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2020年11月25日



ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎えた「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞を受賞された方々を随時ご紹介致します。

 

第3回 伝統文化ポーラ賞 特賞

小泉重次郎「板橋・徳丸の田遊びの伝承」

      川﨑瑞穂(博士・神戸大学特別研究員)

 

 各地に伝わる民俗行事の中には、「稲作」に関係する芸能や祭礼が数多く存在します。田植えに際して行われる歌舞が芸能化した「田楽」(でんがく)などは、「味噌田楽」や「おでん」(お田楽)といった馴染み深い言葉の中に、味わい深さとしても名残をとどめています。

 また、元来「芸能」の芸(藝)には「うえる」、あるいは「まく」といった意味があり、農耕の「わざ」と「芸能」という「わざ」の間に、深い関わりがあることも暗示しています。

Resized徳丸の田遊び「田うない」

徳丸の田遊び「田うない」

 稲作の所作を、田植えに際して行うのではなく春先に演じる「田遊び」もまた、農耕と密接に関わる芸能の一つです。正月(太陰暦で行う場合もあるため1~4月)頃、「予め」豊作を「祝う」ことで豊作になると考える「予祝」(よしゅく)の発想により、稲作の行程を順を追って演ずるのが「田遊び」と呼ばれる芸能であり、稲作が人々にとっていかに重要であったのかを教えてくれます。

 稲作と縁遠くなったかにみえる東京23区内においてもなお、この「田遊び」を伝える地域があります。板橋区徳丸・北野神社と同区赤塚・諏訪神社では、2月の祭礼当日、神社拝殿前に設えられた「もがり」と呼ばれる舞台において、稲作を模した技の数々が演じられます。「福の種をまーこうよ」といった縁起の良い歌詞を、つい口ずさみたくなるような独特なメロディで歌うこの芸能は、牛によって田をならす所作を演じるユーモラスな演目「代かき」など、個性的な技の数々を伝えています。

Resized徳丸の田遊び「代かき」

徳丸の田遊び「代かき」

 「徳丸の田遊び」と「赤塚の田遊び」、よく見比べ、聴き比べることで、様々な類似点と相違点に気付くことができるでしょう。とりわけ赤塚では、「もがり」の前で行われる天狗の舞(御鉾の舞)など、付随する多彩な演目も魅力的。「花籠」をつけた槍と太鼓の前に、弓(破魔矢)、男の子が乗った「駒」、そして獅子が順番に登場する「槍突き」。田遊びの伝える多彩な技をみると、子どもや稲の健やかな成長を祈る、この芸能を伝えてきた人々の温かな気持ちに触れることができます。

赤塚の田遊び「駒」

赤塚の田遊び「駒」

  Resized赤塚の田遊び「獅子」赤塚の田遊び「獅子」

 伝統文化ポーラ賞を受賞した小泉重次郎氏は、長らく板橋区の民俗芸能「田遊び」を主導し、地域の振興と伝統の継承に貢献されました。

 

 注:祭礼の開催日等につきましては、別途ご確認ください。

 

 

 

2020年11月12日

 

 特別陳列「きらめく美 北陸ゆかりの截金作家たち」が、石川県立美術館にて2020年11月19日(木)より開催されます。

 平安時代より、仏画や仏像の装飾をする金箔工芸として発展した「截金」(きりかね)。
 北陸にゆかりのある、3名の截金作家の作品が石川の地に集い、煌びやかな至極の空間を創り上げます。

 重要無形文化財「截金」保持者の西出大三氏、高瀬孝信氏と並んで展覧会を彩るのは、第35回伝統文化ポーラ賞 奨励賞を受賞された山本 茜先生。
 截金の煌めきを、ガラスという三次元の舞台の中に閉じ込め、踊るように光を反射・屈折させる山本先生の「截金ガラス」は、まるで万華鏡のように見る人々の心を魅了し、時の流れを忘れて美の世界に没頭させてくれます。
 会場では源氏物語シリーズ第三帖『空蝉』や第七帖『紅葉賀』に加え、「一葉舟」、「深淵を覗く」、「胡蝶」など、8点の作品ををご覧いただけます。

 北陸と截金、深い縁で結ばれた現代の芸術家による、優美で荘厳な截金の世界をどうぞお見逃しなく。


 詳細は下記URLよりご覧いただけます。

きらめく美チラシ

 

◇日時:2020年11月19日(木) ~ 2020年12月20日(日)

    9:30~18:00  ※最終日は午後5時閉場

◇場所:【石川】石川県立美術館

◇詳しくは下記ホームページをご覧ください。

http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/exhibition/9424/

 

2020年11月10日



ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞を受賞された方々を随時ご紹介致します。

 

第29回 伝統文化ポーラ賞 優秀賞

加藤 孝造

「瀬戸黒・志野・黄瀬戸の制作・伝承」

             佐藤典克(陶芸作家)

 

加藤孝造氏の陶芸への道は、昭和28年 岐阜県陶磁器試験場で、幸兵衛窯(こうべえがま)の礎を築いた五代目 加藤幸兵衛氏に陶芸の指導を受けたところから始まりました。その才能は多才で、翌年の第10回日展(日本美術展覧会)に洋画部門で初入選、この年の全国最年少入選となったほどです。

Resized 瀬戸黒茶ワン

「瀬戸黒茶ワン」(せとくろちゃわん)
平成22年 第57回日本伝統工芸展 出品

 

  その後、昭和45年にまた大きな出会いが訪れます。その人こそ、志野をはじめ、黄瀬戸、瀬戸黒など桃山時代に開花した焼き物の美に魅せられ、その再現に取り組んだ重要無形文化財保持者、故荒川 豊蔵氏です。荒川氏は加藤氏の人生観を揺さ振り、陶芸のみならず人生の師と仰ぐほどの人物でした。

 翌年、可児市久々利に穴窯と登窯を築き、以後手回し轆轤(ろくろ)や薪による焼成等の桃山陶芸技法による制作を自身のライフワークとしていきます。その作品は桃山の志野・瀬戸黒を原点に、その伝統を継承しながらも新しさを追究したもので、手になじみ易く落ち着いており、加藤氏の風貌を彷彿とさせます。

Resized 黄瀬戸水指

「黄瀬戸水指」(きせとみずさし)
(径17cm, 高18.7cm)
令和2年 第48回伝統工芸陶芸部会展 出品

 

 平成7年、岐阜県重要無形文化財「志野・瀬戸黒」の保持者に認定。平成21年に伝統文化ポーラ賞 優秀賞を受賞、翌平成平成22年には「瀬戸黒」の国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

 それまでの「瀬戸黒」保持者であった荒川豊蔵氏が1985(昭和60)年に死去し、重要無形文化財指定が解除されていたこともあり、加藤氏で「瀬戸黒」2人目の人間国宝となります。

Resized 掛け流し瀬戸黒茶盌

「掛け流し瀬戸黒茶盌」(かけながしせとくろちゃわん)
(径13.3cm,高9.5cm)
平成28年 第63回日本伝統工芸展 出品

 加藤氏は若手陶芸家を集い「風塾」を創設、塾生には美濃陶芸を代表する作家たちが名を連ね、後継者の育成にも尽力しています。その功績と貢献は多大で、84歳の現在も現役陶芸家として精力的に活躍しています。

 ◇画像提供:公益財団法人 日本工芸会
https://www.nihonkogeikai.or.jp/

 

 

 

2020年10月05日



ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。

 

第2回 伝統文化ポーラ賞 特賞

 鈴木 寅重郎「越後上布」

  大友真希(染織文化研究家)

 

 晩冬の晴れた日、真っ白な雪原に広がる越後上布の反物。雪と太陽光に当てて布を漂白する「雪晒し」は、越後に春を告げる風物詩となっています。越後上布とは、新潟県南魚沼・小千谷地域で生産されている麻織物のことで、薄くて軽い、涼やかな肌触りが特徴です。

Resized雪ざらし

雪晒し
[太陽光で雪が溶け、蒸発する際に発生するオゾンを利用し、布を白くする作業]

 

 越後上布の原料には、福島県昭和村で生産された苧麻(ちょま)の繊維・青苧(あおそ)を使います。青苧を細かく裂いて撚(よ)り繋ぎ、細く均一な糸をつくります。糸の撚り掛け、糊付け、絣くびり、糸染め、整経などの工程の後、いざり機(地機)を用いて布を織ります。緯糸(よこいと)の撚りを強くして皺(しぼ)加工したものは「小千谷縮(おぢやちぢみ)」といい、越後上布とともに夏用の着物に人気の素材です。越後上布づくりは冬の作業が中心ですが、乾燥に弱く切れやすい苧麻糸の扱いには、雪がもたらす湿気と熟練した手技が欠かせません。

 

19絣くびり

絣くびり
[経糸と緯糸の柄になる部分を綿糸などで括り、布生地に染料が染めつかないようにする作業]

 

Resized 染色

糸染め
[絣くびりをした部分は、染まらずに白く残る]

 

Resizedいざり機・荒川

いざり機(地機)による織布

 

 江戸時代には幕府へ上納されるなど、上質な麻布として高く評価され、その生産は最盛期を迎えました。明治以降、機械化・洋装化が進むにつれて、生産高が減少。戦中・戦後にかけて途絶えつつあった越後上布づくりの技を守るべく、産地では生産者を中心に技術保存協会が設立され、昭和30年には小千谷縮とともに国の重要無形文化財に指定されました。

