扇風機やエアコンなどが普及して、団扇が使用される場面は少なくなっています。しかし、団扇は単ある送風機だけではなく、贈答品であったり広告塔であったりと様々な役割があります。それらの役割がある限り、私たちの生活に団扇は存在し続けるでしょう。

市東真一

長野県松本市生まれ。国学院大学文学部日本文学科伝承文学専攻卒業。神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士前期課程修了。現在、同大学院博士後期課程に在学。専門は民俗学。

現在、埼玉県熊谷市の熊谷うちわ祭を中心に、町鳶と旦那衆の関係性、団扇の民俗などの研究を行っている。

2018年09月26日



映画解説 vol.12

命を懸けて

映画『呉須三昧―近藤悠三の世界―』

 

佐藤 典克

(公益社団法人 日本工芸会正会員 日本陶芸美術協会 会員)

 

 昭和52年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された近藤悠三の、人と作品に迫る記録映画である。近藤が得意とする《染付》は、陶磁器の白い生地に酸化コバルトで絵を描き焼く技法で、自らのロクロのフォルムの上に、伸び伸びとした勢いのある筆さばきが特徴だ。

 彼の陶芸との出会いは京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に通い始めた12歳の時。人の倍努力をすることを誓い、富本憲吉の助手となった19歳の頃に大きな転機が訪れる。「これ以上のロクロの技術を磨くよりも、陶器以外の勉強も幅広くやりなさい。それが身につくほど、作品は立派になる。」そんな富本の言葉に衝撃を受け決意した、「どんなことがあっても、日本で10指に入る作家になる。そのためには餓死をも厭わないと思った。今もその覚悟で作品を作り続けている。」その言葉からは元来の負けん気がうかがえた。

近藤悠三_001

 

 若き頃の作品である。民芸の影響を受けた配置と色合いは以前の近藤の作品とかけ離れており、とても新鮮である。そして、若いころは志野、青瓷(せいじ)、瑠璃と様々な技法を手掛け、そういった模索が染付作品の幅を広げていった。  

 

 

 

 

  京都の清水に住みながら、陶芸の現代性を意識した作品づくりを支えたのは写生である。「自然にあふれる力強さ、生命力を陶器も求めている」と、自分らしさの文様を追求し、陶画の世界を確立。40代後半頃から近藤の染付は勢いと独自性を増していく。

「染付以外の技法では陶器を続けることはできなかった」と語る近藤はまさに《呉須三昧》の境地へと至る。

    

 

 

 50代になり、派手さや綺麗なものに興味を惹かれ赤絵+金彩のシリーズを手掛けた。柘榴(ざくろ)は写生に写生を重ねてできた近藤作品を代表するモチーフである。金彩が加わることで、染付の色がまた違う表情を見せ始める。 

   

 

 

 

  生涯の夢として描いてきた富士をモチーフとした作品。「富士の輪郭を描くのではなく、富士という書の線を意識している」と近藤は語る。陶器以外の幅広い勉強が作品にも表れるとの教えの通り、漢詩や書、絵画で学んだことをここにも生かしている。その筆さばきからは、柔らかさと力強さが見て取れた。

 

 長い間培った技と芸術家の心が一つになり、形作られた近藤の染付。だが、そこに留まらず幅広い興味に没頭し、新境地を開拓していくその姿こそが近藤の「命を懸けた」呉須三昧なのである。

 

写真①
近藤悠三_002
写真②「染付筍文花瓶」
近藤悠三_003
写真③「柘榴染付金彩壺」
近藤悠三_004使用

写真④ 
※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


  近藤悠三_表紙記録映画「呉須三昧-近藤悠三の世界-」(1983年制作/32分)
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2018年09月10日




映画解説 vol.11

人形という多様体

映画『ふるさとからくり風土記―八女福島の燈籠人形―』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

映画写真3

 秋分の頃、出店が並ぶ神社の境内を涼しい夜風が通りゆく。一角に建つ美しい舞台では、春の景色から一変、色鮮やかな秋の情景が広がる。そこで物語を演じるのは人間ではなく、人形である。不思議なことに、この舞台には文楽のような人形遣いはいない。まさか『美少女戦士セーラームーンSuperS』に登場する「自動人形カラクリ子ちゃん」のように、自分から動いているわけではあるまい。今回紹介する映画『ふるさとからくり風土記―八女福島の燈籠人形―』は、福岡県八女市に伝承されるこの人形芝居の舞台裏、まさに「からくり」を教えてくれる作品である。

 

 

 

 

 

 


   古今東西、様々な人形が生まれては消えていった。映像による「からくり」の「風土記」である本作は、古代の人形ともいえる、岩戸山古墳(いわとやまこふん)の石人(せきじん)のレプリカを映し出す。そして紙漉き、提灯や仏壇の製作、矢作りといった、現代の職人の町の風景を紹介していく。八女福島の鎮守である福島八幡宮(八女市本町)の境内では、江戸期よりからくり人形が演じられてきた。その舞台(屋台)は、八女の職人たちによって毎年組み立てて造られる。舞台を造り終えた彼らは、道具を楽器に変え、今度は音作りの練習に励む。小鼓(こつづみ)から習い始めるが、間違えたり、音が出なかったりと、舌鼓のように簡単にはいかない。

 

 

 

  囃子でからくりのリズムを身に着けた彼らは、裏方として人形の操作もおこなう。本作をみると、華麗に動く人形の下には、複雑な構造が広がっていることがわかる。人形の下にレールのように設置されている「横棒」を絶妙に操作し、内部に張り巡らされた糸の動きで人形の身体を動かしている。各人の横棒の操作がうまく噛み合うことで、はじめて人形に魂が宿るのである。その身体の中には、まるで血管のように糸が張り巡らされている。からくり人形の後ろで古時計が動く、どこか哀愁漂うシーンは、時計屋がからくり人形の作り手であったことを物語る。複雑な糸の「系列série」を操作すると、腕や首がどのように連動するのか、冒頭の映像の「からくり」を見せてくれる。

 

 

 

  

 そして祭りの日の夕刻。日が落ちて太鼓の音が浮かび上がってくる。提灯に火がともり、舞台では、本作冒頭と同じように人形が舞いはじめる。何の解説もなく人形を観ていた冒頭とは違い、われわれはその下や横でどのような操作をしているのか、もうその「からくり」を知っている。しかし種を明かされることでより美しく、感動的にさえ見えるのは、はたして私だけだろうか。本作に幾度か登場する大樹を虚心に眺めていると、人形を樹木に例え、その下に張り巡らされている「からくり」を根に例えたくなるが、さらに遡行すると、その人形も横棒も、元はといえば樹木から生まれていることに思い至る。そして樹木は土から生え出でる。足元の土から石を拝借して作った人形が先ほどの石人であるとすれば、その土から伸び出た樹木を拝借して作った人形がからくり人形であるともいえる。人形とは、われわれが自然界の線状の絡み合いの中から顕在化させた一部分なのであって、私たちがみているのはその多様体の一断面にすぎないのだ。からくり人形の糸を手繰っていけば、中心なき多様体の世界に潜入する糸口をみつけることができるかもしれない。

演目「春景色筑紫潟名島詣」の一場面

 

映画写真2

組み立て式の舞台

映画写真1

人形の内部構造

映画写真4

神社境内の楠(くすのき)

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


  からくり表紙記録映画「ふるさとからくり風土記-八女福島の燈籠人形-」(1987年制作/31分)
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※次回は10月10日、「われは水軍―松山・興居島の船踊り―」をご紹介します。

2018年09月05日

「なに焼ですか?」
僕の作品を見たときよく聞かれるフレーズです。きっと作品と対峙した時に、何かのきっかけを探してくれているのだと思います。
「なにやき・・・とかではなくて・・・」と僕が答え淀んでていると、だんだんと相手の顔が少し曇り、その内に、おでこの辺りに疑問符が浮かび上がってきます。

これは、「やきもの」の認識において、産地や伝統の大きさを感じさせられるやり取りです。

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今回、伝統や産地と深く関わることが無く、「やきもの」と向かい合ってきた作家として、陶芸やクラフト、自由な造形まで全てを含めた「やきもの」文化と現状について少し考えてみたいと思います。
粘土に熱を加えることで硬く耐水性のある物質に変化することを発見して以来、現在に至るまで、気が遠くなる程の長い間、人はせっせと土を焼き固めてきました。
そんな長い時間の中で、技術の蓄積や材料道具の進歩、地域性や美意識と様々な形で進化成熟し、現在の多様な「やきもの」文化が形成されたのだと思います。
日本でも、中国や朝鮮半島からの影響も受けながら、北から南まで沢山の産地が出現し、地域の原料、それに伴った技術や表現と、それぞれで独自の進化を遂げてきました。

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明治以降になると、それまで窯元や職人集団の産物であった「やきもの」が、個人の表現物として制作されるようになり、戦後に走泥社が出現して以降は、用途すら放棄した工芸作品が出始め、工芸の領域は拡張してゆきます。

一方で、機械工業の発達により、陶器は必ずしも手仕事ではなくなり、手仕事はある種の嗜好品となりました。

同時に、情報化や物流の進歩に伴い、各地域の文化や土着性は薄まり、逆に個人性が徐々に強まりながら、現在に至っているように思います。

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僕は、伝統も手仕事も身近ではない東京郊外のニュータウンで育ち、たまたま入学した美術大学で「やきもの」と出会いました。そんなこともあってか、始め から素材を芸術表現のメディウムとしてとらえ、その可能性を模索してきました。

伝統的な表現は、卓越した技術や地域性を継承しつつも、時代背景に影響を受けながら少しずつ変化、そして進化をしています。僕のようなどこの流派にも属さない「根無し草作家」は、同じ様な内容を個人のなかで行おうとしているのだと思います。

 

概念による芸術もすでにある意味で伝統化して、AIのニュースが毎日のように耳に入ってくる中にあって、「芸術の人間らしさってなんだろう?」「実材と それを変化させる行為から離れられない工芸にはどんな可能性があるんだろう?」と最近よく考えます。

 

そんなことを考えていると、すでに芸術表現には必ずしも必要では無くなった、素材や行為というのが実はすごく面白いことに思えるのです。意識的な行為、無意識の行為、時々失敗、それらの影響をキッカケにした反応としての行為、そしてまた反応・・・。

行為を軸に意識と無意識、そして揺らぎを集積させると、現れる「もの」はあらかじめ決められた目的や結果に向かって集約されるだけではないのです。瞬間における決定、あるいはその決定に左右され続けることもあります。同時に概念も瞬間に左右され続け、いたる道筋結果がつねに揺れ動き、瞬間の累積でモノが現れます。

 

アルゴリズムの外側でモノが出来上がるような感じです。

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人間や人格と同じように「もの」もそうあって良いのでは?という個人的な視点から思考し、私は「やきもの」を作っています。そして、僕のような個人的な発信が多方面から蓄積することによって、また新たな個人の発信につながってゆく、個の表現の集合として文化が出来ているのだと思います。

日本の「やきもの」文化は、個人レベルで時代やそれに対応した思想思考が反映され、様々なジャンルの垣根を越えながら国際的に見ても高いレベルで進化しています。

 

是非皆さん、一度、「やきもの」との会話をしてみてください。彼らは結構、饒舌に語りますよ。

 

小笠原 森
「やきもの・粘土の性質を受け入れることによって見えてくる、方法や成り立ち—それらを表現の可能性として、形を考えます。」

 

