2021年01月25日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎えた「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。
第33回 伝統文化ポーラ賞 優秀賞
岡田裕「萩焼の制作・伝承」
佐藤典克(陶芸家)
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岡田裕氏は、慶応義塾大学法学部を卒業後、一旦水産会社に入社したが、萩焼の魅力に引き込まれ1972年退社し、父であった萩焼の名門晴雲山岡田窯七代岡田仙舟に師事し、作陶に入りました。たゆまぬ研鑽によって体得した萩焼の伝統技法を守りながらも、自身の感性を生かし、現代感覚のあふれる個性的な作風を確立。シルクロードを度々視察旅行した際に得たインスピレーションをもとに生み出された、技法表現「炎彩(えんさい)」において、萩焼の固有素材の美質を活かした内面描写的な制作に励んできました。
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炎彩陶筥 平成30年 第46回伝統工芸陶芸部会展出品
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「炎彩」とは大道土(だいどうつち)や見島土(みしまつち)といった萩の伝統的な素地土(きじつち)の泥漿(でいしょう)※と、白釉(はくゆう)などの釉薬をエアブラシを用いて施す装飾技法です。粗密度ある肌模様が全面的に展開され、窯中に激しく揺らめく炎を感じさせます。
※泥漿:粘土と水を混ぜ合わせ泥のような液体状にしたもの
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白萩釉窯変茶盌 平成30年 第41回山口伝統工芸展出品
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昭和48年山口県美術展入選を皮切りに、昭和54年日本陶芸展、日本伝統工芸展と入選を重ね、昭和60年日本工芸会正会員となり、平成18年に山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定、平成25年には伝統文化ポーラ賞 優秀賞、平成29年には旭日双光章を受章しました。
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彩泥花器「蜃気楼」 平成6年第17回伝統工芸新作展出品
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また、長年日本工芸会山口支部幹事長等の役職を勤め、萩女子短期大学の陶芸科で教鞭をとると共に、萩市や山口県内の文化催事でのワークショップや講演を行い、後進の指導等幅広い普及活動を行っています。 萩の伝統に根ざしながら、現代に通ずる新しい作品を作り続ける、岡田氏の今後の創作活動に、さらに大きな期待が寄せられています。
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◇写真ご提供:日本工芸会 https://www.nihonkogeikai.or.jp/
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2021年01月12日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎えた「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。
第18回 伝統文化ポーラ賞 特賞
池田八郎「土佐古代塗の伝承」
世川祐多(パリ大学博士課程)
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土佐古代塗は明治時代に鞘師(さやし)の種田豊水(たねだ ほうすい)により創始された。豊水は明治時代に人力車の背面に蒔絵を施すなどして名を馳せた名工である。土佐古代塗の特徴は、下地に糊などを混ぜずに漆だけを用い、乾かない間にくるみの殻の粉末を地の粉として蒔く(以前は輪島地の粉を用いていた)蒔地法とよばれる技法にある。このために、30日以上かけて丹念に作り上げられる土佐古代塗は、ザラついた鮫肌のような質感であり、強固で重厚感がある。もう一つの特徴は何といっても、素手で触れても指紋がつきにくいというオリジナリティにある。
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鮫肌のような質感と漆の光沢が趣を漂わせる
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しかし、土佐古代塗には断絶の危機があった。豊水が創始して以来土佐古代塗は弟子たちにより継承されたが、戦後に入ると生活様式の変化と、プラスチックなどの器の台頭で凋落した。そこに現れたのが池田八郎氏であり、池田氏は唯一の継承者として土佐古代塗を守り抜き美禄堂を設立された。昭和時代には、昭和天皇や常陸宮殿下へ献上の名誉にも預っている。
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むら無く漆を纏わせる、職人の技
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池田氏のこだわりは、絶対に漆以外の顔料を使わないことにある。そのことでしか、優雅且つ堅牢な漆器はできないからだ。