 

Resized 足ぶみ(越後上布)

足踏み
[織り上がった布をお湯に入れて足で踏み込み、柔らかくする作業]

 

 越後上布への並々ならない情熱とこだわりをもち、生涯にわたってその製作と技術保存に取り組んだのが鈴木寅重郎さんです。良質なからむしは、糸が細くても切れにくいことから、化学肥料を使わず堆肥での栽培を農家へ注文するなど、原料の品質をとことん追求したといわれています。その注文に必死に応えたのが、鈴木さんと共に、同年ポーラ賞を受賞した「からむし栽培」の五十嵐善蔵さんでした。

Resized 完成品
越後上布

 

 平成21年に「越後上布・小千谷縮」はユネスコ無形文化遺産に登録されました。現在、越後上布・小千谷縮布技術保存協会が中心となって製作を行い、受け継がれてきた技を次世代へ繋ぐべく、伝承者の育成にも力を注がれています。

  越後上布・小千谷縮布技術保存協会

 

 

 

 

2020年09月25日



ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。

 

第20回 伝統文化ポーラ賞 地域賞

鷺の舞保存会「鷺の舞の伝承」

川﨑瑞穂(博士・神戸大学特別研究員)

 

 ヤマトタケルの神話にあるように、古代から白鳥(しらとり)は信仰の対象でした。民俗学者・谷川健一の言葉を借りれば、「天空高く渡っていく白鳥のすがたは、古代人の網膜に消しがたい印象を残していた」(『神・人間・動物―伝承を生きる世界―』)と言えます。鳥の扮装で演じる民俗芸能は日本各地に伝承されていますが、その中に鷺(サギ)の作り物を身につけて舞う「鷺の舞」(あるいは鷺舞)という民俗芸能があり、美しく翼を広げるその姿は、日本のみならず海外からも注目されています。

 

Resized 鷺の舞

「鷺の舞」

 

 山口県に伝わる「鷺の舞」は、八坂神社(山口市)で7月20日から27日にかけて行われる「山口祇園祭」の内、初日の20日にのみ行われています。猟師を表現するともいう「しゃぐま」、鞨鼓(かっこ)という太鼓を打つ「かんこ」、そして「鷺」という三つの役(各2名)から構成され、「かんこ」の周りを、「鷺」と「しゃぐま」が回ります。伴奏の楽器は笛と締太鼓からなり、笛は舞の初めから終わりまで吹き続けますが、笛の旋律の切れ目で締太鼓が打たれます。「かんこ」が鞨鼓を打ちつつジャンプすると、こだまのように後から「鷺」が羽をパタパタと動かし、その鷺の動きを後追いして、締太鼓を2回打つというパターンの繰り返しです。簡潔な動きの繰り返しに、儀礼としての性格が表れています。

 

Resized 「かんこ」の使用する楽器「鞨鼓(かっこ)」

「かんこ」の使用する楽器「鞨鼓」(かっこ)

 

 「鷺の舞」のように鷺が登場する芸能は、日本ではいくつかの地域に伝わっており、とりわけ島根県津和野町の「鷺舞」は民俗芸能の中でも広く知られているものの一つです。中世、京都の祇園社(現在の八坂神社)の「御霊会」(ごりょうえ:現在の祇園祭)において、「鵲鉾」(笠鷺鉾:かささぎほこ)という出し物に付随した鷺の扮装で舞う芸能が、各地に伝わったものであるとも考えられています。

 

Resized 鷺の舞に使用される鷺の頭

「鷺の舞」に使用される鷺の頭 

 

 伝統文化ポーラ賞を受賞した鷺の舞保存会は、現在でも受賞時と変わらず、「鷺の舞の伝承」を主導し、地域の振興を支えています。

  注1:祭礼の開催日等は別途ご確認ください。

 

 

 

 

 

2020年09月10日



ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞を受賞された方々を随時ご紹介致します。

 

第32回 伝統文化ポーラ賞 奨励賞

鈴木 徹「緑釉陶器の制作・継承」

          佐藤典克(陶芸作家)

 

鈴木 徹氏は昭和39年多治見市に生まれ、昭和62年龍谷大学文学部史学科卒業、翌年京都府陶工職業訓練校成形科を卒業した後、志野や織部など桃山時代に焼造された焼き物の伝統と歴史が残る岐阜県多治見市で作陶活動を展開しています。                                                                                                    

緑釉花器

緑釉花器
[径34.0cm、高30.0cm]

 

 美濃焼の「織部」といえば誰もが耳にしたことがありますが、彼の作品に使われる緑色の釉薬を施した焼き物は、他と一線を隔しており、それは作者の意思、「織部という範疇では語ることができないような作品をつくりたい、美濃という地域を超えた仕事をしたい」と語る彼の想いにほかなりません。

 

Resized 「萌生」

「萌生」
[幅72.0cm、奥行12.2cm、高20.3cm]

 

 父親が「志野」の重要無形文化財保持者、鈴木藏である彼は、父とどれだけ違うことがやれるかが大切だ、との思いから「緑釉」の追求を選んだといいます。工房の周りにはさまざまな樹木や草花、苔があり、その自然が表現の源泉であると徹氏は自身の事を振り返ります。作品は、泥刷毛目や櫛目、さらには胎(*注)の途中に稜線を入れ、釉薬の濃淡、色合いの違う緑釉を模様の強弱に応じて意識的に使い分け、深みが増すように計算されており、近年は荒々しさよりも造形と釉薬の繊細さが際立ちをみせ、新たな作域へと進化を続けてきています。

*注:素地

 

Resized 萌生

「萌生」
[幅21.0cm、奥行15.5cm、高52.5cm]

 

 平成3年の日本伝統工芸展入選以来入選を重ね、平成24年に伝統文化ポーラ賞を、平成27年には、第62回日本伝統工芸展「NHK会長賞」受賞し、さらに日本陶磁協会賞をも受賞されました。
 現在は、公益社団法人日本工芸会の理事として手腕を揮いながら、精力的に活動を続けている期待の作家といえます。

 


※お写真は鈴木 徹先生にご提供いただきました。
◇鈴木先生の活動情報等は下記サイトにてご覧いただけます。
 陶藝 鈴木 徹(公式HP)

◇2020年9月23日より、「萌生Ⅱ」ー鈴木 徹 作陶展ーが日本橋三越本店本館6階 美術特選画廊にて開催されます。 詳細は下記URLをご覧ください。
https://www.mitsukoshi.mistore.jp/
nihombashi/shops/art/art/shopnews_list/shopnews0364.html

 
 

 

 

 

2020年08月11日




ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。

 

第2回 伝統文化ポーラ賞 特賞

五十嵐善蔵「からむし栽培」

     大友真希(染織研究家)

 

 夏は緑に、冬は雪に覆われる自然豊かな山里・福島県奥会津の昭和村では、新潟県で織られている「越後上布・小千谷縮」の原材料となる「からむし」が生産されています。 からむしは、イラクサ科である苧麻(ちょま)の一種で、からむしの繊維でつくる布は、吸水性がよく乾きやすいため、夏の着物に広く使われてきました。

Resizedからむし焼

”からむし焼き” [焼畑]

からむしの栽培は春から夏にかけて行われます。
まず、水捌けの良い肥えた畑づくりから始まり、十分に栄養を含んだ畑にからむしの根から取り出した苗を植えます。5月の小満(二十四節気の一つ)の頃に、芽の成育をそろえ、害虫を取り除くためにからむし焼きを行います。畑に火入れをするからむし焼きを終えると、畑の周囲に垣根を立てて均一に成長を促します。また、この垣根には風除けの働きがあり、からむしの茎が傷つくのを防ぐほか、小動物の侵入を防ぐこともできます。

Resized刈り取り

刈り取り

7月下旬から8月のお盆前にかけて、2メートルほどに成長したからむしを一本一本鎌で刈り取ります。刈り取ったからむしは、その日のうちに水に浸し一本ずつ皮を剥ぎます。剥ぎ取った皮をからむし引き(*注)し、取り出した繊維は2・3日乾燥させた後、100匁に結束され新潟の糸づくりの工程へと進みます。

注:専用の道具を使い、からむしの表皮を削いで繊維を取り出す作業

Resizedからむし引き

”からむし引き” [苧引き(おびき)ともいう]

昭和村では、地域を支える大事な作物としてからむしの栽培が代々続いてきました。五十嵐善蔵さんも村に伝わるからむし栽培の智慧を繋いできた一人です。からむしの繊維には、「キラ」とよばれる青色を帯びた独特の光沢があります。質の良いからむしだからこそ生まれる「きらめき」。昭和村の自然の豊かさと、人々が培ってきた技が織り成す、からむし独自の風合いです。

Resuzedからむしの繊維

からむしの繊維

Resizedからむし織

""からむしの織物"

福島県昭和村HP

 

 

 

2020年07月27日



ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。

 

第32回 伝統文化ポーラ賞 地域賞

数河獅子保存会「数河獅子の保存・伝承」

      川﨑瑞穂(博士・神戸大学特別研究員)

 