【略歴】

1978  東京都生まれ
1999  多摩美術大学 工芸学科 陶プログラム入学
2003  多摩美術大学 大学院美術研究科 工芸入学
2005  多摩美術大学 大学院美術研究科 工芸修了
      同大学 工芸学科 陶研究室勤務(2009まで)
2009〜 自宅・スタジオ兼ギャラリーの「Studio Stick」を立ち上げ制作活動
2012〜 多摩美術大学非常勤講師 

 

【入選・受賞】

2003  第39回神奈川県美術展 平面立体部門 入選
2007  第43回神奈川県美術展 平面立体部門 大賞
2011  美濃国際陶芸フェスティバル 入選

 

URL:http://www.ogasawarashin.net/profile.html

2018年08月16日

獅子舞や神楽といった民俗芸能は現在、都市化・少子高齢化などが原因となり、多くところで担い手不足・後継者不足の声が聞かれます。奈良県下の風流(ふりゅう)系太鼓踊りと呼ばれる民俗芸能もその一つです。奈良県の太鼓踊りは、担い手不足により伝承が危ぶまれたり、途絶えている太鼓踊りがありました。しかし行政や地元の小学校の協力によって、これまでの伝承方法から新たな伝承方法に変え、伝承を継続することに成功しました。ここではどのように伝承されているのか、具体的に見てゆきます。

  篠原踊りの伝承用映像(下のテロップは歌詞と太鼓のリズム)

奈良県五條市大塔町(おおとうとうちょう)篠原に伝わる篠原踊りでは、平成20年より様々な理由が重なり、伝承が厳しくなりました。そこで今後の伝承は篠原住民だけでは難しいため、平成26年に奈良県教育委員会が主導して、篠原踊りの担い手を奈良県内外より公募で集めることになりました。民俗芸能というのはその地域に根付いた芸能であるため、その地域の人々だけで演じ、伝承するのが通例です。そのため公募で担い手を募るのは非常に斬新な方法でした。その結果、篠原の住民・篠原の出身者だけでなく、奈良県内や大阪から初めて篠原踊りを習いたいという人々が集まり、「篠原おどり保存会」という保存会の規約を改訂して新たな伝承組織を再発足させ、伝承を再開することが出来ました。

それだけではありません。篠原おどり保存会では、現在の長老が踊れる演目を全て記録しようと考え、奈良県教育委員会と共に、記録用の映像を作成しました。全演目のうち、特に篠原の氏神である神社で毎年1月に踊られる3曲は記録だけではなく、今後この映像を見て練習ができるような伝承用映像を作成しました。写真のように画面の下に太鼓のリズム譜と歌詞をつけ、カラオケのように太鼓を打つ箇所・歌う歌詞の箇所になると色が変わるようになっています。この映像を見れば一人でも練習ができるのです。このように篠原踊りは奈良県教育委員会と上手に協力しながら、伝承方法を刷新し、伝承を続けています。

  篠原踊りの練習風景

一方では、同じ奈良県下の太鼓踊りでも全く異なるアプローチから伝承の方法を変えたところがあります。奈良市都祁(つげ)吐山(はやま)に伝わる吐山の太鼓踊りでは、担い手不足の問題を解決するため、平成6年より地元の吐山小学校の郷土学習の時間に吐山の太鼓踊りの指導を取り入れました(現在は小学校の統廃合により都祁小学校に変更)。小学生や吐山小学校を卒業した中学生から担い手を募りました。平成20年からは放課後子供教室のひとつとして太鼓踊りクラブが結成され、11月23日におこなわれる秋の例祭にて奉納することが定着しました。現在では小学校を卒業した中学生も練習に加わり、今では吐山の太鼓踊りの担い手に欠かせない存在になっています。

  吐山の太鼓踊りの練習風景

吐山の太鼓踊りの練習ではこれまで「天―天―天ツク天」といった唱歌(しょうが)を使って太鼓のリズムや打ち方を習得していました。しかし小学生・中学生の練習では、吐山小学校の元音楽教員が、より子供たちに分かりやすく教える工夫として自作の太鼓リズム譜を使用し、指導に当たっています。吐山の太鼓踊りでも従来の担い手の構成から小学生・中学生参入するという大きな決断をし、また練習方法も子供向けに創意工夫することにより、伝承をつないでいます。

このように、現在の民俗芸能の伝承は構成メンバーや伝承手段等を変えることにより、受けつないでいこうとしています。しかしこのような伝承の変化は今に始まったことではありません。これまでの太鼓踊りの資料や映像記録をみると、過去の担い手もその時代の状況に合わせ、伝承を工夫してきたことが分かります。民俗芸能は常にその時代の流れや人々によって工夫して変化させつつ、伝承しているのです。

荒木真歩

 京都市立芸術大学音楽学部音楽学専攻卒業。神戸大学大学院国際文化学研究科文化人類学コース博士前期課程に在籍。専門は音楽学、文化人類学。

  現在、民俗芸能の調査を奈良県全域と宮城県気仙沼市にておこなっている。また奈良県の文化財行政のもとで、報告書の執筆・採譜・伝承用映像制作に携わっている。

 

2018年08月10日




映画解説 vol.10

他者の顔と交わる夜

映画『端縫いのゆめ―西馬音内盆踊り―』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

  西馬音内2

 

 

 

 漆黒の闇の中、編み笠をかぶった踊り手がしなやかに動く。ナレーションが排されたこの空間に黒い頭巾をかぶった者が加わり、囃子と歌が響き渡る。今回紹介する映画『端縫いのゆめ―西馬音内盆踊り―』の冒頭シーンを見ると、ある人はその笠の隙間から僅かに覗く顔に色気を感じるかもしれないし、あるいは顔全体を黒い頭巾で覆う者に、言いえぬ畏れを感じるかもしれない。われわれは顔に無関心ではいられない。今でこそ“Face”bookで他者の顔は簡単に確認できるが、小さい頃の友達の顔を思い出そうとしてみると、ちょうど『20世紀少年』の「トモダチ」のように、顔を覆い隠してしまうこともある。なぜ顔が見えないだけで、私たちの心はそわそわするのだろうか。そもそも顔とは何か。

 

 秋田県で最も雪が積もる地帯であるといわれる雄勝郡羽後町(おがちぐんうごまち)に、西馬音内(にしもない)という魅力的な名前を持つ地域がある。雪国の市場の風景から、映画の登場人物の「顔」が次々に紹介されていく。没個性的な冒頭の踊りと、日常の個性的な人々との対比が印象的である。ある女性は、東京で学ぶ娘のために「端縫い」(はぬい)という盆踊りの衣装を作るのが長い間の夢であったと語り、実際に制作する場面を見せてくれる。この衣装は大小の布切れを一定の型に従いつつも自由に縫い合わせて作るものである。それはさながら「日曜大工 bricolage」のように、元の布それぞれの思い出をそのままに、器用に組み替えている。この盆踊り自体も同様に、いつの時代かに伝わったものが当地で組み替えられ、独自の変化を遂げたものである。

 

 美しい夏の風景が映し出され、8月16日から18日にかけての盆踊りが近づいてきたことを知る。夕べの大気に漂う囃子にのって、子ども達の踊りがはじまる。そこに、あの黒頭巾の者が再度登場する。この盆踊りは別名「亡者踊り」とも言い、「彦三頭巾」(ひこさずきん)をかぶるこの役は亡霊を表すとも言われている。夜は更け、人々の顔がなくなっていく。子ども達の踊りから大人の踊りへと移り、最後に踊り自慢の人々が登場する。ここで静の囃子《がんけ》と動の囃子《音頭》が説明されるが、字幕で歌詞が表示されるため、初めて観る人でもどのような歌を歌っているのかが分かるように配慮されている。

 

 

 映画の最後は冒頭と同じく暗闇の空間で踊り手が踊るが、おわりに皆が顔を出していく。隠れていた顔が現れることで初めて、人間の顔は、比較できると同時に唯一無二であり、さらにそれぞれ無限の顔も持つことを知る。もしかしたら、本作で「顔」が現れるのは冒頭だけなのかもしれない。はじめに私たちと「顔」との間にはある種異常な隔たりがあり、編み笠や彦三頭巾の向こうには無限が広がっていたが、人々は最後に「顔」であることをやめ、社会の成員へと還ってゆく。祭りが「絆」を作るとは近年よく言われるが、実は、祭りというものは「私」と「あなた」が平和裏に出会うだけの時空間ではない。西馬音内盆踊りでは、全くつながりが持てない他者として、「顔」が顕現しているからである。夏の夜、ひととき絶対的な他者と交歓すること、そこに「絆」を超えた祭りの意味があるのかもしれない。

 

 

 

 

西馬音内盆踊り

西馬音内1

端縫いの衣装

彦三(川﨑撮影)

彦三頭巾 (2013年9月28日の「秋田けけけ祭り」にて筆者撮影)

西馬音内3

編み笠

※断りのない写真は全て、ポーラ伝統文化振興財団による撮影。


0422_001記録映画「端縫いのゆめ-西馬音内盆踊り-」(1984年制作/31分)
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※次回は9月10日、「ふるさとからくり風土記―八女福島の燈籠人形ー」をご紹介します。

2018年07月25日




映画解説(工芸部門)vol.7

「和紙のこころ」を問う

映画「細川紙の美を漉く-和紙のこころ-」

                                 中川 智絵(紙の文化博物館  学芸員)

和紙とはなんですか?

 日本古来の紙、手漉きの紙、コウゾやガンピなどの靭皮繊維を原料とする紙、近年では和紙の風合いに似せて作られた紙も見られ、それら全てが和紙と呼ばれています。
 和紙とは何か、この問いに答えることは、実は非常に難しいのです。

  「細川紙の美を漉く-和紙のこころ-」は 1982年、今から約40年前に完成した細川紙の記録映像です。

  「今の紙は見てくれのきれいな紙、力というものがなくなった」と嘆く江戸小紋の重要無形文化財技術保持者(いわゆる人間国宝)の小宮保孝氏が「本物の紙」と称賛する細川紙の職人、江原土秋氏の紙づくりの工程を通して、和紙のこころが問いかけられます。 

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(写真:紙を漉く様子)

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 細川紙の起源は江戸時代、紀州細川村(現在の和歌山県高野町)で漉かれていた「細川奉書(ほそかわほうしょ)」が江戸にほど近いこの地に伝わったものとされています。
 小学校を終えてから海軍で戦地にいた3年間をのぞき、50年を紙漉きひとすじに生きてきたという江原氏は、「関東育ちの荒々しさにたとえられる強靭さが売り物」とされる細川紙の伝統を守り、紙を漉いてきました。
 紙を作ることが趣味であり、良い紙を作ること、注文にこたえる紙ができることが生きがいと語る江原氏は、良い紙を漉くことができれば苦労は苦労でないと言い切ります。

(写真:できあがった紙を検品する様子)

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  季節は晩秋、栽培地である群馬県下仁田で、当地ではカズと呼ぶ和紙の原料コウゾを刈るところから細川紙の紙づくりは始まります。カズの黒い皮の部分を剥ぎ取るカズビキ、白くなった皮を水に晒し、完全に煮て、しかも煮過ぎないようにというカズ煮、冷たい水の中で繊維の中の不純物を取り除くチリトリ、繊維をほぐすカズタタキ、どこをとっても手を抜くことは許されない、江戸時代から変わらない工程が、丁寧に映し出されていきます。