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一本一本の細部まで、丁寧な作業が光る
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今、その魂は、唯一の土佐古代塗の職人である息子泰一氏に受け継がれている。
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池田氏こだわりの土佐古代塗
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◇写真ご提供:土佐古代塗 美禄堂(下記リンクからHPをご覧いただけます) https://kodainuri.iinaa.net/
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2020年12月25日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎えた「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞を受賞された方々を随時ご紹介致します。
第21回 伝統文化ポーラ賞 地域賞
秋葉神社祭礼 練り保存会「秋葉神社祭礼 練りの伝承」
川﨑瑞穂(博士・神戸大学特別研究員)
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衣装のモチーフ、仮面のモチーフ、音のモチーフ…など、民俗芸能には様々な「モチーフ」があります。多くの研究者がそれぞれのモチーフの意味や歴史を考えてきましたが、中には比較的容易に楽しむことができるものもあります。たとえば手に持つ「棒」に「悪魔や不浄を祓ひ、潔めるといふ信仰」を読み取ったのは、民俗芸能研究で著名な本田安次(ほんだやすじ)。「棒について」(1973)という文章では、「棒には古来神秘的なものがまつはつてゐた」として、「棒状のものを交差させることは、悪魔払ひになる」と述べています。
様々な「棒」が登場する祭礼に、高知県の秋葉神社(吾川郡仁淀川町別枝)にて行われる「秋葉祭り」があります。毎年2月11日に行われる、岩屋神社から秋葉神社に向かう華やかな行列(練り)によって知られており、身長の何倍もある「鳥毛」(とりけ)という毛槍(大名行列などで用いられる鳥毛の飾りをつけた槍)を投げ合うダイナミックな「鳥毛ひねり」は、この祭礼一番の見せ場となっています。
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鳥毛ひねり
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天狗の面を被った役など、個性豊かな面々が練り歩く道中では、「サイハラ」と呼ばれる両端に紙の飾りがついた竹の棒を用いた「太刀踊」が演じられます。二列に並んだ踊り手が向かい合い、サイハラと太刀を打ち合わせて踊るもので、歌と法螺貝が心地よく響き渡ります。高知県には、棒や太刀をはじめ、長刀や鎌などを用いる「花取踊」(はなとりおどり)が数多く伝わり、同系統の芸能として注目されます。
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太刀踊り

鼻高(天狗)
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さらに、「お神楽」とよばれるセクションでは、狐や獅子といった動物や異形のモノたちが輪になって舞います。乱打される打楽器の音と、簡潔な旋律を繰り返す笛の音が混ざり合い、「聖なるもの」との交歓の風景が眼前に広がります。
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「お神楽」の狐
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行列の途中には、「油売り」という道化役が登場し、サイハラを売って歩いたり、コミカルな所作で笑いを起こしたりと、祭りの場を和ませます。子どもから大人まで、幅広い層に親しまれているこの祭礼は、さながら大空を舞う鳥毛のように、これからも人と人とをつないでいくでしょう。
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「油売り」
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伝統文化ポーラ賞を受賞した秋葉神社祭礼練り保存会は、現在でも受賞時と変わらず、「秋葉神社祭礼練りの伝承」を主導し、地域の振興を支えています。
注:祭礼の開催日等につきましては、別途ご確認ください。
◇高知県吾川郡仁淀川町 産業建設課 「秋葉まつり」 https://www.town.niyodogawa.lg.jp/life/life_dtl.php?hdnKey=776
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2020年12月10日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎えた「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。
第2回 伝統文化ポーラ賞 特賞
山村精と原始布・古代織保存会
「太布織物」
大友真希(染織文化研究家)