大きな口に愛らしい瞳。日本各地には、個性的な「獅子舞」が数多く伝わります。「ライオン」としての獅子が登場する芸能は海外でもみることができますが、日本では仏教における聖獣、ないし狩猟の対象としての「シシ」(鹿や猪)の舞として伝承されています。 日本の獅子舞は大きく「伎楽」(ぎがく)系と「風流」(ふりゅう)系に分けられます。
 伎楽とは、6世紀から7世紀にかけて日本に伝来した大陸由来の芸能で、その中の「師子」(しし)が、この系統のルーツであると考えられています。この系統は、獅子の前足と頭(かしら)を1人、後ろ足を1人が担当することが多いため「二人立獅子舞」とも呼ばれますが、中には数名が入るものもあります。幕の中で、たくさんの人が、獅子の足や尻尾になりきって演じているのです。

Resized 初段「曲獅子」

初段「曲獅子」

 岐阜県飛騨市古川町の数河(すごう)という地域には、この二人立ちの獅子舞「数河獅子」(すごうしし)が伝わります。大宝年間(701〜704)、新羅の僧・隆観が、獅子の狂いたわむれる様子を舞にしたことに始まるとされ、別名「高麗獅子」(こまじし)とも呼ばれます。9月5日の白山神社(上数河)・松尾白山神社(下数河)の祭礼にて奉納されるこの芸能では、大きな顔の獅子頭にホロ幕を垂らし、その中に前足後足の2人の舞手が入り、「太神楽」(だいかぐら:伎楽獅子の一種)を象徴するアクロバティックな芸を披露します。

Resized 二段目「天狗獅子」

二段目「天狗獅子」

 舞は「曲獅子」、「天狗獅子」、「金蔵獅子」という三つの演目(段)から成り、その中の「天狗獅子」では、獅子だけでなく天狗、猿、熊も登場。三者は獅子の周りを踊り、様々な所作を見せます。天狗が獅子によって倒され、再び起き上った天狗が獅子を倒すという、物語性豊かな演目になっています。

Resized 三段目「金蔵獅子」

三段目「金蔵獅子 

 伝統文化ポーラ賞を受賞した数河獅子保存会は、現在でも受賞時と変わらず、「数河獅子の保存・伝承」を主導し、地域の振興を支えています。

 

 注1:2020年度は、新型コロナウイルスの影響で、例年通りの祭りが開催されないことがあります。詳しくは公式HPをご確認ください。

一般社団法人飛騨市観光協会

 

 

 

2020年07月10日



ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。

 

第1回 伝統文化ポーラ賞 大賞

平良敏子、喜如嘉の芭蕉布保存会「染織・芭蕉布」

                  大友真希(染織研究家)

 

胸に心地よい風が吹き、空を思えば心晴れやかになる沖縄。その沖縄の風土に馴染む着物といえば、芭蕉布の着物を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。芭蕉布は、バナナと似た植物・糸芭蕉から取り出した繊維で糸をつくり織り上げた布です。自然な生成りの色合いに、張りと光沢をもった涼やかな風合いを特徴とします。

Resized 芭蕉畑風景

快晴に映える芭蕉畑

 芭蕉布づくりでは、糸芭蕉の栽培にはじまり、糸芭蕉の伐採、繊維の採取、糸づくり、糸の染色、機織り、といった数々の工程と長い時間をかけ、一反の布が完成します(*注)。芭蕉布づくりの一連の仕事は、すべてが手作業によっておこなわれるため、どの工程にも、熟練の技と根気が欠かせません。

Resized_整経

整経

 沖縄本島の北部に位置する大宜味村喜如嘉は、芭蕉布づくりの盛んな地域で、村の女性たちは幼い頃から家の手伝いで糸づくりや機織りをしてきました。戦後、沖縄で途絶えつつあった芭蕉布づくりの息を吹き返させたのは、平良敏子さんを中心とする「喜如嘉の芭蕉布保存会」の女性たちでした。

Resized 芭蕉布

”芭蕉布を織る”

 昭和30年頃を境に生活や慣習が大きく変わるなか、平良さんは喜如嘉の芭蕉布づくりの技を受け継ぎながら、工芸品としての作品制作と芭蕉布の普及にも力を尽くします。平良さんを指導者に、喜如嘉の女性たちの手が支えてきた芭蕉布の伝統は、伝統文化ポーラ賞の受賞から40年が経過したいまも、次の世代へと引き継がれています。


*注:芭蕉布づくりの詳しい工程については保存会の公式ウェブサイトをご覧ください。

Resized 芭蕉布

”多彩”な芭蕉布

喜如嘉の芭蕉布保存会

 

 

 

2020年06月25日



映画解説 vol.25

映画『うつわに託す 大西勲の髹漆』


託し託される「使命」

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

◇木目を慎重に見極めながら作業する大西氏
木目を慎重に見極めながら作業する大西氏


 お洒落な人。今回の映画で私が受けた、漆芸家・大西勲氏の第一印象である。BGMとして流れるジャズの調べも良く似合っている。師である赤地友哉氏から贈られたという「素朴に、しかし粋であれ」ということばは髹漆(きゅうしつ)の技術においてのみならず、大西氏のライフスタイルの中でも生きているようである。
大西氏は昭和19年、北九州の炭鉱の町に大工職人の子として生まれた。幼い頃から父親が仕事で使う木材と工具で模型を作っていたそうである。また、父親に叱られるとボタ山に登って月を眺めていたという。木への愛着は大西氏の幼い頃のこのような生活の中で芽生えたものかもしれない。また、今回その制作過程が収められている髹漆曲輪造盤「蒼い月夜」はじめとして大西氏の作品に月へのこだわりが見られるのは、幼いころにボタ山から眺めた月が大西氏のいわば原風景になっているからなのかもしれない。
大西氏は30歳の時に赤地氏に師事する。この頃から、大西氏は漆芸の技術を守り、向上させ、後世に伝えるという「使命」を与えられたわけである。しかし、大西氏に託された「使命」とはそれだけではない。
ところで「使命」とは、ドイツ語ではBestimmung(ベシュティムング)という。ドイツの哲学者ヘーゲル(1770~1831年)はこの言葉に自身の哲学の中で重要な役割を与えた。哲学の専門用語として日本語では「規定」と訳されるこの言葉は、あるものが「なんであるか」を示すと同時に、それが「どうあるべきか」をも示す。そして規定は、他のものとのかかわりにおいて、より深まり、より明確になってゆく。つまり、他のものとのかかわりにおいて、それが「なんであるか」ということ、「どうあるべきか」ということが、より深まり明確になってゆく。
大西氏もまた、さまざまな「かかわり」の中で、自身の「規定=使命」を深められてきたことであろう。師である赤地氏とのかかわり、漆芸の技術を将来担ってゆく若者たちとのかかわり、木への愛着や月という原風景が芽生えた幼き頃の自分とのかかわり。そしてもちろん、木や漆といった自然とのかかわり。そういったさまざまなかかわりの中で与えられ大西氏の中で深まっていった「規定=使命」、つまり人間としての自身のあり方を、大西氏は作品に託し続けてきたのである。
ところで、私がこの文章を書いているのは令和2年6月。少しずつ日常が戻ってきているとはいえ、それでも世の中は新型コロナウィルス感染症による不安と混乱の只中にある。いわゆるコロナ禍によって、世の中は大きく変わったし、これからも変わってゆくのであろう。しかし、世の中がどう変わってゆこうと、自分自身の変わらない「使命」とはなにか、このような状況だからこそ、そういったことについて考えたい、大西氏が託し託されてきた使命の「ブレのなさ」を観て、私はそんなことを想った。

ところで先月、YOUTUBEにポーラ伝統文化振興財団のチャンネルが開設された(https://www.youtube.com/channel/UCqoBFBt6U8EV1Egj-PH-LbQ/)。伝統文化を紹介する興味深い動画を視聴することができ、私が前回ご紹介した映画『蒔絵 室瀬和美 時を超える美』も視聴することができる。ぜひとも伝統文化の世界を身近に感じていただき、お楽しみいただきたい。

◇まるで人間の血管のようにも見える美しい木目
まるで人間の血管のようにも見える美しい木目
師・赤地友哉氏と若き日の大西氏
師・赤地友哉氏と若き日の大西氏
若者たちを親身に指導する大西氏
若者たちを親身に指導する大西氏
ろうそくの灯のもとで作業する大西氏
ろうそくの灯のもとで作業する大西氏
試行錯誤の末、大西氏は月の色を決めた。
試行錯誤の末、大西氏は月の色を決めた。
 


  ※「うつわに託す 大西勲の髹漆」(2009年制作/35分)
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2020年06月10日



ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。

 

第30回 伝統文化ポーラ賞 地域賞

五所川原立佞武多委員会「五所川原の立佞武多の保存・振興」

                 川﨑瑞穂(博士・神戸大学特別研究員)

 

「ねぶた」?いいえ。「ねぷた」です。

 ここ青森県五所川原にて400年以上の長きにわたり伝承されてきた「五所川原の立佞武多」。「たちねぶた」と間違えて発音されることがありますが、正確には「たちねぷた」。青森県には「ねぶた」と「ねぷた」の両方が混在しています。この違いは一体何から来るものでしょうか。 各地域がもつ独特な掛け声の違いで分類されることもあれば、「立体的なものがねぶた/平面的なものがねぷた」と言われることもありますが、一つ確かなことは、青森市や下北地方では「ねぶた」と呼ぶことが多く、津軽地方では「ねぷた」と呼ぶことが多いということです。「弘前ねぷた」などはその好例で、扇形のねぷたが街を彩ります。