(写真:カズビキの様子)

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(写真:チリトリの様子)

※今回の掲載写真はすべてポーラ伝統文化振興財団の撮影

 40年の時を経て、人々の暮らしも、嗜好も変化し続ける現在、和紙もまた変容を続けています。
 1978年に国指定の重要無形文化財に指定され、現在も埼玉県の秩父郡東秩父村と比企郡小川町で伝承される細川紙は、2014年にユネスコ無形文化遺産にも登録されました。和紙が脚光をあびる裏で、40年前の当時でさえ聞かれた「和紙の需要の激減とともに減量のカズの生産も減る一方」という言葉が胸に迫ります。
 細川紙のいま、そして伝えられる和紙のこころとは何か、それは使い手への問いとなって、現在の私たちへと返ってきています。

細川紙チラシ

※記録映画「細川紙の美を漉く―和紙のこころ―」(1982年制作/30分)

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2018年07月18日

(第3回)すれ違う「復興」の意思を描く 映画『願いと揺らぎ』

  • たかが祭り、されど祭り

 宮城県南三陸町波伝谷(はでんや)では「春祈祷」といって、お獅子様(おすすさま)と呼ばれる獅子頭が全戸を廻り、悪魔祓いの舞を納めます。村人が操る獅子舞を、家内安全と繁栄を願う人々が笑顔で迎え入れる―きっと幾度もこの地で繰り返されて来たのでしょう。東日本大震災の翌年2012年も、途切れることなく行事は行われました。

 災害にめげず復活した地域の伝統の祭り。傍目からみれば、震災後沿岸各地でみられた感動的な光景のひとつです。しかし、それが人々のすれ違う意思のなかで生み落とされた苦渋の「復興」だったことを、我妻和樹監督の映画『願いと揺らぎ』は描いています。ーたかが祭り、されど祭りー生活のいっさいがっさいを流された人たちにとって、伝統とは一体なんなのでしょうか。波伝谷の人と祭りの震災前後12年に渡る記録から産まれた、この希有な映画は考えさせます。
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  • 羅針盤の喪失

 映画の舞台である波伝谷は、牡蠣・ホヤ・わかめ等の養殖が盛んな地域です。東日本大震災の大津波で集落のほとんどが壊滅し16名が犠牲になりました。もとあった約80軒のうち、40軒弱が現地での生活の再建に努めているといいます。この地には「契約講」と呼ばれる伝統的な互助組織が伝わり、古い家を中心とした合議で物事を決めながら、支え合って暮らしてきました。

 しかし大津波は、まとまりの強かったこの地域にも大きな混乱をもたらします。カメラは、集落の高台移転をめぐる住民のすれ違いや、復興のために行われた共同漁業での漁師同士の軋轢を捉えます。誰もが生活の建て直しに必死なあまり、ひりひりとした感情がぶつかり合ってしまう。まるで、地域の人々の行動の拠り所となっていた羅針盤のようなものが、津波で流されたかのようでした。

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  • 足並みの揃わない「復興」

 とりわけ、波伝谷になくてはならないという「お獅子様」の復興を巡って、人々の思いは交錯します。住民がいくつかの仮設住宅団地に分散するなか、お獅子様の村廻りもかつてのように行うことはできません。ありうべき「お獅子様」の姿をめぐって、各々の理想と現実がぶつかり合います。各々の出来る限りのことはやっている―、それなのに足並みが揃わない。復興を願う気持ちは皆同じなのにも関わらずーー。

 わだかまりを抱えたまま、とうとう祭りの日を迎えます……。

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  • 深い傷を覆う

 なぜ波伝谷の人々は、それぞれの思いがすれ違う程に、真摯に「お獅子様」の復興を願ったのでしょうか。筆者にはそれが、深い傷を覆う“かさぶた”のように見えました。傷が治るまでに膿んだりするかもしれない、あとには傷痕が残るかもしれない。だけど、かつてあった地域のつながりが恢復するまで、それは不格好ながらに傷を覆っているのかもしれません。

 この映画は、何年も経てば忘れ去られてしまうような小さな出来事を丹念に追った作品です。大震災発生直前までを記録した前作『波伝谷に生きる人々』(2014年)とともに、ぜひご覧いただきたいと感じる映画です。

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【作品情報】

『願いと揺らぎ』 監督:我妻和樹 /2017年/日本/147分

製作:ピーストゥリー・プロダクツ

 

公式サイト https://negaitoyuragi.wixsite.com/peacetree

予告編 https://youtu.be/BQwE0lhv0wo

 

掲載画像(C)ピーストゥリー・プロダクツ

2018年07月11日




映画解説 vol.9

イーハトーブの身体技法

映画『みちのくの鬼たち-鬼剣舞の里-』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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鬼剣舞(おにけんばい)をご存知だろうか。鬼のような仮面を被り、躍動的に身体を上下させるこの芸能に、私は小学生時代に出会った。といっても実際の鬼剣舞ではなく、宮沢賢治の小説を題材とした映画『風の又三郎―ガラスのマント―』(1989)のワンシーンである。そこに登場するのは、賢治の詩の題材ともなっている「原体剣舞(はらたいけんばい)」であるが、今となってみれば、原体剣舞こそ私にとっての芸能の原体験といえるかもしれない。小学生の私にはそれが何であるのかがさっぱり分からなかったが、その不思議な光景がなぜか脳裏に焼き付いている。鬼剣舞とよばれるこの芸能は、岩手県の北上川流域の中部から南部に多数分布している。今回紹介する映画『みちのくの鬼たち―鬼剣舞の里―』は、奥州市旧衣川村の「川西念仏剣舞」と、北上市旧和賀町の「岩崎鬼剣舞」を中心に、芸能の歴史とその伝承者たちの活動を描き出した作品である。

北上川の支流の一つ衣川が大地を潤す、旧衣川村。桜の森の満開の下で川西念仏剣舞が演じられる場面から本作は始まる。初めて鬼剣舞に接する人は、輪になって刀をくぐりあったり、頭を小刻みに動かしたりする、その不思議な所作に注意を惹かれるかもしれない。続いて紹介される岩崎鬼剣舞では、「膳舞」(ヘギまわし)など、祝いの席で余興としても演じられたという曲芸的な舞を見ることができる。民俗芸能の不思議な所作に出会ったら、身体の動きを少し真似してみるのも面白い。町内会の夏祭りの盆踊や、学校で習ったダンスなど、今までに体験した踊りとの違いや共通点に気付くはずだ。

真似が得意なのはいつの時代も子ども達。菅江真澄という江戸時代の旅行家の日記には、子どもが鬼剣舞を真似している風景が描写されている。今日でも各地の芸能を訪れると、しばしば観に来ていた子どもが同じ動きをして遊んでいるのを見かけることがあるが、子ども達の目に写るその芸能は、おそらく小学生時代の私の目に写った鬼剣舞と同じように、不思議な魅力をたたえているのだろう。本作には、川西念仏剣舞の伝承者が、衣川村立衣里小学校の子ども達に剣舞を教えるシーンがある。どこか不思議に思いつつも笑みを浮かべて舞う子ども達の姿が印象的である。11月1日から3日に開催される、中尊寺の「秋の藤原まつり」。そこで子ども達は初めて衣装を着け、伝承者たちに新調してもらった面を被り、練習の成果を披露する。芸能の「芸」は技を身に着けること、「能」はそれを発揮することであるともいう。見よう見まねで始めた子ども達が芸を披露するようになるまでの成長過程は、芸能という言葉の意味を体現している。

なぜ、民俗芸能の所作は子ども達の心も惹きつけるのだろうか。本作に映し出される演者たちの動きを見ると、その驚くべき「身体技法」に秘密があるように思う。「dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah」という太鼓の音(口唱歌)から始まる賢治の詩「原体剣舞連」(1922)は、その驚きを新たな芸術として昇華している。太鼓の打ち方や舞の所作、それらは先人たちが何かを表現するために編み出した身体の技法であり、現代のわれわれにとって、それは外国語のような異質性と魅力を帯びている。みちのくの大地に育まれてきた身体技法の結晶、それが鬼剣舞であるといえるかもしれない。



 

 付記:なお、本稿のいくつかの論点については、地芝居ポータル代表の蒲池卓巳氏による筆者へのインタビュー記事「民俗芸能における「余興」とは?」『(公社)全日本郷土芸能協会 会報』(第92号)に詳しくまとめられている。

 

岩崎鬼剣舞「一人加護」(ひとりかご)

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川西念仏剣舞「三人偉者」(さんにんいかもの)

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岩崎鬼剣舞「膳舞」(別名、ヘギまわし)

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川西念仏剣舞

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


0299_001記録映画「みちのくの鬼たち-鬼剣舞の里-」(1983年制作/34分)
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※次回は8月10日、「端縫いのゆめ―西馬音内盆踊り―」をご紹介します。

2018年06月29日

未曾有の大災害となった東日本大震災から7年。
近年、被災各地の伝統文化を捉えたドキュメンタリー映画が次々と公開されています。
津波常襲地域である三陸で、繰り返す津波災害を乗り越え伝えられて来た文化には、
困難を生き抜く先人の知恵が込められています。

映画監督が、映画から観た震災、そして伝統文化の底力を紹介します。(全3回)

 

(第2回)生まれ清まりの物語を生きた神楽 映画『海の産屋 雄勝法印神楽』

 

■気まぐれな海
命を育み、時に奪う海。海辺に暮らしてきた人たちは、その両極の姿に感謝と畏怖の念を覚えてきました。海辺の人々が抱く海の精霊や神々の姿は、ままならない自然そのもの。生命力と慈愛に溢れ、時に凶暴な牙を剥く、“気まぐれな”存在であるようです。

その姿は、映画でもたびたび魅惑的なキャラクターとして描かれています。宮崎駿監督のアニメ『崖の上のポニョ』では、純粋で無垢な海の精霊のような女の子が海嘯とともに現れて町を覆うと、そこに生命力溢れる不思議な世界が現れます。現在公開中の深田晃司監督の『海を駆ける』では、2004年に大津波に襲われたインドネシアのバンダ・アチェという町を舞台に、時に残酷な海の精霊のような男が不意に訪れ、若者たちの心にさざ波を起こすと、また不意に海へと戻っていきます。いずれの場合も、海の狂気の側面だけでなく、その訪れのあと、生まれ清まった新しい世界や感覚が生み出されていることが興味深く感じます。

宮城県石巻市雄勝町の「雄勝法印神楽」は、そのような海の神による生まれ清まりの物語を伝えてきたばかりでなく、東日本大震災の大惨事を経て、まさにその物語を生きた、すさまじい神楽でした。

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■震災翌年2012年の記録
今回紹介する『海の産屋 雄勝法印神楽』は、「雄勝法印神楽」を取材した北村皆雄・戸谷健吾監督によるドキュメンタリー映画。東日本大震災の翌年、2012年に撮影された記録です。神楽が伝わる立浜(たちはま)地区は、大津波により46軒中1戸だけを残して被災。生業の礎であるホタテや牡蠣の養殖棚、道具、船もいっさい流されました。映画は、この何もない殺伐とした光景を「天も地も定まらず、光も闇もわからない混沌とした世界、まるで国生み神話の世界のようだった。」と語ります。そんななか、地区の男たちが祭りと神楽の復興に奔走します。長年神楽を伝え来た担い手であり、この地での再起を決意した12人の漁師たちでした。