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木綿布が庶民に普及する以前、人々は山野に自生する草木の皮・茎・蔓などから繊維を取り出して糸をつくり、布を織っていました。これらの織物の総称を「太布(たふ)」(*注1)といいますが、現在は「原始布」「自然布」などと呼ばれることが多く、シナ布・芭蕉布・苧麻布・藤布・葛布・アットゥシなどがそれにあたります。
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太布織物
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大正12年山形県米沢市に生まれた山村精(まさし)さんは、米沢で織物商に携わるなか、昭和40年頃から日本の原始布・古代織の復元と生産の存続に取り組み始めました。戦後、合成繊維の普及と機械化の加速によって、手技による布づくりとその歴史が途絶えていくことに危機感をもったのが始まりです。山村さんは、山形県、新潟県、福島県などの山間集落を訪ね歩き、古くから織られていたシナ布・藤布・楮布などの原始布について話を聞いて回ります。そこで目にした女性たちがもつ技術の高さに感動し、布そのものの美しさにも魅了され、原始布の探究が生涯続くこととなりました。
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地機(じばた)による織布
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多くの山村では、林業や炭焼きなどの生業が成り立たたなくなり、成人男性は出稼ぎで家を不在にした時代です。山村さんは集落の女性たちと共に保存会を立ち上げ、技術指導や研究会を行いながら地域での生産を後押ししていきました。長年途絶えていた紙布・ぜんまい織・藤布などの復元にも力を注ぎ、失われかけていた様々な原始布が、次々と息を吹き返したのです。
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原始布・古代織参考館内展示 (山村精氏が初代館長)
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女性たちにとって、布づくりの仕事は家庭を支える大事な収入源となりました。来る日も来る日も必死に糸づくりと機織りに励んだといいます。新潟県村上市山熊田の集落では、「山村さんの仕事のおかげで子供たちを大学に行かせることができた」と、40年以上が経過した今も、当時を思い出して語る女性が少なくありません(*注2)。
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*注1:現代では、徳島県那賀町木頭で生産されている楮布を指して「太布」と呼ぶ場合が多い。
*注2:新潟県山村上市山熊田地区では、当時、シナ布・ぜんまい織・紙布・麻布などを織っていた。現在もシナ布の生産が続いている。
◇写真提供:原始布・古代織参考館 Tel:0238-22-8141 E-mail:gensifu@guitar.ocn.ne.jp
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2020年11月25日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎えた「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞を受賞された方々を随時ご紹介致します。
第3回 伝統文化ポーラ賞 特賞
小泉重次郎「板橋・徳丸の田遊びの伝承」
川﨑瑞穂(博士・神戸大学特別研究員)
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各地に伝わる民俗行事の中には、「稲作」に関係する芸能や祭礼が数多く存在します。田植えに際して行われる歌舞が芸能化した「田楽」(でんがく)などは、「味噌田楽」や「おでん」(お田楽)といった馴染み深い言葉の中に、味わい深さとしても名残をとどめています。
また、元来「芸能」の芸(藝)には「うえる」、あるいは「まく」といった意味があり、農耕の「わざ」と「芸能」という「わざ」の間に、深い関わりがあることも暗示しています。
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徳丸の田遊び「田うない」
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稲作の所作を、田植えに際して行うのではなく春先に演じる「田遊び」もまた、農耕と密接に関わる芸能の一つです。正月(太陰暦で行う場合もあるため1~4月)頃、「予め」豊作を「祝う」ことで豊作になると考える「予祝」(よしゅく)の発想により、稲作の行程を順を追って演ずるのが「田遊び」と呼ばれる芸能であり、稲作が人々にとっていかに重要であったのかを教えてくれます。
稲作と縁遠くなったかにみえる東京23区内においてもなお、この「田遊び」を伝える地域があります。板橋区徳丸・北野神社と同区赤塚・諏訪神社では、2月の祭礼当日、神社拝殿前に設えられた「もがり」と呼ばれる舞台において、稲作を模した技の数々が演じられます。「福の種をまーこうよ」といった縁起の良い歌詞を、つい口ずさみたくなるような独特なメロディで歌うこの芸能は、牛によって田をならす所作を演じるユーモラスな演目「代かき」など、個性的な技の数々を伝えています。
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徳丸の田遊び「代かき」