◇2012-08-05 22.00.45.resized.jpg

闇夜を進む立佞武多

 ねぶたとねぷた。どちらも眠気をさそう妖怪を流す民俗行事「ねむりながし」に由来するという説が知られておりますが、財団の記録映画『ねぶた祭り―津軽びとの夏―』(1993年制作/34分)では、県内外のねぶた/ねぷたとその歴史が詳しく紹介されています。
毎年8月上旬(注1)に行われる五所川原の立佞武多祭り。闇を切って曳行される「佞武多」は夏の夜空に燦々と輝きます。熱き血潮を崇高さへと昇華するその光に、「父」のごとき厳しさと「母」のごとき優しさがこもる、そんな見ごたえのある祭りです。

◇2012-08-08 19.08.03resized

「鹿嶋大明神と地震鯰」(左)と「又鬼」(右)

◇H29立佞武多1.resized大型立佞武多 「纏」

 五所川原の立佞武多の起源は分かっていませんが、記録としての残るのは明治40年頃といわれています。古今東西、富とその蕩尽により聖なるものと交流するのが「祭り」の重要な役割ですが、この立佞武多も当時は「富の象徴」として、20メートルを超える立佞武多が制作されていたそうです。 伝統文化ポーラ賞を受賞した五所川原立佞武多委員会は、現在でも受賞時と変わらず、五所川原立佞武多祭りを主導し、地域の振興を支えています。


 注1:2020年度は、新型コロナウイルスの影響で、例年通りの祭りが催行されないことがあります。詳しくは公式HPをご確認ください。

◇夕焼けに燃える立佞武多.resized”夕焼けに燃える立佞武多”

五所川原商工会議所

 

 

 

2020年05月25日



映画解説 vol.24

映画『蒔絵 室瀬和美 時を超える美』─


「自然に学ぶ」

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

金粉を蒔く室瀬氏
金粉を蒔く室瀬氏

 「自然に学ぶ」、漆芸家・室瀬和美氏が若き日に漆について学ぶ中で何度も耳にしたという言葉である。室瀬氏はいまだに、この言葉をいわば「一生の宿題」としてその意味を探求し続けているという。 室瀬氏にとっての「自然」とは、たとえば木や水といった具体的な目に見えるものを意味するのではない、という。それは、目に見えない力、エネルギーであり、自分の仕事はそういったものを受けることによって生まれた気持ちを、かたちにすることであると語る。  漆の上に金粉を蒔いて絵を描くことを基本とする蒔絵では、素材と、素材に対する作者の感性が重要である。この映画で制作過程が紹介される「蒔絵螺鈿丸筥『秋奏』」(まきえらでんまるばこ『しゅうそう』)はレッドオークの葉の上で遊ぶリスたちをモチーフにしたものであるが、室瀬氏はオークの葉を6種類の異なる金粉で、リスをヤコウガイで、そしてドングリを鉛とチタンで表現する。自然の世界に存在するものを素材として、オークの葉の上でリスたちが遊ぶ様子、つまり自然の世界の営みを、再現するのである。 ところで氏の自然観は、紀元前3世紀にキティオンのゼノン(BC335~BC263年)によって創始されたストア派の自然観を思い起こさせる。ゼノンは「自然に従って生きる」ことを主張したのであるが、ここで自然とは、やはり目に見える自然のものや目に見える世界のことではなく、人間をも含めたこの全宇宙を統一させている永遠にして不変の秩序・調和のことであり、理(ことわり)のことであって、自然の世界のあらゆる営みはその現われであるとされる。 西洋の歴史において、ストア派の思想は、文化を担う人々のあいだで基本的な教養として受け継がれてきた。日本では安土桃山時代以来、漆芸作品はヨーロッパの上流階級の人々のあいだで”Japan”と称され愛されてきたというが、もしかしたら彼らは、漆器の中にストア派の説く秩序・調和としての自然を見出していたのかもしれない。 さて、この映画で紹介される「蒔絵螺鈿丸筥『秋奏』」であるが、室瀬氏は実に驚くべき方法で、この作品に自然の世界のひとつの「要素」を取り入れた。それがなんであるのかは、ぜひともこの映画をご覧になってご確認いただきたいが、ただ、それは私たちが非常に慣れ親しんでいる、ともすればその存在を忘れてしまいがちな要素である、とだけ申し上げておく。自然の世界の営みを再現しつづけてきた室瀬氏は、新しい発想によって新しい要素を取り入れることによって、また一歩、自分の作品を永遠にして不変な自然の秩序・統一に、この映画のタイトルにあるように「永遠の美」に、近づけることに成功したと言えるであろうし、また、「一生の宿題」へのひとつの回答にたどり着いたと言えるであろう。

作品のモチーフであるリスをスケッチする室瀬氏
作品のモチーフであるリスをスケッチする室瀬氏
ヤコウガイで作られたリスと鉛・チタンで作られたドングリ
ヤコウガイで作られたリスと
鉛・チタンで作られたドングリ
6種類もの金粉によってレッドオークの歯葉が表現される
6種類もの金粉によって
レッドオークの歯葉が表現される
研ぎ出しによって素材の質感が活かされる
研ぎ出しによって素材の質感が活かされる
ロンドンの博物館で漆器のメンテナンスを指導する室瀬氏
ロンドンの博物館で
漆器のメンテナンスを指導する室瀬氏
 


  ※「蒔絵 室瀬和美 時を超える美」(2017年制作/39分)
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2020年04月24日



映画解説 vol.23

映画『人形作家 秋山信子 ─心やすらぐ人形を』─


「繊細の精神」

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

作品「豊穣」の原型
作品「豊穣」の原型

 今回の映画は、沖縄民謡の調べとともに始まる。人形作家・秋山信子氏の作品は、沖縄の、アイヌの、そして韓国の伝統文化や人々をテーマとしたものが多い。さらにその多くが、女性、少年少女、子どもをモデルとしている。このような人々は、「言葉を奪われた人々」であると、秋山氏は語る。秋山氏は、そのような「言葉なき人々」「声なき人々」の内的な「美しさ」を自身の作品で表現しているのである。そのような人々の美しさを感じ取る秋山氏自身の感性は「繊細」そのものである。  西洋では伝統的に「男性中心主義」といった人間観が支配的であった。この人間観においては、「人間」とは成人男性であり、女性や子どもはいわば「不完全な人間」にすぎないとされてきた。そしてその傾向は、いわゆる近代に入り科学技術が発展してゆく時代になるとさらに強まっていった。そこで「人間」とは「健全で理性的な成年男子」を意味した。人間は理性の力(数学的・科学的な思考力)によって自然を知り、戦い、さらには支配する、力強い存在とされたのであった。17世紀の哲学者パスカル(Blaise Pascal、1623年~1662年)は、そのような傾向に警鐘を鳴らした。自身が数学研究者でもあったパスカルによれば、たしかに数学的な思考力(パスカルはこれを「幾何学の精神」と呼んだ)は人間にそなわる優れた能力ではある、しかし世界には数学的な思考ではとらえられない事柄があるのであって、そのような事柄に気づくためには幾何学の精神とはまったく違った「繊細の精神」が必要なのである。パスカルの説くこのような繊細の精神とは具体的にはどのようなものなのか。私にはその答えが、秋山氏の感性のあり方に現われているように想われる。  秋山氏のこのような感性は、そもそもの素養に加えて、敗戦を機に従来の男性中心主義的な価値観が大きく揺らぐ中、やはり従来は担い手の多数派が男性であったであろう伝統工芸の世界において、日本画家・生田華朝女(いくた かちょうじょ)氏、人形作家の堀柳女(ほり りゅうじょ)氏および大林蘇乃(おおばやし その)氏といった女性たちに師事するなかで育まれていったのではないだろうか。とくに大林氏については、氏がかつて、この騒音が溢れかえる世の中で大きな音・大きな声を張り上げて競い合う中から生まれてくるような作品ではなく、小さな音を聴き取る感性から生まれるような人形を作りたいと語っていたと、秋山氏は回想する。大きな声の「力」や競い合いつまり「戦い」といった男性的な価値観とはまったく異質な大林氏のこのような想いは、秋山氏の感性にしっかりと受け継がれている。秋山氏は、モデルとなる人々の内面の美しさを表現する人形を作り続ける。そして、そのようにして作られた人形からは、秋山氏自身の内面の美しさ、繊細な感性がしっかりと感じられるのであり、それこそがまさに、パスカルが言うところの「繊細の精神」なのではないだろうか。

木彫の骨組に桐塑で肉づけされる
木彫の骨組に桐塑で肉づけされる
「命」が入り完成に近づく
「命」が入り完成に近づく
秋山氏の二人の師
秋山氏の二人の師
沖縄の人々・文化に親しむ秋山氏
沖縄の人々・文化に親しむ秋山氏
 


  ※人形作家 秋山信子 ─心やすらぐ人形を─」(2001年制作/39分)
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2020年03月25日



映画解説 vol.22

映画『変幻自在 ─田口善国・蒔絵の美─』
「変幻自在」のコミュニケーション能力

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)