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■再生の祭り
神楽の復興のため、男たちは流された面や衣装、道具を揃えます。全国からの支援も寄せられました。漁師の仕事も再開します。ある漁師は「海をいっさい、いっさい恨んでない」と言い放ち、別の漁師は「津波のあとは不思議と漁が多い」といって、以前のように海にでます。

祭りの当日には、他地区に避難していた人々が帰って来て再会を喜びあいます。海辺の荒地に2年ぶりに神楽の音色が響き渡り、地区の再生を予感させます。

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■「産屋」から生まれる未来

クライマックスは「産屋」という、記紀神話に由来する演目です。海の神の娘である豊玉姫が山幸彦との子を身ごもり、出産のため産屋に入ります。「中を覗いてはいけない」という約束を破って、山幸彦が覗いてしまうと、そこには美しい姫とは似ても似つかぬ龍蛇の姿が。正体を見られた豊玉姫は、生んだばかりの子を置いて、泣く泣く姿を消します。別れがなんとも胸に迫る場面です。その時、この1年間に地区で生まれた赤ん坊が、豊玉姫に抱かれて産屋から出てくる役を務めると、丈夫に育つといわれています。地区の未来を祝福する生育儀礼にもなっているのです。この年、震災後初めて生まれた赤ん坊が、その大役を務め上げました。観客の暖かい歓声と拍手が鳴り響きます。

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■神話と異なる結末
「産屋」はその後、神話とは異なる結末を辿ります。正体を見られた豊玉姫が怒りの形相の龍神となって舞い戻り、山幸彦との壮絶な大立ち回りを演じるのです。その狂気の姿は、荒れ狂う海を写しとったもののようです。豊穣の源とも、悲劇の源ともなる海。漁師たちの生活感情に根ざした、その“気まぐれな”姿が神楽に投影されているのかもしれません。海との抜き差しならぬ交流を生きて来た、漁師の神楽を観た思いがしました。

 

【雄勝法印神楽(おがつほういんかぐら)】

宮城県石巻市雄勝町に伝わる民俗芸能。国指定重要無形民俗文化財である。大乗神楽、山伏神楽などとも呼ばれる東北一帯に伝承される神楽の一つ。雄勝町内の各神社の春・秋の祭で奉納される。室町時代(約600年前)に、羽黒派の修験者(地元では”法印さん”と呼ばれた)によりもたらされ、伝承されてきた。明治の神仏分離、神道化政策により修験道が禁止されると、一般の人々が「神楽団」(現在は保存会)を組織し、担うようになった。その時に神楽の内容も、「日本書紀」や「古事記」など国家神道を支える神話のストーリーに塗り替えられたが、太鼓や笛のリズム、力強い足踏みや、袖の下で結ぶ秘密の“印”などに、修験道の要素が色濃く残されている。

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【作品情報】

『海の産屋 雄勝法印神楽』 監督:北村皆雄・戸谷健吾/2018年(2012年撮影)/日本/77分

製作:ヴィジュアルフォークロア/ネオンテトラ

2018年9月1日(土)伊那旭座(長野)にて特別上映!公式サイトhttps://www.uminoubuya.com/

予告編 https://youtu.be/vW5fzMCUcXU

 

遠藤 協(えんどう・かのう)

映画監督・映画プロデューサー 1980年生まれ。慶應義塾大学在学中に民俗学と文化人類学を学ぶ。映画美学校ドキュメンタリーコース修了後、数多くのドキュメンタリー映画やテレビ番組、記録映像等の制作に携わる。とくに日本各地の民俗文化や芸能のドキュメント制作に力を入れている。2017年に『廻り神楽』を公開。

 

 

2018年06月26日




映画解説(工芸部門)vol.6

着物は命を守るもの

映画『彩なす首里の織物—宮平初子—』

  大友 真希(染織文化研究家)
花織を織る宮平初子

沖縄は染織の宝庫である。染織品としての素材、色彩、文様などの多様さがその第一の理由であるが、同じく沖縄は染織の「つくり手」の宝庫であることも間違いない。そのつくり手の一人が、一度は途絶えた首里の織物を蘇らせ、その技をいまに伝える染織家・宮平初子(1922−)である。本映画『彩なす首里の織物—宮平初子—』は、宮平による手縞(てじま)と花織(はなおり)の制作工程の記録であるとともに、宮平が着物へ込める「思い」についても克明に伝えている。

 

かつて琉球王国の都であった首里(現 那覇市)は、王国の消滅から約140年が経ったいまも、どことなく華やかさが漂う土地である。これまで幾度か首里城やその周辺を訪れたことがあるが、王族や士族が暮らしていた頃の悠久の時間が流れているような、そんな印象が残っている。



首里に生まれ育った宮平は、3、4歳の頃から祖父の御用に連れだって王族や士族の邸宅・御殿(ウドゥン)や殿内(トゥンチ)によく出入りしていた。邸宅では、家に伝わるさまざまな着物を見ることができたという。それらは身分の高い人びとの着物であり、織物の種類や染料についても家の大人たちが細かく聞かせてくれたという。この経験は、宮平の「首里の織物」の原体験であり、この頃に見聞きした数々の着物が、宮平にとっての「伝統」という基礎をつくったといえる。 



琉球城下では、王族、士族、庶民といった身分や階級によって身につける装束に細かい決まりがあった。素材や色の違いとともに、身分が高い人ほど大きな柄を着て、階級が低くなるにつれて着物の柄は細かくなっていた。絣柄の大きさは「玉」という単位で表わされ、布の巾に「一玉」や「二玉」の着物は王家専用であり、「六玉」までは士族が着ることを許されていた。柄は大きくなるほどに人の目をひきつける。柄の大きさが階級を顕示する役割を担っていた。また、柄をまとうことは魔や穢れ(けがれ)から身を守ることにも通じている。柄のモチーフとなる身の周りの自然、植物、動物、生活の道具などがもつ霊力が着物に宿され、身につける人間の身を守るのだ。

 

「着物は命を守るもの」と宮平は言う。そして、「着物は自分のカラダと一緒」であるとも加える。着物を、身につける人物もしくはその人の身体と同一視する心性は古くからあり、「形見」はそのひとつの表れだといえる。亡くなった祖母や母の着物を形見に受け継いだとき、その着物を手にすれば、祖母や母を思い起こさずにはいられない。またいつしか、その着物自体が祖母、母の存在として感じることもあるだろう。

 

宮平は織りあがった布に対して手を合わせ拝む。この姿は、首里の伝統という霊力を織物に込めているように見える。沖縄では、布が仕上がることを「布が生まれる」というが、宮平が生んだ数々の織物は、着物となってそれをまとう人びとの命を守り続けている。

 

 

花織を織る宮平初子

絹紺地三玉手縞沖縄衣裳(全体)

≪絹紺地三玉手縞沖縄衣裳≫(全体)
2002年 ポーラ伝統文化振興財団蔵

絹紺地三玉手縞沖縄衣裳(部分)

≪絹紺地三玉手縞沖縄衣裳≫(部分)

完成した衣裳を前に「手縞織唄」を歌う宮平と工房の女性たち

完成した衣裳を前に「手縞織唄」を歌う
宮平と工房の女性たち


※今回掲載した写真は、ポーラ伝統文化振興財団による撮影


0269_001記録映画「彩なす首里の織物-宮平初子-」(1995年制作/34分)
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※今回をもちまして、大友真希先生による染織関係の映画解説は終了になります。
  次回の投稿は7月25日、6月の伝統文化通信にもご寄稿いただいた、
  中川智絵先生(紙の文化博物館学芸員)に、映画「細川紙の美を漉く-和紙の
  こころ-」の見所を解説していただきます。

※大友先生(染織文化研究家)の映画解説バックナンバーはこちら
映画解説(工芸部門)vol.5 白線のコスモス ― 糸目にみる秩序の美 映画『山田貢の友禅-凪-』 

映画解説(工芸部門)vol.4 紬織の風合いとはなにか 映画『紬に生きる-宗廣力三-』
映画解説(工芸部門)vol.3 絹帯をめぐる音の風景 映画『筬打ちに生きる-小川善三郎・献上博多織』
映画解説(工芸部門)vol.2 「流れの美」を描いた染色家 映画『芹沢銈介の美の世界』
映画解説(工芸部門)vol.1 わざと心を受け継ぐ織物 映画『芭蕉布を織る女たち』

※中川智絵先生(紙の文化博物館学芸員)の伝統文化通信はこちら
【伝統文化通信Vol.13 「越前和紙の里の神まつり」 紙の文化博物館 中川智絵先生】

2018年06月15日

 

 

未曾有の大災害となった東日本大震災から7年。近年、被災各地の伝統文化を捉えたドキュメンタリー映画が次々と公開されています。津波常襲地域である三陸で、繰り返す津波災害を乗り越え伝えられて来た文化には、困難を生き抜く先人の知恵が込められています。

映画監督が、映画から観た震災、そして伝統文化の底力を紹介します。(全3回)

 

(第1回)大津波を生き抜いた黒森神楽 映画『廻り神楽』

★申し訳ございませんが、写真は事情により、2018年6月18日に掲載いたします。

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■三陸を旅する黒森神楽

 岩手県の沿岸部を、冬のあいだ各地を移動しながら祈りの神楽を舞う人たちがいます。岩手県宮古市の黒森神社に伝わる黒森神楽です。「権現様」と呼ばれる獅子頭を携えて各地を巡り、海や山などの自然の神々の化身となって舞い踊ります。人々の願いを受け止めながら340年以上続けられてきました。三陸沿岸は数十年に一度、大津波に襲われています。この100年あまりの間にも4度の大きな津波が襲っています。黒森神楽は、こうした津波を乗り越えながら続けられてきたのです。
(写真1:黒森神楽の権現様)

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■巨大津波を乗り越えて

 東日本大震災の巨大津波により、黒森神楽が訪れる沿岸部の多くは、大きな被害を受けました。神楽衆も、長年神楽を受け入れてきた海辺の人々も、それぞれに深い傷を負いました。

 大津波から6年となる2017年初春、筆者は現代も沿岸部を廻り続けている黒森神楽の足跡を追って、ドキュメンタリー映画『廻り神楽』(遠藤協・大澤未来監督)をつくりました。復興工事が進む被災地で、人々が神楽に託すさまざまな願いを垣間みました。津波災害が宿命ともいわれる“津波常襲地域”三陸で、なぜこのような神楽が絶えることなく伝えられてきたのでしょう?
(写真2:海辺を巡る神楽衆)

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■震災3ヶ月後に活動を再開

 黒森神楽は地震発生3ヶ月後の2011年6月に、早くも活動を再開しました。避難所を訪問して慰問の神楽を披露したのです。自粛ムードが世の中を覆う中、人々を少しでも元気づけたいとの思いだったということです。賑やかな神楽の舞と音に、避難所の人々の表情がぱっと明るくなるのがわかったといいます。

 黒森神楽の大きな特徴は、「神楽念仏」といって、亡くなった人の魂を弔う舞を行うことです。神仏混淆の修験者の流れを汲むという黒森神楽ならではの舞です。黒森神楽は、訪れた各地の浜辺で「神楽念仏」を唱えたそうです。それは、村々に暮らしていた人たち、神楽を心待ちにしていた人たち、突然の別れをしたすべての人たちの冥福を願う祈りだったことでしょう。
(写真3:神楽念仏)