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「徳丸の田遊び」と「赤塚の田遊び」、よく見比べ、聴き比べることで、様々な類似点と相違点に気付くことができるでしょう。とりわけ赤塚では、「もがり」の前で行われる天狗の舞(御鉾の舞)など、付随する多彩な演目も魅力的。「花籠」をつけた槍と太鼓の前に、弓(破魔矢)、男の子が乗った「駒」、そして獅子が順番に登場する「槍突き」。田遊びの伝える多彩な技をみると、子どもや稲の健やかな成長を祈る、この芸能を伝えてきた人々の温かな気持ちに触れることができます。
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赤塚の田遊び「駒」
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赤塚の田遊び「獅子」
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伝統文化ポーラ賞を受賞した小泉重次郎氏は、長らく板橋区の民俗芸能「田遊び」を主導し、地域の振興と伝統の継承に貢献されました。
注:祭礼の開催日等につきましては、別途ご確認ください。
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2020年11月10日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞を受賞された方々を随時ご紹介致します。
第29回 伝統文化ポーラ賞 優秀賞
加藤 孝造
「瀬戸黒・志野・黄瀬戸の制作・伝承」
佐藤典克(陶芸作家)
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加藤孝造氏の陶芸への道は、昭和28年 岐阜県陶磁器試験場で、幸兵衛窯(こうべえがま)の礎を築いた五代目 加藤幸兵衛氏に陶芸の指導を受けたところから始まりました。その才能は多才で、翌年の第10回日展(日本美術展覧会)に洋画部門で初入選、この年の全国最年少入選となったほどです。
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「瀬戸黒茶ワン」(せとくろちゃわん) 平成22年 第57回日本伝統工芸展 出品
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その後、昭和45年にまた大きな出会いが訪れます。その人こそ、志野をはじめ、黄瀬戸、瀬戸黒など桃山時代に開花した焼き物の美に魅せられ、その再現に取り組んだ重要無形文化財保持者、故荒川 豊蔵氏です。荒川氏は加藤氏の人生観を揺さ振り、陶芸のみならず人生の師と仰ぐほどの人物でした。
翌年、可児市久々利に穴窯と登窯を築き、以後手回し轆轤(ろくろ)や薪による焼成等の桃山陶芸技法による制作を自身のライフワークとしていきます。その作品は桃山の志野・瀬戸黒を原点に、その伝統を継承しながらも新しさを追究したもので、手になじみ易く落ち着いており、加藤氏の風貌を彷彿とさせます。
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「黄瀬戸水指」(きせとみずさし) (径17cm, 高18.7cm) 令和2年 第48回伝統工芸陶芸部会展 出品
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平成7年、岐阜県重要無形文化財「志野・瀬戸黒」の保持者に認定。平成21年に伝統文化ポーラ賞 優秀賞を受賞、翌平成平成22年には「瀬戸黒」の国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
それまでの「瀬戸黒」保持者であった荒川豊蔵氏が1985(昭和60)年に死去し、重要無形文化財指定が解除されていたこともあり、加藤氏で「瀬戸黒」2人目の人間国宝となります。
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「掛け流し瀬戸黒茶盌」(かけながしせとくろちゃわん) (径13.3cm,高9.5cm) 平成28年 第63回日本伝統工芸展 出品
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加藤氏は若手陶芸家を集い「風塾」を創設、塾生には美濃陶芸を代表する作家たちが名を連ね、後継者の育成にも尽力しています。その功績と貢献は多大で、84歳の現在も現役陶芸家として精力的に活躍しています。
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◇画像提供:公益財団法人 日本工芸会 https://www.nihonkogeikai.or.jp/
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2020年10月05日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。
第2回 伝統文化ポーラ賞 特賞
鈴木 寅重郎「越後上布」
大友真希(染織文化研究家)
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晩冬の晴れた日、真っ白な雪原に広がる越後上布の反物。雪と太陽光に当てて布を漂白する「雪晒し」は、越後に春を告げる風物詩となっています。越後上布とは、新潟県南魚沼・小千谷地域で生産されている麻織物のことで、薄くて軽い、涼やかな肌触りが特徴です。
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雪晒し [太陽光で雪が溶け、蒸発する際に発生するオゾンを利用し、布を白くする作業]