 今回の映画は、漆芸家の田口善国氏が、蜂の巣作りを観察する場面から始まる。古い言い伝えによれば、そもそも最初に漆を発見して活かしたのは人間ではなく蜂であったそうである。蜂そして蜂の巣は、今回の映画でその制作過程が伝えられる「王蜂蒔絵飾箱」の「意匠」つまりデザインとなっている。

 田口氏は、我が国における漆芸、中でも蒔絵(まきえ)の第一人者であり、ナレーションでも語られる通り、田口氏ほど数々の技を使いこなし、また、大胆な表現を試みる作家もいないであろう。しかし私は、今回の映画において、田口氏の技もさることながら、氏が意匠を決める過程に大いに興味をひかれた。田口氏の数々の意匠の根底にあるのは、自然の中に生きる小さな生き物たちとの「共感」(sympathy シンパシー)である。田口氏は、小さな生き物たちと文字通り、「感情」(pathos パトス -pathyの語源)を「共に」(sym-)するのである。

 たとえば、田口氏は、野原を歩く際に小さな昆虫たちを気が付かずに踏んでしまったりする恐れがあるため、「ごめんね、ごめんね」と謝りながら歩く、というのである。また、「王蜂蒔絵飾箱」を制作中のある夜、氏は蜂の精霊に出会ったという。蜂になる前、蜂の精霊は人間の女の子だったのであり、意匠のモデルになれて蜂も嬉しかったのだろうと、氏は実に楽しそうに語る。

 田口氏のこのような人柄から、私は中世イタリアの偉大な修道士であるアッシジの聖フランチェスコ(1182年~1226年)を想い出した。フランチェスコは、「鳥への説教」のエピソードでよく知られているように、様々な動物たちと心をかよわせることが出来たと言われている。このようなエピソードは、一般的には、森羅万象を兄弟とするフランチェスコの思想を伝える「たとえ話」のようなものであると考えられている。しかし、私が哲学の教えを受けた中村雄二郎氏は、このようなエピソードは「たとえ話」などではないと考えた。動物と心をかよわせるなどということは、たとえば科学的な立場からすればナンセンスだと考えられるであろう。しかし、科学的なものの考え方というものは人間の能力の全体の中のほんの一部を説明するものであるにすぎないのであり、人間には本来、科学では説明できないコミュニケーション能力が備わっているのであって、フランチェスコはそのような能力を働かせていたのではないか、中村氏はそのように考えたのである。

 田口氏の作品の数々、そして人柄は、伝統工芸の世界に私たちを誘ってくれるにとどまらず、人間のコミュニケーション能力の大きな可能性を、私たちに気付かせてくれる。

「王蜂蒔絵飾箱」
王蜂蒔絵飾箱
「意匠」を描く田口善国氏
「意匠」を描く田口善国氏

「ひっかき」の線描で、意匠の微妙なゆらめきまで表現する
「ひっかき」の線描で、
意匠の微妙なゆらめきまで表現する

「野原蒔絵香合」のバッタの意匠
「野原蒔絵香合」
※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「変幻自在 ─田口善国・蒔絵の美─」(1993年制作/36分)
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2020年03月10日

 

伝統芸能部門の映画解説では、三浦裕子先生(武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長)に、
映画の見どころをご紹介いただきました。

今回はその総集編として、能楽、狂言、文楽に関する記録映画4作品についての連載を振り返ります。

 

映画解説(伝統芸能部門)vol.1 映画『狂言師・三宅藤九郎』~緻密な構成が語る狂言の神髄
[2019-10-10]
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映画解説(伝統芸能部門)vol.2 映画『世阿弥の能』~世阿弥と能と歴史を重厚に華麗に描く
[2019-11-14]
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映画解説(伝統芸能部門)vol.3 映画『狂言・野村万蔵-技とこころ-』~和楽の世界に遊ぶ
[2019-12-10]
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映画解説(伝統芸能部門)vol.4 映画『文楽に生きる 吉田玉男』~歴史としての映画の価値
[2020-02-10]
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※執筆者 三浦裕子先生(武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長)
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映画解説で取り上げた記録映画は、弊財団にてお貸出(無料)を行っております。一般のお客様がご視聴されたり、学校関係・美術館関係のご利用者様が授業や上映会(無料)でお使いになる場合もございます。ぜひお気軽にご利用くださいませ。

 

※伝統文化記録映画無料貸出はこちら

2020年02月21日



映画解説 vol.21

映画『木の生命よみがえる-川北良造の木工芸-』

たんなる「材料」ではなく「目的」としての「木」

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

01
木の「狂い」を測る川北良造氏

 「木に対する畏敬(いけい)の念」。挽物(ひきもの)の技術ではじめて重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に認められた川北良造氏は、今回の映画の中でそのように語る。挽物とは材料である木を轆轤(ろくろ)で回転させながら作品を削り出す技術である。だから必然的に、木材のほとんどは木の屑になってしまう。川北氏は木のほとんどをこのように「無駄」にしてしまうことを木工芸師という仕事の「宿命」であるとしながらも、木に対して常に「申し訳ない」という気持ちを抱いていると言う。だからこそ完成した作品は最高のものであって欲しいし、丈夫で長持ちして欲しいと、川北氏は願う。たんなる材料として木に向き合っているのではなく、ひとつの「生命(いのち)あるもの」として向き合っているのである。これはたんなる喩(たと)えではなく、実際に、制作過程においても木は生きているのである。

 「荒挽き」という初期の工程が終わり、木から美しい木目が現われ、また、作品のおおよそのかたちが決まると、およそ2か月から6か月の間という長い時間をかけて、作品は自然乾燥される。その過程において、木は収縮してしまい、作り手が意図していた大きさが「狂う」のである。このように、伐られた後、水分を失ってもなお、木は動こうとする、つまり、生きているのである。それが木というものの本質なのであり、木工芸作家の仕事とは木のそのような本質との「戦い」であると、川北氏は言う。しかし「戦い」といっても、木工芸師は木の大きさを無理やり決めようとすることはない。むしろ乾燥の過程で、大きさに狂いが出る場合には十分に狂わせる。つまり、いわば木の生命力が尊重されるのである。木工芸作家の仕事の「目的」とは、自分の意図に合わせて木のかたちを変えることではなく、木のもつ可能性が実現するのを手助けすることである、そのようにも言えるであろう。

 「君自身や他のすべての人たちの人格における人間性を、単に手段としてのみ扱うことなく、常に同時に目的としても扱うように、行為せよ」、人と人との道徳的な「かかわり方」について、ドイツの哲学者カント(1724~1804年)はこのように述べた。簡単に言えば、他の人を自分のために「使う」ことを考えるのではなく、他の人のために「何ができるか」を考えて行為することこそ、人と人との人間らしいかかわり方であるということである。木をたんなる材料としてとらえるのではない、川北氏の木へのそのようなかかわり方には、人と人とのかかわり方について考えるためのヒントが、隠されている。

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黒柿造食籠
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欅造波文筋大鉢
04
欅造盛器
 
 

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「木の生命よみがえる-川北良造の木工芸-」(1997年制作/34分)
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2020年02月10日

映画解説 vol.4

映画『文楽に生きる 吉田玉男』
歴史としての映画の価値

 

三浦 裕子 (武蔵野大学文学部教授、
同大学能楽資料センター長)

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 初代吉田玉男(1919~2006年)は20世紀最高の名人と称賛された立役(たちやく)の人形遣いである。1977年に重要無形文化財「人形浄瑠璃文楽」(各個指定)保持者(いわゆる人間国宝)となり、2000年に文化功労者の顕彰を受けた。本映画は玉男の芸と人となりを描きつつ、文楽という伝統芸能を紹介するものである。

 近松門左衛門作〈曽根崎心中〉は竹本義太夫の語りで1703年(元禄16年)に初演された。以後、長らく上演されず、歌舞伎で復活されたのが250年後の1953年(昭和28年)。その2年後の1955年に文楽が復活した。このときに徳兵衛を扱ったのが玉男で、生涯で1136回の記録を達成したという。

 本映画は〈曽根崎心中〉の心中の場から始まる。徳兵衛が玉男の当たり役であることからの選曲であろう。続いて玉男自身が人形遣いの技法について説明する画面となる。長く細い指がいかにも器用そうに見える。と同時に左遣いが弟子の吉田玉女であるのも印象的である。

 人形の首(かしら)、鬘(かつら)、衣裳と、文楽には道具立てが多い。その制作過程が映し出され、玉男が弟子に稽古をつける様子が描かれ、そして、人形や文楽の歴史が語られる。

 上記のように、本映画の前半は玉男の師匠としての側面に焦点を当てている。対して後半は、朝日座において〈ひらかな盛衰記〉の松右衛門を扱う実演家の部分を取り上げている。そこでの玉男は人形遣いの芸の基本を「人形に魂を入れ人形と一体化すること」と説く。役柄の性格や心情を追究した点に玉男の近代的な芸質が認められよう。