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■6年後の役割

 それから6年。復興工事の進む沿岸各地では、人々の再出発を祝福する黒森神楽の姿がみられるようになりました。高台移転により新築した家では「柱固め」の舞が行われます。権現様が家の柱を噛む仕草をして祓い清め、家内繁栄を祈るのです。ある港では漁師の依頼で「船祝い(ふないわい)」が行われました。漁船の新調に伴って、権現様が船の隅々を噛み、海上安全と大漁祈願を祈るのです。

 この2年程は、とりわけ「柱固め」の依頼が急増したといいます。新たな住まいでの門出に際して、神楽に背中を押してもらう事は、海辺の人たちにとって、とても心強いものであるに違いありません。
(写真4:船祝い)
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■喜びと悲しみに寄り添う

 悲劇と再生に寄り添ってきた黒森神楽。東日本大震災だけでなく、これまでの大津波の際にも、きっと人々のよろこびと悲しみに伴走してきたことでしょう。だからこそ、この地域で340年以上も続いて来たのかもしれません。
(写真5:山の神舞)

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【黒森神楽】

正月になると黒森神社の神霊を移した「権現様」(獅子頭)を携えて、陸中沿岸の集落を廻り、家々の庭先で権現舞を舞って悪魔払いや火伏せの祈祷を行う。夜は宿となった民家の座敷に神楽幕を張り夜神楽を演じて、祈祷の舞によって人々を楽しませる。340年以上、三陸の南北150キロメートルにおよぶ地域を巡り続けてきた。国指定重要無形民俗文化財。

 

【作品情報】(チラシ画像)

『廻り神楽』 監督:遠藤協・大澤未来/2017年/日本/94分

製作:ヴィジュアルフォークロア

キネマ旬報2017年文化映画ベスト・テン作品

 

8/4(土)〜6(月)鹿児島ガーデンズシネマにて【アンコール上映】

9/1(土)伊那旭座(長野県)にて特別上映

 

公式サイトhttps://www.mawarikagura.com/

予告編https://youtu.be/pC77XwytRpg

 

遠藤 協(えんどう・かのう)

映画監督・映画プロデューサー 1980年生まれ。慶應義塾大学在学中に民俗学と文化人類学を学ぶ。映画美学校ドキュメンタリーコース修了後、数多くのドキュメンタリー映画やテレビ番組、記録映像等の制作に携わる。とくに日本各地の民俗文化や芸能のドキュメント制作に力を入れている。2017年に『廻り神楽』を公開。

2018年06月11日


映画解説 vol.8

偏りと出会いから生まれる世界

映画『若衆たちの心意気―烏山の山あげ祭り―』

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

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全国津々浦々、地域を彩る祭礼がある。源を同じくする祭礼であっても、どれ一つとして同じものはなく、よく見れば趣向の違いがたくさん見つかるはずだ。例えば栃木県那須烏山市の「山あげ祭」は、その余興の趣向が見事なことで知られている。道路に100メートルにわたる遠近感たっぷりの舞台空間が出現し、その圧倒的な野外舞台で演じられる所作狂言(歌舞伎)では、煙の中から役者が出てきたり、仕掛けで桜が咲いたり、さらには火花まで出して観る者を楽しませる。このような趣向はどのように生まれるのだろうか。映画『若衆たちの心意気―烏山の山あげ祭り―』を通して、祭礼の趣向の発生に立ち会ってみよう。

この祭礼は、六つの町が輪番制により毎年行うものであり、鍛冶町が当番であった1983年を記録したのが本作である。徳利(とっくり)を運ぶシーンが美しく描写される冒頭の会議では、「木頭」(きがしら)と「副木頭」という2人の祭礼の役が決まる。両者は、祭礼の裏方である若衆たちを指揮する重要な役である。山あげ祭は、この若衆たちが、竹の網代(あじろ)に和紙を貼った巨大な「山」を立てることからその名が来ている。永禄3年(1560)、疫病を除けるため牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、その余興で相撲、神楽、獅子舞を上演するようになったのが祭礼のはじまりといわれているが、「山」や「所作狂言」(歌舞伎)が採り入れられたのは江戸時代である。山の型(かた)は昔からそれほど変わりないが、毎回仕掛けなどの趣向を工夫しており、木頭は、それぞれ仕事をしながら、どのような山にするのかを考えるのだという。ここでは木頭の文具店と呉服屋をはじめ、生業の描写が多く、山作りにかかせない紙漉きなどをみることもでき、昭和末期の町の雰囲気が伝わってくる。


蔵から6年前の山をだすシーン。古い山を前に、皆でアイディアを出し合い、趣向を考える。これまでの山は絵具で山水(さんすい)を描いたものであったが、この年は色つき和紙の貼り絵にすることとなった。「他にはないものにしたい」というこの小さな偏向こそが、後に祭礼を変化させていき、各地で様々な趣向を花開かせていく種となるのである。映画では、貼り絵の山は初めて だからと、応援をよんで町ぐるみで準備している。決して表には出ない誰かの小さな偏向が、様々な出会いを生み出していく。それが祭礼、さらには文化というものにほかならない。

 

 

7月第4土曜日を含む金・土・日曜日、当番町の屋台は次々に町を練り歩く。新たな趣向を他の地域に見せることで、その趣向が新たな趣向を生んでいく。その舞台装置を載せて地車(じんぐるま)を走らせるのは、150人にものぼる若衆たちである。大急ぎで山を造り、終わるとすぐに解体して次の場所に行く彼らは、裏方とはいえ一人一人創意を持った人間であり、彼らがいかに重要であるかを、本作は教えてくれる。同じように伝承していても、一人一人の僅かな偏(かたよ)りが偏りを生み、祭礼は刻々と変化していく。多くの創意が離合集散し、時代の趣向が積み重なって形成されたのが、各地の祭礼であるといってもよい。毎年様々な祭礼に足を運ぶのも楽しいが、毎年同じ祭礼に参加し、僅かな偏りに注目していくのもまた、通な祭礼の楽しみ方である。 



 

 

 

山あげ祭の舞台

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所作狂言(歌舞伎)

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貼り絵された山

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「山」をあげる若衆

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


0192_001記録映画「若衆たちの心意気-烏山の山あげ祭り-」(1983年制作/34分)
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※次回は7月10日、「みちのくの鬼たち-鬼剣舞の里-」をご紹介します。

 

2018年06月04日

 

越前和紙の里である越前市五箇地区は、福井県の北部、緑豊かな山々に囲まれた山間の地に位置します。五箇は不老(おいず)・大滝(おおたき)・岩本(いわもと)・新在家(しんざいけ)・定友(さだとも)の五つの集落から成り、古くより紙漉きを生業として暮らしてきました。

大瀧神社

越前和紙の発祥は定かではありませんが、五箇を流れる岡太川(おかもとがわ)の上流から女性が現れて里人に紙漉きの技を伝えたという伝承があり、これは五箇の地に紙漉きの技術を持った渡来人が移り住んだことを示唆すると考えられています。女性は紙祖の女神「川上御前」として岡太神社(おかもとじんじゃ)に祀られ、今も里人の崇敬を集めています。
この五箇の地に今年、1300年の大祭を迎える神社があります。泰澄大師の創建と伝えられ、五箇地区の紙漉き業者から紙祖の神として信仰を集める女神をともに祀る大瀧神社(おおおたきじんじゃ)です。【大瀧神社】

里宮鳥居

祭りは例年5月3日から5日にかけて、地元の人たちの手で大切に執り行われています。大祭の年である今年は5月2日から5日、準備期間を含めると山の雪が解けた頃から、里は神迎えのため静かな熱気に包まれていました。【里宮鳥居】

  奥の院

そして5月2日、ふれ太鼓が里に響き、山中の奥の院から神々を里宮に向える「お下り(おおり)」の神事で祭りが始まります。お峯天狗と呼ばれる天狗面の先払いで神社を出発し、駕与丁番(かよちょうばん)と白装束姿の「白丁(はくちょう)」に守られた大瀧神社、岡太神社、八照宮の三基の神輿が九十九折の山道を奥の院に向い、里人から「お峯(おみね)」と呼ばれる大徳山山腹の奥の院三殿から里宮へ、神様をお迎えするのです。【奥の院】

  法華八講  3日には神仏習合の古式を伝える「法華八講(ほっけはっこう)、これは法華経八巻を八座に分け、問答することで仏教の心理を明らかにするという儀式法要で、岡太神社・大瀧神社では大祭の年のみ行われます。そして「湯立神事(ゆたてしんじ)」と続き、夜には奉納ライブが行われます。【法華八講】
   神輿渡御①

4日の例大祭では、紙祖の女神「川上御前」が里人に紙漉きの技を伝授する様が地元の小学生による無言の紙能舞で演じられ、さらに里人が伝授された技を演じる、これも小学生による紙神楽が奉じられます。

【神輿渡御】
  最終日である5月5日には五箇地区を神輿が渡り、再びのふれ太鼓の後、神様を奥の院にお送りする「お上り(おあがり)」の神事、里宮へと戻った里人の手締めで4日間にわたる大祭は終了するのです。
 

チョーコ、チョーコ、チョーコーとーえー、

神と別れりゃ悲してならぬ

紙の神様 川上御前

今も栄える神の里

 

奥の院にご神体を納めた空の神輿を担ぎ山を下りる人々が唱和する「松坂」という唄です。お峯への参道整備や神社の清掃、幟の準備などすべて里人の手で営まれる昔ながらの紙の里の神まつりが、これからも変わらず続けられることを願っています。

中川智絵
紙の文化博物館 学芸員

 

2018年05月25日


映画解説(工芸部門)vol.5

白線のコスモス — 糸目にみる秩序の美

映画『山田貢の友禅—凪—』

  大友 真希(染織文化研究家)
①≪糯糊点連線糸目友禅着物「凪」≫(全体)

友禅染は、分業制が主流にもかかわらず、なぜ全工程を一人で行うのかと尋ねられ、「自分の好きな線を引くため」と山田貢は答えている。

友禅の人間国宝・山田貢(やまだみつぎ・1912−2002)は、岐阜県岐阜市に生まれ、15歳のときに友禅の道へ入った。叔父の紹介により、名古屋松坂屋で友禅制作をする中村勝馬(1894−1982)の下に付き、友禅染や蝋染(ろうぞめ)を学んでいった。近代化が急速に進むなか、中村は友禅の創始期にみられた「自由で豊かな精神」に真意を求め、単なる商業的物品ではなく「美術品」としての友禅に理想を追うようになる。中村から強く影響を受けた山田は、昭和4年(1929)中村とともに上京し、昭和26年(1951)の独立後、一友禅作家として、作品に「自分独自の雰囲気」を表現するようになっていった。



映画『山田貢の友禅—凪—』は、山田が東京世田谷の自宅にて、着物作品「凪(なぎ)」を制作する過程が記録されている。友禅染は、まず、糯粉(もちこ)と糠(ぬか)を原料とする防染糊——糯糊(もちのり)を使って布に模様を描く。糊の乾燥後、その上から染料で色を挿す。布に染料が定着した後、糊を洗い流すと、糊を置いた部分は染まらず、白く地色が残ることで模様が浮き出る。友禅は、糊の質と糊置きの仕事が仕上がりを決めるといっても過言ではない。図案の良し悪しは言うまでもないが、良い図案でも、糊を置いた「糸目(いとめ)」が不味ければ、友禅としての価値は下がる。

 