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越後上布の原料には、福島県昭和村で生産された苧麻(ちょま)の繊維・青苧(あおそ)を使います。青苧を細かく裂いて撚(よ)り繋ぎ、細く均一な糸をつくります。糸の撚り掛け、糊付け、絣くびり、糸染め、整経などの工程の後、いざり機(地機)を用いて布を織ります。緯糸(よこいと)の撚りを強くして皺(しぼ)加工したものは「小千谷縮(おぢやちぢみ)」といい、越後上布とともに夏用の着物に人気の素材です。越後上布づくりは冬の作業が中心ですが、乾燥に弱く切れやすい苧麻糸の扱いには、雪がもたらす湿気と熟練した手技が欠かせません。
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絣くびり [経糸と緯糸の柄になる部分を綿糸などで括り、布生地に染料が染めつかないようにする作業]

糸染め [絣くびりをした部分は、染まらずに白く残る]

いざり機(地機)による織布
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江戸時代には幕府へ上納されるなど、上質な麻布として高く評価され、その生産は最盛期を迎えました。明治以降、機械化・洋装化が進むにつれて、生産高が減少。戦中・戦後にかけて途絶えつつあった越後上布づくりの技を守るべく、産地では生産者を中心に技術保存協会が設立され、昭和30年には小千谷縮とともに国の重要無形文化財に指定されました。
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足踏み [織り上がった布をお湯に入れて足で踏み込み、柔らかくする作業]
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越後上布への並々ならない情熱とこだわりをもち、生涯にわたってその製作と技術保存に取り組んだのが鈴木寅重郎さんです。良質なからむしは、糸が細くても切れにくいことから、化学肥料を使わず堆肥での栽培を農家へ注文するなど、原料の品質をとことん追求したといわれています。その注文に必死に応えたのが、鈴木さんと共に、同年ポーラ賞を受賞した「からむし栽培」の五十嵐善蔵さんでした。
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 越後上布
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平成21年に「越後上布・小千谷縮」はユネスコ無形文化遺産に登録されました。現在、越後上布・小千谷縮布技術保存協会が中心となって製作を行い、受け継がれてきた技を次世代へ繋ぐべく、伝承者の育成にも力を注がれています。
越後上布・小千谷縮布技術保存協会
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2020年09月25日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。
第20回 伝統文化ポーラ賞 地域賞
鷺の舞保存会「鷺の舞の伝承」
川﨑瑞穂(博士・神戸大学特別研究員)
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ヤマトタケルの神話にあるように、古代から白鳥(しらとり)は信仰の対象でした。民俗学者・谷川健一の言葉を借りれば、「天空高く渡っていく白鳥のすがたは、古代人の網膜に消しがたい印象を残していた」(『神・人間・動物―伝承を生きる世界―』)と言えます。鳥の扮装で演じる民俗芸能は日本各地に伝承されていますが、その中に鷺(サギ)の作り物を身につけて舞う「鷺の舞」(あるいは鷺舞)という民俗芸能があり、美しく翼を広げるその姿は、日本のみならず海外からも注目されています。
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「鷺の舞」
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山口県に伝わる「鷺の舞」は、八坂神社(山口市)で7月20日から27日にかけて行われる「山口祇園祭」の内、初日の20日にのみ行われています。猟師を表現するともいう「しゃぐま」、鞨鼓(かっこ)という太鼓を打つ「かんこ」、そして「鷺」という三つの役(各2名)から構成され、「かんこ」の周りを、「鷺」と「しゃぐま」が回ります。伴奏の楽器は笛と締太鼓からなり、笛は舞の初めから終わりまで吹き続けますが、笛の旋律の切れ目で締太鼓が打たれます。「かんこ」が鞨鼓を打ちつつジャンプすると、こだまのように後から「鷺」が羽をパタパタと動かし、その鷺の動きを後追いして、締太鼓を2回打つというパターンの繰り返しです。簡潔な動きの繰り返しに、儀礼としての性格が表れています。
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「かんこ」の使用する楽器「鞨鼓」(かっこ)
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「鷺の舞」のように鷺が登場する芸能は、日本ではいくつかの地域に伝わっており、とりわけ島根県津和野町の「鷺舞」は民俗芸能の中でも広く知られているものの一つです。中世、京都の祇園社(現在の八坂神社)の「御霊会」(ごりょうえ:現在の祇園祭)において、「鵲鉾」(笠鷺鉾:かささぎほこ)という出し物に付随した鷺の扮装で舞う芸能が、各地に伝わったものであるとも考えられています。
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「鷺の舞」に使用される鷺の頭