 本映画は朝日座の楽屋といった珍しい場面も撮影しており、今まで紹介してきた映画と同様、その記録性と芸術性を思う。加えて歴史性というものを感じる。というのも、江戸時代に始まる文楽には約400年の歴史がある。本映画が制作されて約40年、それは文楽の歴史の10分の1に相当する。その間、朝日座が1984年に閉鎖され、玉女が二代目玉男を2015年に襲名した。これらは文楽史上の重要な一齣である。そのような40年間の流れを実感させる点、本映画も文楽の歴史そのものと言えるのではないだろうか。ポーラ伝統文化振興財団が伝統文化記録映画の制作を開始したのが1980年。1年後に文楽を撮影した点から言っても、貴重な作品である。

(文中、敬称略)

上:〈菅原伝授手習鑑〉の松王丸を遣う初代吉田玉男 
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  2126_001記録映画「文楽に生きる 吉田玉男」(1981年制作/36分)
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 ※三浦先生による伝統芸能分野の映画解説は今回にて終了となります。
  次回は総集編をお届けいたします。

 ※執筆者 三浦裕子先生(武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長)
 ▼
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2020年01月27日



映画解説 vol.20

映画『磯井正美のわざ-蒟醤の美-』

無限の「融合」

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

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「蒟醤月あかり食篭(じきろう)」

 今回の映画の見どころは、漆芸の技法「蒟醤(きんま)」の、我が国における第一人者である磯井正美氏が作品「蒟醤存清パガン紀行合子(きんまぞんせいぱがんきこうごうし)」を完成させてゆく過程である。磯井氏は蒟醤の「ふるさと」であるミャンマーの古都パガンを訪れて漆塗りの原点と出会い、新たな創作への想いを抱く。この作品は、磯井氏独自の感性とパガンの歴史とが「融合」し、かたちとなったものである。

 融合、とはどういうことか。

 たとえば哲学の世界には、文章(テクスト)の「正しい読み方」などない、と考える立場がある。人は自分自身のあり方に影響されずに文章を読むことなどできない。人は他の誰でもない「その人自身」として文章と向き合うのである。だから同じひとつの文章であっても、読む人の数だけ読み方、つまり「解釈」があるのだ。解釈が生まれることを哲学の世界では「地平融合」と呼ぶ。文章と読み手とを異なる二つの「地平」にたとえて、解釈とは二つの地平が融合することだ、というのである。これは文章を読む場合のみに限られない。この世界はいわば一冊の書物なのであり、この世界に存在するありとあらゆるものが、そして、この世界そのものが、「文章=テクスト」として私たち一人ひとりの解釈を待っているのである。

 パガンの歴史と磯井氏のあいだにも地平融合が起きた。パガンの全体的な印象として「暗さ」を感じると同時に、その空気や景色から「明るさ」を感じる。さらに廃墟となったパゴダ(寺院)が群立するさまから「時間が止まった」かのような印象を受ける。磯井氏がパガンで抱いたさまざまな印象はたがいに相反するものであり、矛盾したものでさえある。しかしそれは、磯井氏の感性が豊かであるがゆえにこそ、相反し矛盾するほど多様な印象を抱くことができた、ということでもある。磯井氏は、氏の中に受け継がれている我が国固有の花鳥風月という美意識、少年時代に見た蝶が舞う風景、そして蒟醤の技術の継承者という立場、つまり、他の誰でもない磯井氏「その人自身」として、パガンで出会った人、モノ、景色、そして蒟醤の技に向き合ったのである。絶妙な色使いで表現されたパガンの暗さと明るさ、立ち並ぶパコダ、そしてその上を華麗に舞う蝶……「蒟醤存清パガン紀行合子」には、磯井氏の「解釈」が見事に表現されている。

 蒟醤の原則は「彫って色を埋める」というシンプルなものである。しかし、シンプルだからこそ蒟醤には無限の可能性が開かれていると、磯井氏は言う。それは、完成された作品にもいえることであり、磯井氏の作品自体もまた、観る者との間に無限の「地平」を拓いてゆく可能性をもっている。磯井氏の作品をご覧になった時、皆さんの中にどのような新しい地平が拓かれるであろうか。

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「蒟醤むらさき箱」
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蒟醤の技によって表現された華麗な蝶の姿
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立ち並ぶ廃墟と化したパゴダ(寺院)
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「蒟醤存清パガン紀行合子」
 

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「磯井正美のわざ-蒟醤の美-」(1992年制作/40分)
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2019年12月25日



映画解説 vol.19

映画『にんぎょう』

神による「創造」から人間による「創造」へ

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

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 今回の映画はこれまでご紹介してきた映画とは異なり、一人の作家とその作品について解説されるというかたちではなく、我が国における人形の歴史や、人形が人々の生活の中で担ってきた意味について語られつつ、現代に活躍する四人の人形作家たちが紹介されるというかたちになっている。

 映画の冒頭で、人形の起源について、人々が人のかたちにこねた土をたまたま土器と一緒に焼いたことがはじまりではないか、といった説明がなされている。そして、土器が「器(うつわ)」つまり「入れもの」であるのと同じように、人形もまた、人がその中に自分の心を入れる「入れもの」であると言われる。

 人形は、「ひとがた」とも読まれるように、人間の「似姿(にすがた)」である。そして、たとえばキリスト教では人間の尊厳の根拠が、人間が「神の似姿」であることに求められる。神による人間の創造と人間による人形の創造とをこのように類比的に考えるならば、映画の中で石川潤平氏の仕事が紹介される際に語られるように、人形作りが「神様のような仕事」とされてきたことも、また、これも映画の中で紹介されている「流し雛」のような人形をめぐる数々の宗教的儀式が行われてきたことも、自然なことであるといえよう。

 そして人形は、人間にとって両義的な意味を持つ。すなわち一方で、人形は人間にとって親しみのある存在である。このことは、桐塑人形作家の市橋とし子氏の「自分の人形は自分でつくる」という言葉に、そして衣裳人形作家の野口園生氏の作品が紹介される際の、あたかも一人の人物について語られているかのようなユーモラスなナレーションに、端的にあらわれている。しかし他方で、人形をめぐる怪談などが数多く存在することからもわかるように、人形とは人間にとって、どこかよそよそしく、得体の知れない存在でもある。こけし人形が「花の模様をまとって人間に化けた木そのもの」であるという小椋久太郎氏の言葉には、人形のこのような側面が見事に表現されているのではないだろうか。

 人形がそもそも宗教的な意味をもっていたからこのような両義的な意味をもつようになったのか、あるいは逆に、人形がこのような両義的な意味をもっていたから宗教的な意味をもつようになったのか、それはともかく、映画の冒頭で言われるように、人形は、人類の歴史において、土器という「発明」と時をおなじくしてなされたもうひとつの「発明」であったと言えよう。そして現代、新たな「発明」をめぐって、人間は希望と不安とがいりまじった両義的な想いを抱いている。クローンや、AIを応用したロボット、である。姿形のみならず知性や感性をも含めた広い意味での新しい「人形(ひとがた)」つまり人間の「似姿」に、人間はどのようにかかわっていけばよいのか。我が国における、人形と人間との長い歴史の中には、そういった問題を考えるためのヒントが、隠されているかもしれない。

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※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「にんぎょう」(1992年制作/34分)
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2019年12月10日

映画解説 vol.3

映画『狂言・野村万蔵-技とこころ-』

和楽の世界に遊ぶ

 

三浦 裕子 (武蔵野大学文学部教授、
同大学能楽資料センター長)

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タイトルにある野村万蔵(7世)は和泉流狂言師(現在は萬(まん)。ここでは万蔵とする)。先日、文化勲章を受章されたばかり。狂言師の受章としては二人目、大蔵流の4世茂山千作(2007年)に次いでの快挙である。その千作と万蔵が狂言〈磁石〉を異流共演の形で演じるところから本映画が始まる。贅沢な作りが予感される冒頭である。

次いで狂言〈蚊相撲(かずもう)〉〈隠狸(かくしだぬき)〉〈茸(くさびら)〉が演じられる。〈蚊相撲〉は和泉・大蔵の両流が所演する狂言だが、結末が異なる。蚊の精と相撲を取り大名が勝つのが大蔵流、負けるのが和泉流である。家来の太郎冠者(野村万之丞。2004年没。死後のおくり名、8世万蔵)に八つ当たりをして蚊の精の真似をする大名(万蔵)の悔しそうなこと。和泉流だけに見られる楽しい結末である。

〈隠狸〉は和泉流のみの所演曲である。主人に内緒で狸を釣ってきた太郎冠者(万蔵)が、「狸も狸。大狸」と売り声とともに市場に急ぐのであるが、背中に負った狸のぬいぐるみが愛くるしい。

〈茸〉は和泉・大蔵の両流で演じられるが、鬼茸が出てくるのは和泉流だけ。祈れば祈るほど茸が増えて困惑する山伏(万蔵)の表情をカメラがよく捉えている。

最後に儀式の能楽〈翁〉で狂言方がつとめる三番叟(さんばそう)を、横道萬里雄原案・万蔵演出「式一番之伝」として万蔵が舞う。通常は紺色の直垂を着るが、この演出では白い狩衣・大口を着け清浄無垢な世界が広がる。

先日、万蔵が狂言の魅力を「健康的な明るさ、素朴で単純なものの強さ」(『日本経済新聞』2019年10月29日夕刊)と語っていた。これは万蔵の芸そのものでもあろう。声も身体も、核には鍛え上げられた硬質なものがあり、その周りを包む柔らかなものが明るく光り輝いている、そのような芸である。それが作用しているからだろうか、本映画には一貫して穏やかな時間が流れている。万蔵が、和楽の世界に遊んでいるごとくに見える。