網干(あぼし)の風景を描いた作品「凪」では、藍色との対比でくっきり浮かぶ交差した無数の白線が、画面に清々しい印象を与えている。山田は制作のはじめに実寸の下絵をつくる。網目は定規を置いて鉛筆で線を引き、その上からサインペンを使ってフリーハンドでなぞる。網の結び目を表現するように、強弱をつけながら一本一本綿密に線を引く。続いて下絵の上に布を重ね、水溶性の青花(あおばな)をつけた細筆で、再び同じ線を写し描く。その後、ひと月以上かけて、すべての線に糸目糊を置いていく。糸目糊で引かれた線は、文字通り、糸のように細い。

 

 

 


下絵づくりから糊置きまでに、山田は5回線を引く。作品の出来を左右するのは糊置きの線だけとも言える。しかし、山田はそこに至るまでの4回、すべての線を丹念に引く。何度も引くことで、自らの手に「線」の感覚を染み込ませていくように。この仕事を経ることで、山田は友禅で重要な糊置きにおいて、自分のイメージ通りの自由な線を引くことができたのだろう。「自由で豊かな」糸目を出すために、その線を繰り返し体に刻む。体だけではない。山田の丁寧な仕事を見ていると、その精神にも、幾重にも重なった美しい糸目が引かれているように思えた。

 

 

 

 

 

≪ 糯糊点連線糸目友禅着物「凪」≫(全体)
1995年 ポーラ伝統文化振興財団蔵

②≪糯糊点連線糸目友禅着物「凪」≫(糸目部分)

≪ 糯糊点連線糸目友禅着物「凪」≫
(糸目部分)

③原寸下絵を描く山田貢

原寸下絵を描く山田貢

④糸目糊置き

糸目糊置き

※今回掲載した写真は、ポーラ伝統文化振興財団による撮影


0193_001記録映画「山田貢の友禅-凪-」(1995年制作/34分)
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※次回は6月26日、「彩なす首里の織物-宮平初子-」をご紹介します。

2018年05月20日

宮崎は神楽の宝庫である。日本の神楽を代表する高千穂や椎葉といったところでは今も頑なに女人禁制を守るところが多い。修験系の神楽において、女人禁制はつきものなのだが、九州全域に目を移すと、長崎県対馬の命婦舞、五島列島の市舞などは、巫女神楽が主流となっている。 それでは、宮崎の神楽に巫女神楽がなかったのかと言えば、そうではない。近世に巫女舞が舞われた記録は祓川の神舞(高原町)にも認めることができる。
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今ではどこでも伝統芸能の後継者不足に悩まされている。山間へき地は過疎化に伴う人口減少で舞手そのものがいなくなっているのが問題なのだが、都市部においてはまた、別の要因が存在している。それは、旧集落と振興住宅地との関係である。宮崎市内では30近い地区で、春神楽が伝承され、山間部に比して勝るとも劣らない内容豊富な舞が伝承されている。ところが、見学者も少なければ伝承者も厳しいのが実状だ。その理由を探って調査したところ、地元の祭りに参拝するのではなく、イベントの神楽に足を向ける方が多いことがわかった。理由は、「よそものが、神社の氏子さんのお祭りに入るのは遠慮したほうが良い」「イベントなら気兼ねなく楽しむことができる」というものだった。神楽伝承の地元からは「近くに住んでいても神社に参りにきてくれない」「新たな転入者は神楽を好きな人がすくない」という声があがり、両者の意思疎通が残念なことになされていないことが判明した。
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つい先日訪れた、長崎県五島市福江の住吉神社の神楽で、興味深い事例を見つけた。なんと、ほとんどが子供たちだけで、荒平・獅子舞など様々な舞が男女の別なく立派に舞われて伝承されているのだ。しかも、笛や太鼓などの楽器も4歳から小学生が主体で、中高生も混じっている。子供たちに神楽を教えているのは、宮司の奥様やご家族の方々。小学校にお願いして、氏子圏外からも希望者を募っているという。宮司曰く「神楽はアマテラスの御代より女性が舞っていたもの。女人禁制などあってはならない」と・・・。

つい最近、大相撲で女性が土俵に上がることの是非が取り沙汰されたばかりだが、日本の伝統とされる「女人禁制」について、どこまで正確な情報を国民は有しているのだろうか?

女人禁制を解けば、神楽の伝承者は必然的に倍増するのに・・・

 離島での神楽の伝承は別の意味でも深刻だ。それは、大学進学・就職で若者のほとんどが島離れを余儀なくされるからだ。そこで生まれた知恵が、氏子圏内外を問わず、幼児から小中高校生までを集め、子供たち主体の神楽を作り上げたことだ。

子供たちの世界に、地元民・転入者の区別はあまり存在しない。幼稚園・小学校などの交友関係で文化伝承の輪を自然と広げていくことが可能となる。

 実は、昨年9月、緊迫する半島情勢の最中、韓国から海の神を祭るイベントに招聘され、同神社の最年少4歳の女児を含む巫女さん4名を引率することができた。常に新しい仲間を求めて、神楽を舞い続ける島の女性たちの芯の強さを垣間見る思いがした。

永松 敦

1958年 大阪府生まれ

総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程修了
博士(学術)
専門:狩猟民俗・民俗芸能 在来野菜
現在、宮崎公立大学人文学部教授(民俗学)

最近は民俗知を活かした地域創生を実践しており、宮崎市の地域のお宝発掘・発展・発信事業において、大宮地域自治区の景清伝説・神楽・在来野菜・自然などを活用して地域づくりに従事している。

著書 

『狩猟民俗研究―近世猟師の実像と伝承―』(平成15年)法蔵館
『九州の民俗芸能(海と山と里と交流と展開の諸相)』(平成21年)鉱脈社     ほか

 

2018年05月15日

画像1:修復用に製作した竹釘

仏像は、仏教が日本に伝来した6世紀より、国内で連綿と造られ続けてきた信仰対象像です。日本の仏像は、豊富にあった樹木を素材とした木彫仏が圧倒的に多く、古いものは修理を重ねながら、千年以上の月日を経て現在まで大切に守られてきました。また、明治時代以降になると、仏像は文化財としての側面も併せ持つようになり、昨今、仏像修理を専門とする修復家たちには、伝統的な技法と文化財の修復理念を併せた処置を施すことが求められています。
【写真1:仏像修復用に製作した竹釘】

画像2:江戸時代の仏像の頭部を解体した様子

仏像を造る技術も、伝統的な技法が長く受け継がれてきました。解体修理をすると、その技術を細かい部分でも感じることがあります。その一例をご紹介します。

木を寄せ合わせて造られた仏像は、接合に鎹や釘を使用します。釘は、鉄製や銅製の他に竹製のものが使われることもあります。修復時にも竹釘を新調して使用することがあるため、修復家は自身でこれを製作します。この竹釘ですが、先端に向けてただ細く尖らせるだけではなく、一つの面に表皮の部分を残すひと工夫をしておきます。表皮の部分は堅いので、残しておくことによって折れにくくなるのです。
【写真2:江戸時代の仏像を解体した様子(頭部)】

画像3:拡大(竹釘を使用している) この表皮を残した竹釘ですが、仏像を解体すると中から同じように表皮を残した同じ形状の昔の竹釘が出てきます。様々な時代の仏像から、同形状の竹釘が出てくるのです。古くから、仏師や修理に携わった人々は皆同じ技法で竹釘を作っていることがわかります。
【写真3:拡大(竹釘が3本使われている)】

画像4:修復の様子 些細な事例ではありますが、修復作業を通じて過去との繋がりを感じることもあるのです。仏像修復家は、大切に残されてきた仏像を、技術も含めて現在から未来へと繋げるために修理に勤しみながら日々技術向上にも励んでおります。
【写真4:修復の様子】

小室 綾

京都造形芸術大学歴史遺産学科文化財科学・保存修復コース卒業。
卒業後、吉備文化財修復所に修復所員として勤務。
現在は、仏像修復家として寺院など現地での修理を中心に活動している。

2018年05月02日

映画解説(工芸部門)vol.4

紬織の風合いとはなにか

『紬に生きる-宗廣力三-』

  大友 真希(染織文化研究家)
①

 

映画『紬に生きる-宗廣力三-』では、「紬縞織・絣織」(つむぎしまおり・かすりおり)の人間国宝・宗廣力三(むねひろりきぞう・1914-1989)が終生にわたり紬に込めた、厳しくも温かい“心”が描かれている。全編を通じて「風合い」という言葉が幾度も語られるが、この「風合い」を手がかりに宗廣の言葉や作品を見ていくと、宗廣が求めた紬織とは一体何だったのかがわかるのではないか。

 

宗廣作品は、意匠のほとんどが縞・格子柄と幾何学柄で構成されている。縞・格子は紬織の基本であるが、そこに経緯絣(たてよこがすり)で丸文、菱文、立涌文(たてわくもん)、竹文などの文様を組み合わせて緻密な意匠を創り出している。文様の多くは自身が考案した染色方法“どぼんこ染”で染められたもので、文様の色・形に濃淡の“ぼかし”が入ることで、多層的な奥行を感じさせる。

 

ところで、紬といえば結城(茨城県)や信州(長野県)などが産地として広く知られるが、昭和初期まで全国各地——養蚕の盛んな地域では、農家の女性たちが家族や自分の普段着用につくっていた織物であった。蚕の飼育と繭の生産に際し、絹(生糸)として売り物にならない屑繭から真綿(まわた)をつくり、それを指で紡ぎ糸にして着物を織った。古くから、絹­の「美しい光沢」と「ひんやりとして滑らかな肌触り」は支配階級の特権であったが、「つつましい艶」と「温かみのある肌触り」という、別の絹の風合いを庶民は知っていたのである。

 

宗廣は、庶民が感じていた紬の風合いを自身の作品に求めていたのではないか。長年思いを馳せていたエリ蚕紬(えりさんつむぎ)に取り組む場面では、「紬は毛羽が出やすい。二、三年してくると渋くなる。エリ蚕の織りあがったものが既に二、三年した紬の良さを出している」と語る。つまり、紬は、数年経った(身につけた)後の方が本来の「美しさ」や「温かみ」が出ると考えていたのだろう。

 

宗廣の故郷・岐阜県郡上八幡(ぐじょうはちまん)でも、かつて農村の衣生活を支える織物として紬が織られていた。それは、山々の草木を染料に糸を染め、地機(じばた)で織った無地か単純な縞柄であり、「現代の私たち」が見れば「ざっくりとした素朴な風合い」だと感じるに違いない。

 

宗廣が郡上で紬を始めたころ、土地の老女が「色は冴えて、堅牢で、やわらかくて、こし強く、深みがありて、あたたかく」と紬を表現したという。近頃、宗廣作品《茜染エリ蚕紬やたら絣着物》を間近で見させていただいたが、制作から三十年を経たいまも、茜で染めた深紅色は「冴えて」いた。エリ蚕紬の「こしのある柔らかさ」と「温かみ」にも触れた。目の前の紬は、郡上の人びとが身につけていたかつての紬とは違う。しかし、まさしく、郡上の老女が宗廣に語った「紬の風合い」が、そこにあるのをはっきりと感じたのである。

図案を描く宗廣力三 1988年

②

《丸に華文茜どぼんこ染吉野格子絣着物》(全体)
1988年 ポーラ伝統文化振興財団蔵

③

《丸に華文茜どぼんこ染吉野格子絣着物》(部分)