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伝統文化ポーラ賞を受賞した鷺の舞保存会は、現在でも受賞時と変わらず、「鷺の舞の伝承」を主導し、地域の振興を支えています。
注1:祭礼の開催日等は別途ご確認ください。
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2020年09月10日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞を受賞された方々を随時ご紹介致します。
第32回 伝統文化ポーラ賞 奨励賞
鈴木 徹「緑釉陶器の制作・継承」
佐藤典克(陶芸作家)
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鈴木 徹氏は昭和39年多治見市に生まれ、昭和62年龍谷大学文学部史学科卒業、翌年京都府陶工職業訓練校成形科を卒業した後、志野や織部など桃山時代に焼造された焼き物の伝統と歴史が残る岐阜県多治見市で作陶活動を展開しています。
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緑釉花器 [径34.0cm、高30.0cm]
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美濃焼の「織部」といえば誰もが耳にしたことがありますが、彼の作品に使われる緑色の釉薬を施した焼き物は、他と一線を隔しており、それは作者の意思、「織部という範疇では語ることができないような作品をつくりたい、美濃という地域を超えた仕事をしたい」と語る彼の想いにほかなりません。
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「萌生」 [幅72.0cm、奥行12.2cm、高20.3cm]
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父親が「志野」の重要無形文化財保持者、鈴木藏である彼は、父とどれだけ違うことがやれるかが大切だ、との思いから「緑釉」の追求を選んだといいます。工房の周りにはさまざまな樹木や草花、苔があり、その自然が表現の源泉であると徹氏は自身の事を振り返ります。作品は、泥刷毛目や櫛目、さらには胎(*注)の途中に稜線を入れ、釉薬の濃淡、色合いの違う緑釉を模様の強弱に応じて意識的に使い分け、深みが増すように計算されており、近年は荒々しさよりも造形と釉薬の繊細さが際立ちをみせ、新たな作域へと進化を続けてきています。
*注:素地
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「萌生」 [幅21.0cm、奥行15.5cm、高52.5cm]
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平成3年の日本伝統工芸展入選以来入選を重ね、平成24年に伝統文化ポーラ賞を、平成27年には、第62回日本伝統工芸展「NHK会長賞」受賞し、さらに日本陶磁協会賞をも受賞されました。 現在は、公益社団法人日本工芸会の理事として手腕を揮いながら、精力的に活動を続けている期待の作家といえます。
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※お写真は鈴木 徹先生にご提供いただきました。 ◇鈴木先生の活動情報等は下記サイトにてご覧いただけます。 陶藝 鈴木 徹(公式HP)
◇2020年9月23日より、「萌生Ⅱ」ー鈴木 徹 作陶展ーが日本橋三越本店本館6階 美術特選画廊にて開催されます。 詳細は下記URLをご覧ください。 https://www.mitsukoshi.mistore.jp/ nihombashi/shops/art/art/shopnews_list/shopnews0364.html
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2020年08月11日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。
第2回 伝統文化ポーラ賞 特賞
五十嵐善蔵「からむし栽培」
大友真希(染織研究家)
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夏は緑に、冬は雪に覆われる自然豊かな山里・福島県奥会津の昭和村では、新潟県で織られている「越後上布・小千谷縮」の原材料となる「からむし」が生産されています。 からむしは、イラクサ科である苧麻(ちょま)の一種で、からむしの繊維でつくる布は、吸水性がよく乾きやすいため、夏の着物に広く使われてきました。
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”からむし焼き” [焼畑]
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からむしの栽培は春から夏にかけて行われます。 まず、水捌けの良い肥えた畑づくりから始まり、十分に栄養を含んだ畑にからむしの根から取り出した苗を植えます。5月の小満(二十四節気の一つ)の頃に、芽の成育をそろえ、害虫を取り除くためにからむし焼きを行います。畑に火入れをするからむし焼きを終えると、畑の周囲に垣根を立てて均一に成長を促します。また、この垣根には風除けの働きがあり、からむしの茎が傷つくのを防ぐほか、小動物の侵入を防ぐこともできます。