本映画では、狂言の実写の合間に、狂言の演劇性、野村万蔵家、万蔵の芸歴、狂言面・狂言装束などについて、写真や絵画をふんだんに用いて紹介している。また、孫の太一郎や弟子に稽古を付ける場面もある。万蔵の発言も丁寧に取り上げており、世阿弥の言葉を芸の指針にしていることがよく伝わってくる。監修者のひとり、田口和夫は狂言研究家であり万蔵の弟子でもある。師匠のことをよく理解している研究者が、万蔵と狂言と両方のバランスを熟慮して構成を練り上げたのであろう。

(文中、敬称略)

狂言〈磁石〉(シテ・すっぱ:茂山千作、アド・見付の者:野村万蔵)
 
 
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狂言〈隠狸(かくしだぬき)〉
 
 
 
 
 


  Nomuramanzo記録映画「狂言・野村万蔵-技とこころ-」(1999年制作/50分)
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 ※次回は「文楽に生きる 吉田玉男」をご紹介します。

 ※執筆者 三浦裕子先生(武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長)
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2019年11月25日



映画解説 vol.18

映画『重要無形文化財 輪島塗に生きる』

「内」の美、「外」の美

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

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完成した後には漆の下に隠されて
見えなくなってしまう木地

 輪島塗の作品は私たちの生活の中でとてもポピュラーなものだ。皆さんのご家庭にも輪島塗の作品があるのではないだろうか。私たちは、輪島塗の作品を見る時、蒔絵、沈金といった技術によって施された美しい装飾に目を奪われがちである。たしかに、優美な装飾は輪島塗の大きな魅力だ。しかし、それと同時に、長期にわたる日常の使用に耐えることができる丈夫さもまた、輪島塗の特徴なのである。輪島塗の作品は完成するまでに数多くの工程を経る。細かい工程まで含めるとその数は124にもおよぶ。その工程は大きく分けると、「木地作り」、「下地」、「中塗り」、「上塗り」、「加飾」の5つである。蒔絵や沈金によって輪島塗特有の優美さを産み出すのは最後の「加飾」の工程である。つまり、輪島塗の優美さにかかわるのは全て行程の中のごく一部なのであり、それ以前の工程、特に「木地作り」や「下地」といった工程の結果は、完成された作品では目に見えない。しかし、もう一つの特徴である丈夫さは、このような目に見えない工程によって成り立っているのである。私は、今回の映画を観て輪島塗のこのような製作工程を初めて知り、表面上の美を支えるものの大切さについて大いに考えさせられた。

 1986年(昭和61年)、輪島塗技術保存会は総会において、20世紀の最後を飾る事業として千年以上の保存を考えた作品の制作を決定した。選ばれた作品は懸盤一式。今回ご紹介する映画は、製作決定から足かけ5年にもおよぶ期間をかけて完成された「檜素地沈金蒔絵菊文懸盤一式」の製作過程を記録したものである。この映画の中でも特に注目していただきたいのは、どの工程においても、職人の繊細な感覚が発揮されている作業の様子である。職人たちは製作中の作品の出来具合を指先や手のひらで確認しつつ作業を進める。また、職人たちは製作のための道具を自作するのであるが、そのような道具はあたかも身体の延長であるかのように、職人たちの中にある作品のイメージを忠実に表現してゆく。輪島塗の製作過程では温度や湿度が作品の出来を大きく作用する。現代においては適切な温度や湿度を機械によって保つことができるのであるが、かつて職人たちは独特の感覚によって適切な温度や湿度を感じ取っていたのであろう。

 ドイツの詩人であり思想家であったF・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller、1759年~1805年)は、人間の美しさに関して次のような言葉を残している。「外見上の美しさは、内面の美しさを示す兆候である」。このことは、輪島塗の作品にも当てはまる。輪島塗の作品の表面上の美しさは、職人の繊細な感覚によって丁寧に作られた目に見えない部分の上に成り立っている。美しさの本質について考える時、伝統工芸の作品とその製作過程は、私たちに多くのヒントを与えてくれるのである。

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職人が自作した道具の数々

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製作には繊細な感覚が必要とされる

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完成した「檜素地沈金蒔絵菊文懸盤一式」

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完成した「檜素地沈金蒔絵菊文懸盤一式」

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「重要無形文化財 輪島塗に生きる」(1990年制作/34分)
 
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2019年11月14日

映画解説 vol.2

映画『世阿弥の能』

世阿弥と能と歴史を重厚に華麗に描く

 

三浦 裕子 (武蔵野大学文学部教授、
同大学能楽資料センター長)

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「世阿弥の能」というタイトルは謎めいている。テーマが「世阿弥が作った能」なのか、「世阿弥と能との関わり」なのか、判断できないからである。じつは本映画は両方のテーマを兼ね備えた意欲作で、上映にかかる49分間、重厚かつ華麗な時間が流れる。

先月、ご紹介した「狂言師・三宅藤九郎」では、和泉流狂言師の三宅藤九郎が数々の狂言を演じていた。狂言が対話を中心とするセリフ劇であるとするならば、ペアで演じられるしきたりの能は、ミュージカルであり仮面劇と言える。能の音楽は謡(うたい)という声楽と、囃子(はやし)という楽器からなる。これらは聴覚的な美を示すものである。一方、視覚的な美を提供する要素もある。能面と能装束(のうしょうぞく。能に用いる衣装)である。能面には約60種類があり、役柄によって使いわけている。ことに室町末期に完成した女面の美しさには定評がある。能装束は、唐織(からおり)に代表されるような贅を尽くしたものが多い。

能の芸術的な基礎を築いたのは観阿弥(1333~1384)・世阿弥(1363?~1443?)という天才父子である。世阿弥は能作者・能役者・能の理論家・観世座の棟梁という四つの役割を果たした人物である。幼い頃、室町三代将軍の足利義満の寵愛を受け才能を開花させた。80歳(数え年)という当時としては長寿を誇ったが、晩年に息子の元雅(もとまさ)に先立たれ、佐渡に流された。シェイクスピア(1564~1616)に先立つこと約2世紀に活躍した世阿弥はドラマになるような波瀾万丈の人生を送った。事実、小説に杉本苑子『華の碑文―世阿弥元清』、瀬戸内寂聴『秘花』、戯曲に山崎正和『世阿弥』がある。

本映画は、前述した4つの役割を果たした世阿弥をキーワードに、能という演劇の本質、世阿弥の生涯、そして能の歴史を紹介する形となっている。加賀美幸子の落ち着いたナレーションによる解説が全編に流れるのも特徴であろう(一部、観世榮夫も語っている)。

本映画は世阿弥作の能4番を取り上げている。冒頭の〈清経(きよつね)〉は「音取(ねとり)」という特殊演出による上演で、一噌幸政(笛方一噌流)が吹く流麗な笛の音とともに平清経の霊が妻の夢のなかに現れる。シテ(主役)は友枝昭世(シテ方喜多流。2008年に人間国宝となる)。

続いて能の歴史を辿る映像となり、その流れのなかで観阿弥作〈自然居士(じねんこじ)〉(シテ、友枝昭世)が紹介され、自然居士が人買いから幼な子を取り返す緊張に満ちた場面が描かれる。

世阿弥の功績のひとつに夢幻能(むげんのう)を完成したことがあげられる。夢幻能とは旅の僧の夢のなかに亡霊が現れ過去などを語るが、夜が明けるとすべては僧の夢の出来事だったという結末を迎える作劇法である。世阿弥の能〈井筒(いづつ)〉はその代表作であり、本映画では、井筒の女(紀有常の娘)の霊が在原業平を偲ぶ舞から最後までが演じられる。シテは山本順之(シテ方観世流)。

〈砧(きぬた)〉は世阿弥が最晩年に作った自信作である。本映画では、夫の帰りを待つ妻が登場し、侍女とともに砧を打つ前半から、死後に地獄に堕ちた妻が業火に焼かれ苦しむ様子や、夫の祈りによって救われる最後までがたっぷりと演じられる。シテは浅見真州(シテ方観世流)。

最後の能は〈融(とおる)〉。月明かりの冴える秋の夜、源融の霊が廃墟となった六条河原院で昔を偲ぶ舞を舞う。シテは本田光洋(シテ方金春流)。

人から人へ伝わる芸能は必ず変化を伴う形で継承される。1991年制作の本映画に出演された能楽師のなかには鬼籍に入られた方もおられ、現在では鑑賞することが叶わない場合もある。その方たちの至芸を拝見していると、本映画がバランスよく芸術性と記録性を保持していることが確認できる。と同時に、能の歴史や世阿弥の生涯を丁寧に追っていることを考えると、教育映画としての役目も担っている。ポーラ伝統文化振興財団設立10周年を記念する優れた映画と言えよう。

(文中、敬称略)

能〈井筒〉(シテ:山本順之)

Kiyotsune

能〈清経〉(シテ:友枝昭世)

Koshikakeishi

世阿弥が遠く都を思い、思索をねったといわれる腰掛石(正法寺)