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《茜染エリ蚕紬やたら絣着物》
1988年 ポーラ伝統文化振興財団蔵

※今回掲載した写真は、ポーラ伝統文化振興財団による撮影


0168_001記録映画「紬に生きる-宗廣力三-」(1988年制作/32分)
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※次回は5月25日、「山田貢の友禅-凪-」をご紹介します。

2018年04月16日

古代東アジアの儀礼音楽について、国家制度の視点から研究しています。中国の儀礼音楽は日本や朝鮮半島にも大きな影響を与えましたが、その歴史的背景を知ることは、わたしたちの日本理解を助けるものにもなるでしょう。
こうした儀礼音楽の研究をする前は、東アジアの軍事・財政史に興味がありました。そうした軍事、財政をはじめとする国家制度の視点から、東アジアの音楽史を新たに読み解いてみようというのが、私の研究スタンスです。

上記の研究スタンスは、音楽を芸術の視点のみからとらえた場合、邪道と映るかも知れません。しかし、新しい研究は、それまで人が忌避して手をつけてこなかったところから始まります。日本の東アジア史研究は、軍事・財政史に多くの蓄積があるので、自分がその方面の勉強をしていた頃は、偉大な先人の残した枠組みの隙間埋めをしていたように思います。今は新たな視点から、音楽史を再構築していくことで、そこから解放されつつあるというのが、私の正直な思いです。

戸川先生

このように国家制度の視点から日本の儀礼音楽をみると、従来の研究は、個別の楽曲・楽器等に焦点をあてたものであり、当時それが演奏される場が如何なるものであったのかということに、あまり深い配慮がなされてこなかったように思います。
その原因は、特定の儀礼音楽のみに焦点をあてた個別研究が戦前から蓄積されたのに対し、その演奏の場である王朝儀礼の研究が脚光を浴びるのは戦後、なかでも歴史学が文化人類学等の影響を受けた80年代前後からであったためでした。
こうした儀礼と音楽を結びつける新たな視角から、東アジアにおける儀礼音楽の実態を明らかにできれば、いわゆる日本固有の伝統音楽とされているもののうち、何が中国、朝鮮半島と共通し、何が真に特異なものなのかを明確にする一助となるでしょう。
例えば、古代中国の儀礼音楽は、皇帝が中国に君臨し、周辺国を服属させていることを音楽によって表現するものでした。日本の儀礼音楽も、こうした中国の儀礼音楽の影響を受けています。ただし、日本では、大陸からもたらされた外来音楽を天皇儀礼の中に新たに位置づけ直し、自国を中心とする新たな儀礼音楽を創ったところに大きな特徴がありました。
一方、朝鮮半島では、君主である王が、中国皇帝より継続的に冊封を受けていたため、日中と異なるユニークな儀礼音楽が創られていきます。このように伝統文化を国際的に俯瞰する研究を続けていけば、日本の儀礼音楽を東アジアの中に位置づけ、とらえ直していくことにもつながっていくように思います。
そうした比較研究を通じて、日本における伝統文化の理解をさらに深めていきたいというのが、私の願いです。

戸川 貴行(とがわ たかゆき)

日本学術振興会特別研究員PD(東京大学)、愛知大学国際中国学研究センター研究員などを経て、現在、お茶の水女子大学基幹研究院人文科学系准教授。平成24年度東方学会〈内閣府所管〉賞受賞。数々の著作を発表しているが、主な論文としては、『東晉南朝における傳統の創造』(汲古叢書)が挙げられる。平成29年度公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団の助成事業にて、「前近代東アジア儀礼音楽の比較研究」が助成採択。

 

 

2018年04月10日



映画解説 vol.7

燃え盛る祭りの想像力

映画『炎が舞う-那智の火祭り-』

 

川﨑 瑞穂 (神戸大学)

火祭りの大松明

日常みかけることが少なくなった今日でもなお、祭りに出掛ければしばしば出会うものの一つに、火がある。思い出のワンシーンに祭りの火がある人もいるはずだ。さらに火が主役ともいえる祭りは、日本だけでなく世界各地に伝承されている。今回紹介する映画『炎が舞う―那智の火祭り―』は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町(ひがしむろぐんなちかつうらちょう)に鎮座する熊野那智大社の例大祭、通称「火祭り」をダイナミックに描き出した作品である。

 

この祭礼は、扇神輿(おうぎみこし)という特殊な神輿を用いることから扇祭(おうぎまつり)と呼ばれており、巨大な神輿12体をウェーブのように立ち上げる扇立(おうぎたて)のシーンは壮観である。この神輿を祓い清めるために火を用いることから「火祭り」とも呼ばれているが、本作に映し出される火は全て、7月14日の祭礼当日、朝5時におこされる忌火(いみび)から生まれてくる。那智大滝の御滝本(おたきもと)に鎮座する飛瀧神社(ひろうじんじゃ)では、この火を大松明に点火する儀式が行われる。そして、「オメキ」と呼ばれる渡御の開始を告げる歓声が交叉する中、伏拝(ふしおがみ)という場所から降りてくる12体の神輿と、御滝本から上がってくる12本の大松明が石段の上で出会い、クライマックスをむかえる。

  

なぜ人は祭りに火を採り入れたのだろうか。無論、火の意味が祭りによって様々であることは、火を見るより明らかだ。那智の火祭りは、大松明の「火」と、神輿によって表現される那智大滝の「水」の祭りであると、ナレーションでは語られている。度々登場する聞きなれないキーワードは逐一画面に表示され、この火と水からなる画廊を逍遥する際の導き手となってくれる。祭礼を理解する近道は、各部分が何を象徴するのかを知ることであろう。「記録映画」といういささか学問的な映画の使命は、その水先案内に尽きると言っても過言ではない。しかし、象徴を知るだけでは火祭りの秘密を解き明かすことはできない。われわれはナレーションの行間に侵入し、祭りの想像力の最深部に潜り込んでみよう。

 

本作はこの祭りのクライマックス、赤々と燃える大松明のシーンから始まる。突然画面いっぱいに横溢する火。それは幼き頃に課せられる最初の禁止の一つであり、ゆえに観る者の心に直截的に働きかけ、魅惑する。火祭りは、その「火」の原体験を想像力の源泉として、鮮やかに開花せしめた祝祭であるといえるかもしれない。この喧騒のシーンに、室町時代の面影を遺すとされる典雅な「那智田楽」のシーンが交叉する。ここではあえてナレーションを廃することで、芸能と喧騒、秩序と無秩序、楽音と噪音といった対立を巧みに表現している。ここから視線は空高く上昇し、熊野の山々を一望する。囃子や掛け声を運ぶ「空気」、それらを包み込む熊野の「大地」、そして「火」の神である熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)と那智大滝の「水」。これらは祭礼を生み出した人々の、物質的な想像力の「四元素」であるともいえよう。絶妙な場面転換によって描出される祭りの想像力に沈潜するのも、本記録映画を楽しむ一つの方法かもしれない。

 

 

 

火祭りの大松明

②那智大滝

那智大滝

③那智田楽

那智田楽

那智の森

熊野の森 ※本写真は川﨑瑞穂による撮影


※クレジットのない写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影


0125_001記録映画「炎が舞う-那智の火祭り-」(2001年制作/32分)
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※次回は5月10日、「若衆たちの心意気-烏山の山あげ祭り-」をご紹介します。

2018年04月02日

 

秋田県鹿角市花輪では、毎年8月16日~20日にかけて幸稲荷神社(さきわいいなりじんじゃ)の例大祭が行われます。特に8月19日~20日は通称「花輪ばやし」といい、各町の囃子を乗せた豪華絢爛な十台の山車が、二日間ほぼ徹夜で巡行します。  
高久  

秋田県鹿角市花輪は、秋田県の北東部、奥羽山脈の懐に形成された断層盆地(鹿角盆地)に位置し、東側は岩手県の県境と、北は青森県と県境を接します。

 花輪の8月は、花輪ねぷた(8月7日、8日)から始まり、個々の家の先祖祭りである盆行事(8月13日~16日)、「花輪祭典」とも呼ばれる幸稲荷神社の例大祭(8月16日~20日)、花輪の町踊り(8月26日~9月8日)と、次々に民俗行事が行われ、総して「花輪祭り」と称します。19日~20日に屋台で演奏される祭囃子が花輪囃子です。以前は「はやし」や「ギオンばやし」といわれていましたが、昭和以降全国的に知られるようになり、「花輪囃子」「花輪ばやし」という呼称が生まれました。現在では「花輪ばやし」が例大祭の通称として呼ばれることが多くなっています。ここでは、例大祭のことを「花輪祭典」、囃子のことを「花輪囃子」と称してお話します。
 
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一つの囃子を演奏するのに同じ町の人々によって伝承されていることが多いのですが、花輪囃子は太鼓と鉦は各町の若者、笛と三味線は近隣地域に住む「芸人さん」と呼ばれる人々によって演奏されます。

各町の若者は子どものころから演奏を聞いておりリズムは覚えているため、小学生になって本格的に稽古を始めると、すぐに叩ける場合も多いそうです。はじめは、3列目の「中太鼓」から叩きはじめ、花形である「大太鼓」の演奏を目指して町内の若者たちが切磋琢磨して稽古します。若者会は42歳で卒業します。30代以降は祭りの運営が中心となるので、囃子の奏者は10代~20代が中心となり、活気あふれる演奏をします。
 
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 一方「芸人さん」は、長い人だと60年以上同じ町で演奏しています。「芸人さん」はそれぞれ師匠がおり、師匠から個別に笛や三味線を習って、師匠の采配で演奏する町の屋台が決定します。師匠から仕込まれる芸はとても厳しいものだったといいます。「芸人さん」の系譜をたどっていくと、「あやめの市」という名にあたります。「あやめの市」は座頭であったといい、「芸人さん」はその系譜上にいます。昭和60年代頃までは盲目の奏者も「芸人さん」を務めていました。現在の芸人に座頭はいませんし、本職を持ちながら花輪祭典のときだけ笛や三味線を演奏していますが、以前は芸を生業としている人たちが演奏していました。

このように花輪囃子は、年若く情熱的な演奏をする太鼓と鉦の奏者と、長年にわたり同じ町で演奏することで、その町の囃子の特徴を町の住民よりもよく知る「芸人さん」によって伝えられています。情熱だけでは崩れてしまうかもしれない囃子のクオリティを「芸人さん」がひっぱり、町の若者たちが若さとパワーある演奏で訪れた見物客たちを魅了します。技術と情熱が混在した花輪囃子をぜひ一度ご覧ください。

なお花輪祭典は、2014年に「花輪祭の屋台行事」として国指定重要無形民俗文化財に指定されています。
 

 

高久舞(たかひさまい)

國學院大學文学部非常勤講師。

 

日本大学芸術学部演劇学科卒業後、國學院大學大学院文学研究科にて民俗学を学ぶ。

20163月に國學院大學にて学位取得(民俗学)。専門は民俗芸能、伝統芸能。

201712月民俗芸能学会「本田安次賞奨励賞」受賞。

 民俗芸能・伝統芸能の研究とともに若手邦楽グループ「和っはっは若衆組」メンバーとして邦楽・日本舞踊のレクチャー公演を行っている。

2018年03月25日

映画解説(工芸部門)vol.3

絹帯をめぐる音の風景

映画『筬打ちに生きる−小川善三郎・献上博多織』

  大友 真希(染織文化研究家)
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 「帯の値打ちは色や柄だけでなく音にもある」と小川善三郎(1900-1983)は語る。