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刈り取り
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7月下旬から8月のお盆前にかけて、2メートルほどに成長したからむしを一本一本鎌で刈り取ります。刈り取ったからむしは、その日のうちに水に浸し一本ずつ皮を剥ぎます。剥ぎ取った皮をからむし引き(*注)し、取り出した繊維は2・3日乾燥させた後、100匁に結束され新潟の糸づくりの工程へと進みます。
注:専用の道具を使い、からむしの表皮を削いで繊維を取り出す作業
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”からむし引き” [苧引き(おびき)ともいう]
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昭和村では、地域を支える大事な作物としてからむしの栽培が代々続いてきました。五十嵐善蔵さんも村に伝わるからむし栽培の智慧を繋いできた一人です。からむしの繊維には、「キラ」とよばれる青色を帯びた独特の光沢があります。質の良いからむしだからこそ生まれる「きらめき」。昭和村の自然の豊かさと、人々が培ってきた技が織り成す、からむし独自の風合いです。
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からむしの繊維
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""からむしの織物"
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福島県昭和村HP |
2020年07月27日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。
第32回 伝統文化ポーラ賞 地域賞
数河獅子保存会「数河獅子の保存・伝承」
川﨑瑞穂(博士・神戸大学特別研究員)
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大きな口に愛らしい瞳。日本各地には、個性的な「獅子舞」が数多く伝わります。「ライオン」としての獅子が登場する芸能は海外でもみることができますが、日本では仏教における聖獣、ないし狩猟の対象としての「シシ」(鹿や猪)の舞として伝承されています。 日本の獅子舞は大きく「伎楽」(ぎがく)系と「風流」(ふりゅう)系に分けられます。 伎楽とは、6世紀から7世紀にかけて日本に伝来した大陸由来の芸能で、その中の「師子」(しし)が、この系統のルーツであると考えられています。この系統は、獅子の前足と頭(かしら)を1人、後ろ足を1人が担当することが多いため「二人立獅子舞」とも呼ばれますが、中には数名が入るものもあります。幕の中で、たくさんの人が、獅子の足や尻尾になりきって演じているのです。
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初段「曲獅子」
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岐阜県飛騨市古川町の数河(すごう)という地域には、この二人立ちの獅子舞「数河獅子」(すごうしし)が伝わります。大宝年間(701〜704)、新羅の僧・隆観が、獅子の狂いたわむれる様子を舞にしたことに始まるとされ、別名「高麗獅子」(こまじし)とも呼ばれます。9月5日の白山神社(上数河)・松尾白山神社(下数河)の祭礼にて奉納されるこの芸能では、大きな顔の獅子頭にホロ幕を垂らし、その中に前足後足の2人の舞手が入り、「太神楽」(だいかぐら:伎楽獅子の一種)を象徴するアクロバティックな芸を披露します。
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二段目「天狗獅子」
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舞は「曲獅子」、「天狗獅子」、「金蔵獅子」という三つの演目(段)から成り、その中の「天狗獅子」では、獅子だけでなく天狗、猿、熊も登場。三者は獅子の周りを踊り、様々な所作を見せます。天狗が獅子によって倒され、再び起き上った天狗が獅子を倒すという、物語性豊かな演目になっています。
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三段目「金蔵獅子
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伝統文化ポーラ賞を受賞した数河獅子保存会は、現在でも受賞時と変わらず、「数河獅子の保存・伝承」を主導し、地域の振興を支えています。
注1:2020年度は、新型コロナウイルスの影響で、例年通りの祭りが開催されないことがあります。詳しくは公式HPをご確認ください。
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一般社団法人飛騨市観光協会 |
2020年07月10日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。
第1回 伝統文化ポーラ賞 大賞
平良敏子、喜如嘉の芭蕉布保存会「染織・芭蕉布」
大友真希(染織研究家)
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胸に心地よい風が吹き、空を思えば心晴れやかになる沖縄。その沖縄の風土に馴染む着物といえば、芭蕉布の着物を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。芭蕉布は、バナナと似た植物・糸芭蕉から取り出した繊維で糸をつくり織り上げた布です。自然な生成りの色合いに、張りと光沢をもった涼やかな風合いを特徴とします。