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晩年、世阿弥が流された佐渡の海


  1816_001記録映画「世阿弥の能」(1990年制作/49分)
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 ※次回は「狂言・野村万蔵-技とこころ-」をご紹介します。

 ※執筆者 三浦裕子先生(武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長)
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2019年10月25日



映画解説 vol.17

映画『伝統の技と心 竹工芸 飯塚小玕斎』

弟子の条件

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

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 「理想的な教師とは?」、「部下を正しく指導するには?」、「リーダーの条件とは?」等々、世の中、広い意味での「すぐれた師」について語られることは多い。だが、「すぐれた弟子」については、どれだけ語られているだろうか?「学び」の場における「主役」は、「学ぶ側」つまり「弟子」なのだから、本来ならば大切なのはむしろ「すぐれた弟子とは?」という問いなのではないか。今回、飯塚小玕斎(いいづか しょうかんさい)氏の話を聴きながら、私はそんなことを考えた。同時に修業時代の小玕斎氏こそ、まさに「すぐれた弟子」と呼ばれるにふさわしい、そう思った。

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 竹工芸の天才と呼ばれていた父・飯塚琅玕斎(いいづか ろうかんさい)氏の後を継ぐはずであった兄が亡くなったため、小玕斎氏は代わりに後継者となるべく、琅玕斎氏のもとで修業することになった。琅玕斎氏の指導は小玕斎氏を戸惑わせることもあったようである。たとえばある時、小玕斎氏が自分の作品を琅玕斎氏に見せに行くと、琅玕斎氏は作品をしばらく黙って見続けた後、おもむろに両足で踏みつぶした、というのである。こうしたことは何度かあったという。そのようなことをされても決して修業をやめなかったのは、小玕斎氏が「すぐれた弟子」であったからだ。師から必ずなにかを学ぶことができるはずだと信じる、そういった姿勢が「弟子の条件」である。

師の指導に意味がないと考えるならばその人を師とする理由はなくなり、自分もまた弟子であり続けることすらできないのだから。「すぐれた弟子」は師の指導の意味を必死に考え、やがて自分なりの解釈ができるようになった時、修業は終わっているのである。師が自分の作品を踏みつぶしたのは、あれこれ理屈を考えるのをやめて「白紙」の状態に自分を導くためだったのではないか、小玕斎氏はそう振り返る。

 ところで「白紙」という言葉は哲学の歴史において特別な意味をもつ。イギリスの哲学者ジョン・ロック(1632年~1704年)は、人間が誕生してから知識を獲得してゆくプロセスを、あたかも「白紙(タブラ・ラサ)」に知識が書き込まれてゆくようなものだと説明した。この説明にならえば、琅玕斎氏によって「白紙」の状態へと導かれた小玕斎氏は、いわば新たに「誕生」した、ということになる。「竹工芸ほど作者自身の深い感動を必要とするものはない」、ナレーションではそう語られている。父の後継者となることを決意した当初はただ「使命感」で仕事をしていた小玕斎氏が、「深い感動」を抱きながら仕事をするようになった。琅玕斎のもとでの修業は、小玕斎氏の人間としてのあり方そのものを変えていったのである。

 小玕斎氏の人生は、工芸の世界をこえて、私たちの模範となり得るであろう。人は何かを学ぼうとする際、あたかも「すぐれた弟子」のようになることによって、人間としてのあり方すら変えてゆくこともできるのかもしれない。それは「学び」という営みがもつ大きな力であろう。伝統をになって生きる人々の言葉は、そのようなことをも、私たちに気づかせてくれる。

 

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飯塚家三代(左から弥之助(後の琅玕齋)、鳳翁、二代鳳齋)

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琅玕齋氏

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若き日の小玕斎氏

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  ※記録映画「伝統の技と心 竹工芸 飯塚小玕斎」(1986年制作/30分)
表紙

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2019年10月10日

映画解説 vol.1

映画『狂言師・三宅藤九郎』

緻密な構成が語る狂言の神髄

 

三浦 裕子 (武蔵野大学文学部教授、
同大学能楽資料センター長)

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三宅藤九郎(1901~1990)は和泉流の狂言師である。五世野村万造(初世萬斎)の次男で、兄の六世野村万蔵に続いて重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)となった。本映画は藤九郎の芸と人となりを通して、狂言の本質を見せようとする意欲的なものである。

そもそも狂言とは何か。これを語るときに必ず能にも言及することになる。というのも狂言と能はともに猿楽(さるがく)という祖先を持つ演劇で、室町時代に芸術的な基礎を築き、交互に演じられる原則だからである。能が歌舞劇(かぶげき/ミュージカル)・仮面劇であるとすれば、狂言は様式的なセリフに基づく喜劇と言える。

映画冒頭、国立能楽堂の能舞台を映し出す静止画をバックに、主人が太郎冠者(たろうかじゃ)に遊びに出かける相談をするセリフが流れてくる(ちなみに狂言も能も能舞台で演じられる)。これは狂言〈舟ふな(ふねふな)〉であろう。家来の立場である太郎冠者は狂言の現行曲(げんこうきょく/現在のレパートリー)263曲中、約100曲に登場するヒーローである。この場面は太郎冠者それ自体を紹介しつつ、「狂言の世界に遊びに行こう」というメッセ―ジにもなっている。

この後、藤九郎と安藤常次郎が対談する場面となる。安藤は藤九郎の芸を知り抜いた同世代の狂言研究家である。

続いて〈木六駄(きろくだ)〉の舞台場面となり、大雪のなか12頭の牛(実際には登場しない)を追って峠道を行く太郎冠者が登場する。藤九郎は写実的な演技に定評があったが、ここでは柔らかみも感じられた(後で、藤九郎が自身の狂言を「能と芝居との丁度真ん中、いうなれば崖っぷちギリギリの道を歩むもの」と言っているのが示唆的)。やがて峠の茶屋での小舞(こまい/小品の狂言舞曲)「鶉舞(うずらまい)」になる。この小舞は「鶉舞を見まいな」と語りかける謡(うたい)に応えて、鶉を捕らえようとする様子を謡い舞う楽しいものである。じつは本曲に「鶉舞」を導入したのは藤九郎で、このように狂言の演出を練り上げることにも尽力したのである。

「猿に始まり狐に終わる」という狂言の修業過程を表す言葉から〈靱猿(うつぼさる)〉と、自宅の稽古舞台での〈腰祈(こしいのり)〉の稽古風景が映し出される。それから、能・狂言のルーツを探る目的で、山形県鶴岡市に民俗芸能として伝承されている黒川能(くろかわのう)の映像となる。

最後の狂言は〈川上〉。目の不自由な男が川上地蔵に願を掛け開目(かいもく)するが、悪縁である妻と離別するのが条件であった。別れぬと言い張る妻に従うことにした夫は再び失明してしまう。六世万蔵と藤九郎で完成させたという定評のある名曲で、これによって藤九郎は笑い以外の要素も狂言にあることを言いたかったのであろう。

世阿弥の芸術論の引用など吉田喜重監督の知的興味に基づく脚本や一柳慧による斬新な音楽など、本映画は緻密な構成を見せる。その価値に付け加えるとすれば、昭和の名人と称される善竹弥五郎・三世茂山千作・六世万蔵・三世山本東次郎が皆〈木六駄〉の映像を残しており、本映画では藤九郎の〈木六駄〉が収録された。この点に映画の記録性の意義が示されていよう。

(文中、敬称略)

本映画は1984年、藤九郎83歳の時に撮影された。写真は〈木六駄〉で藤九郎の演じる太郎冠者が大雪のなか12頭の牛を峠道に追うところ。

 

 

 

 

 

 


  1691_001記録映画「狂言師・三宅藤九郎」(1984年制作/32分)
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 ※次回は11月11日、「世阿弥の能」をご紹介します。

 ※執筆者 三浦裕子先生(武蔵野大学文学部教授、同大学能楽資料センター長)
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2019年09月25日

 



映画解説 vol.16

映画『伝統の技と心 西出大三 截金の美』

美の考古学

 

中畑 邦夫 (博士 哲学)

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 わたしたち人間は、とかく、今・現在、自分たちが見ているものを基準として、歴史的な過去をイメージしてしまいがちである。特に、仏像や仏画といったいわゆる仏教美術については、そういった傾向が著しいようである。たとえば、仏像の色をイメージしていただきたい。おそらく皆さんは、暗い色や素材である木の色をイメージするのではないだろうか。日本の伝統的な美意識である「侘・寂(わび・さび)」や「枯山水(かれさんすい)」といった芸術様式では渋さや静かさが良しとされることも手伝って、仏像や仏画もそのようにイメージされがちのようだ。

だが、本当にそうだろうか?

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 かつて人々は、今・現在、私たちが見ている仕方とはまったく別の仕方で、まったく別のものとして、仏像や仏画を見ていたのではないだろうか?これは、哲学に通ずる発想である。哲学とは、今・現在の自分の考え方や感じ方を唯一の正しいものであるという思い込みを捨てることから始まるのだ。

 そういった意味では、西出大三氏は截金(きりかね)師であると同時に哲学者である。西出氏は、現在に残された仏像や仏画の中に、本来の姿の痕跡を発見し、それを手がかりとして仏像や仏画のかつての姿を再現する。そこに現われるのは眩い極彩色の上に金や銀による装飾がほどこされた、繊細かつ華麗な