 

 本映画の終盤に、小川が織り上げた帯を織機から外す場面がある。しっかりと織り込まれた厚みのある絹帯が、小川が手元に巻き取るたびに、シューッ、シューッ、と重厚な音を立てる。絹鳴りである。小川がつくる献上博多織は、織り味が良いというだけでなく、気持ちの良い絹鳴りがするのだ。上質な絹糸を用い、長年の修練をともなった手織り特有の音が、小川の帯にはある。

 

 機織りは、昔から男性よりも女性に結び付けられる仕事としておこなわれてきた。祖母や母の姿をみて、糸作り・機織りの仕事を体得することが女性として一人前と認められる要素の一つであり、家のため、夫や子供のために縞や絣模様を工夫して織ることは、女性たちの楽しみでもあった。糸紡ぎ・機織りをする女性たちの姿は日本の原風景の一つであり、糸を紡ぐ糸車の音、機を織る音が家々から聞こえてくる、そういう「音の風景」が多くの土地に存在していた。女性たちの手により綿々と織られてきた布は、やわらかさをもち、身につける者に温もりを感じさせたことだろう。

 

 一方、博多織では、経糸(たていと)の密度が非常に高く、緯糸(よこいと)を打ち込むには強い力が必要とされたため、昔から、織り手には男性が採用されてきた。小川の織る博多織は、厚みを持った強靭な織物である。映画には、小川がひたすら織機と向き合う姿が映し出されるが、強い力を入れて織る様子は見られない。畦(あぜ)を上下させ経糸にカラカラカラと杼(ひ)を通す。タンタンと緯糸を打ち込んだ後、他方の畦を上下し、タン、ターンと筬打ち(おさうち)をする。畔を上下させ、経糸に杼を通し、筬を打つ冴えた音が、繰り返し機場に響く。小川の呼吸に合わせて、八千本もの経糸が縺れることなく織り進んでいく。糸・織機との掛け合いに無心で取り組む姿がそこにある。決して「力」を入れているのではなく、経験によって自身の身体に染み付いた織りの息づかいがそうさせている。

 

 小川は、一連の音色を基に、織りのテンポをとっているのではないだろうか。それは、かつて女性たちが歌った機織唄のように。唄により一定の調子で作業を続けることができ、反復仕事の退屈も避けられる。また、機織唄は、「いい布が織れるように」との願いや祈りが込められていて、本来は、機織神へ捧げる唄でもあるのだ。神聖な気持ちで機織りに臨むことがあたりまえとされていたからであり、小川にもその心があることは仕事に向かう姿勢からも伝わってくる。

 

 小川は優れた作品のことを「気合いの籠(こも)った帯」と呼ぶ。「厚みのある強靭な帯」とは、男性的な織物だといえるかもしれない。しかし、小川の織る献上博多織は不思議とやわらかい。その理由は、気合いを籠めた呼吸が奏でるその「音」にみることができるだろう。

小川善三郎 1982年

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機織り(畦を上下させ、経糸に杼を通し、緯糸を打ち込む)する小川

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織り上がった帯を検品する小川(右)と家業を継ぐ息子の規三郎(左)

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小川善三郎《三献上博多織帯》 1982年
ポーラ伝統文化振興財団蔵


※今回掲載した写真は、ポーラ伝統文化振興財団による撮影


0097_001記録映画「筬打ちに生きる-小川善三郎・献上博多織」(1982年制作/33分)
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※次回は4月25日、「紬に生きる-宗廣力三-」をご紹介します。

2018年03月10日

映画解説 vol.6

曳山、あるいは東西文化のタペストリー

映画『―琵琶湖・長浜―曳山まつり』

  川﨑 瑞穂(国立音楽大学助手)

①曳山全体像

祇園祭、高山祭に続く「日本三大曳山祭」の一席、ここに長浜曳山祭と秩父夜祭のどちらを入れるかは意見が分かれる。どちらもユネスコの無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に名を連ねる甲乙つけがたい祭礼であると、ここでは軟着陸しておこう。今回紹介する映画『―琵琶湖・長浜―曳山まつり』は、前者を題材とした記録映画であり、特に子ども達によって演じられる「こども歌舞伎」を、稽古から本番まで描き出している。歌舞伎といえば、後者の秩父夜祭も負けず劣らず有名であるが、映画『秩父の夜祭り―山波の音が聞こえる―』と本作を見比べて、どちらを三大曳山に入れるかを密かに考えるのは、観る者に許された自由であろう。

 

琵琶湖の北、滋賀県長浜市で毎年4月9~16日にかけて開催されるこの祭礼は、町衆の内、「子ども役者」「若衆」「中老」という三つの異なる世代が行う祭礼である。町衆が集まって祭礼の相談をする場面に続いて、曳山の絵画や、セピア色の古写真が多数映し出される。春休みになると、子ども役者の稽古がはじまる。役者には幼稚園児もおり、振付の先生から指導をうける彼らの後ろでは、若衆がサポートをする。稽古で「チリカラスッタータッポッポ」といった不思議な声を出しているが、これは三味線の「チントンシャン」のような、音楽を覚えるための「唱歌(しょうが)」という歌である。曳山祭の歌舞伎は「義太夫節」という三味線音楽の伴奏で演じられるが、義太夫節の映像に、なぜかバロック音楽、すなわちバッハやヘンデルといった作曲家に代表される時代の西洋音楽が合わされる。本作ではバロック音楽やルネサンス音楽が度々登場し、曳山の曳行(えいこう)のシーンでは、なんと祭り囃子や掛け声に重ねあわされている。なぜだろうか。

 

ヒントは随所に示されている。16世紀末に遡るとされるこの祭礼では、曳山に舶来のタペストリー(織物)が飾られているが、これは祇園祭と同じく、町衆が財をなげうって買い求めたものである。また本作冒頭では、鉄砲をはじめて造った工業の町として長浜が紹介されているが、「鉄砲」や「織物」といった長浜を象徴する外来文化の流入期は、およそ西洋音楽史のルネサンス(15~16世紀)からバロック(17~18世紀半ば)にかけての時代にあたっている。本作を観る者は、曳山とタペストリーという視覚だけではなく、聴覚によっても同時代の文化のコントラストを楽しむことができるのである。

 

曳山は長浜八幡宮に集まり、いよいよ「狂言奉納」となる。子ども役者の演技とそれを熱心にみる大人たち。ナレーションでは、町衆が創り出した趣向として歌舞伎が紹介されているが、歌舞伎もまた時を同じくして生まれ、江戸期を通じて発展した芸能である。ヨーロッパの織物を飾り、歌舞伎を載せた曳山のごとく、およそ文化というものは何らかの「他なるもの」の集合体である。それは舶来のタペストリーよろしく、様々な種類の糸で織られた織物であり、本作はその東西文化の綴織(つづれおり)を、映像と音楽の組み合せによって巧みに表現している。バロック音楽の「通奏低音」のように本作と曳山祭を貫流する異種混淆性、「文化のオリジナルとは何か」という問いが、そこからかすかに聴こえてくる。

長浜の古い町並みと曳山

②子ども歌舞伎の練習風景

子ども歌舞伎の練習風景

鳳凰山-002()

鳳凰山の見送り幕(タペストリー)
※写真提供: 長浜市曳山博物館

④子ども歌舞伎の上演風景

子ども歌舞伎の上演風景
※クレジットのない写真は、ポーラ伝統文化振興財団による撮影


0064_001記録映画「-琵琶湖・長浜-曳山まつり」(1985年制作/32分)
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※長浜曳山祭の詳細は、機関誌「伝統と文化」40号をご覧下さい。
詳細はこちら

※次回は4月10日、「炎が舞う-那智の火祭り-」をご紹介します。

2018年03月01日

 

私は民俗芸能の詞章の研究や詞章を基にした作詞の仕事をしています。今日は、私が作詞し、平成29年3月7日、紀尾井ホールで作品として発表された、大和楽「四季の雨傘」を題材に、民俗芸能(広島県の田植唄の詞章の一部)を取り入れた詞章のあり方、新しい形での言葉と文化の伝承についてお話ししたいと思います。

 一昔前であれば当たり前のように様々な芸能から長唄や端唄、地歌などに詞章が取り入れられ、形を変えて伝承されてきました。しかし、近年の新作ではその傾向が薄くなっているように思われます。以前からこれを危惧していた私は、紀尾井文化財団の「邦楽作品の新作作詞家を育てる」という目的で開講された「紀尾井邦楽塾」を、平成26年8月に受講し、竹内道敬先生、徳丸吉彦先生、渡辺保先生らの指導を仰ぎ、広島県の田植え唄の詞章を摂取した「四季の雨傘」を完成させました。
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中国山脈を挟むようにして広島県北部と島根県南部の山間部落で行われている「花田植え」と呼ばれる民俗芸能があります。

 「花田植え」といえば、2011年にユネスコ無形文化遺産に登録された広島県山県郡北広島町壬生の花田植えが有名すが、今回、私が大和楽「四季の雨傘の詞章として摂取したものは、その壬生の花田植えが行われる千代田町の隣町に位置する、広島県安芸高田市美土里町のもので、本郷(本村)から、北地域にかけて歌い継がれてきたものの一部です。

 美土里町史編集委員会『美土里の歴史と伝説』(1972)によれば、美土里町の「花田植え」の歴史は文政2年まで遡るとされています。
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もともと、「花田植え」の歌は田を守る神である「さんばい」お迎えする行事でしたが、「さんばい」をお迎えする為の歌から、徐々に様々な歌詞が生まれていったと考えられます。

 美土里町史編集委員会『美土里の歴史と伝説』(1972)の中から、今回の大和楽の詞章で用いた歌詞の元歌を引用してみましょう。

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さて、田植え歌の「つるらんつるらんぴんつるらん」という歌詞をみると、座頭(盲人音楽家)が琵琶を弾いた時の擬音である、ということが考えられます。私はこの擬音の特徴を他の音の擬音に置き換えられないだろうか、と考えた。

 擬音について考えた際、「花田植え」の歌詞の全文に「水」に関する描写が多いことに気がつきました。その為、この「つるらんつるらんぴんつるらん」という擬音を「水」に関する別の表現に用いることができないだろうか、と次に考えました。その結果、以下のように傘が雨を弾く音のイメージにたどりつきました。
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広島県の山間部地域のように、日本には限界集落と呼ばれる地域が多く存在します。残念なことではありますが、伝承者がいなくなり、途絶えてしまう芸能は沢山あります。

私が今回紹介したように、新作邦楽の詞章にこのような民俗芸能の歌詞を摂取する、という手法は、今後、途絶えてしまいそうな民俗芸能に再び人々の注目を集め、芸能保存の方法の一つになるのではないかと考えています。新作邦楽には新しい風を、民俗芸能にはその保存を、と双方に良い効果がもたらされるのではないでしょうか。

 「古きを訪ねて新しきを知る。」新しいヒントやアイディアは古典の中に溢れています。皆さんも生まれ育った地域の民俗芸能や興味のある伝統芸能の歌詞を改めて読み直してみてはいかがでしょうか。

 

稲垣慶子

 

国立音楽大学アドバンストコース、日本大学博士前期課程舞台芸術専攻修了。日本の横笛の歴史研究、古典音楽の詞章研究を中心に活動中。

 



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