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快晴に映える芭蕉畑
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芭蕉布づくりでは、糸芭蕉の栽培にはじまり、糸芭蕉の伐採、繊維の採取、糸づくり、糸の染色、機織り、といった数々の工程と長い時間をかけ、一反の布が完成します(*注)。芭蕉布づくりの一連の仕事は、すべてが手作業によっておこなわれるため、どの工程にも、熟練の技と根気が欠かせません。
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整経
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沖縄本島の北部に位置する大宜味村喜如嘉は、芭蕉布づくりの盛んな地域で、村の女性たちは幼い頃から家の手伝いで糸づくりや機織りをしてきました。戦後、沖縄で途絶えつつあった芭蕉布づくりの息を吹き返させたのは、平良敏子さんを中心とする「喜如嘉の芭蕉布保存会」の女性たちでした。
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”芭蕉布を織る”
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昭和30年頃を境に生活や慣習が大きく変わるなか、平良さんは喜如嘉の芭蕉布づくりの技を受け継ぎながら、工芸品としての作品制作と芭蕉布の普及にも力を尽くします。平良さんを指導者に、喜如嘉の女性たちの手が支えてきた芭蕉布の伝統は、伝統文化ポーラ賞の受賞から40年が経過したいまも、次の世代へと引き継がれています。
*注:芭蕉布づくりの詳しい工程については保存会の公式ウェブサイトをご覧ください。
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”多彩”な芭蕉布
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喜如嘉の芭蕉布保存会 |
2020年06月25日
映画解説 vol.25
映画『うつわに託す 大西勲の髹漆』
託し託される「使命」
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中畑 邦夫 (博士 哲学)
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 木目を慎重に見極めながら作業する大西氏
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お洒落な人。今回の映画で私が受けた、漆芸家・大西勲氏の第一印象である。BGMとして流れるジャズの調べも良く似合っている。師である赤地友哉氏から贈られたという「素朴に、しかし粋であれ」ということばは髹漆(きゅうしつ)の技術においてのみならず、大西氏のライフスタイルの中でも生きているようである。 大西氏は昭和19年、北九州の炭鉱の町に大工職人の子として生まれた。幼い頃から父親が仕事で使う木材と工具で模型を作っていたそうである。また、父親に叱られるとボタ山に登って月を眺めていたという。木への愛着は大西氏の幼い頃のこのような生活の中で芽生えたものかもしれない。また、今回その制作過程が収められている髹漆曲輪造盤「蒼い月夜」はじめとして大西氏の作品に月へのこだわりが見られるのは、幼いころにボタ山から眺めた月が大西氏のいわば原風景になっているからなのかもしれない。 大西氏は30歳の時に赤地氏に師事する。この頃から、大西氏は漆芸の技術を守り、向上させ、後世に伝えるという「使命」を与えられたわけである。しかし、大西氏に託された「使命」とはそれだけではない。 ところで「使命」とは、ドイツ語ではBestimmung(ベシュティムング)という。ドイツの哲学者ヘーゲル(1770~1831年)はこの言葉に自身の哲学の中で重要な役割を与えた。哲学の専門用語として日本語では「規定」と訳されるこの言葉は、あるものが「なんであるか」を示すと同時に、それが「どうあるべきか」をも示す。そして規定は、他のものとのかかわりにおいて、より深まり、より明確になってゆく。つまり、他のものとのかかわりにおいて、それが「なんであるか」ということ、「どうあるべきか」ということが、より深まり明確になってゆく。 大西氏もまた、さまざまな「かかわり」の中で、自身の「規定=使命」を深められてきたことであろう。師である赤地氏とのかかわり、漆芸の技術を将来担ってゆく若者たちとのかかわり、木への愛着や月という原風景が芽生えた幼き頃の自分とのかかわり。そしてもちろん、木や漆といった自然とのかかわり。そういったさまざまなかかわりの中で与えられ大西氏の中で深まっていった「規定=使命」、つまり人間としての自身のあり方を、大西氏は作品に託し続けてきたのである。 ところで、私がこの文章を書いているのは令和2年6月。少しずつ日常が戻ってきているとはいえ、それでも世の中は新型コロナウィルス感染症による不安と混乱の只中にある。いわゆるコロナ禍によって、世の中は大きく変わったし、これからも変わってゆくのであろう。しかし、世の中がどう変わってゆこうと、自分自身の変わらない「使命」とはなにか、このような状況だからこそ、そういったことについて考えたい、大西氏が託し託されてきた使命の「ブレのなさ」を観て、私はそんなことを想った。
ところで先月、YOUTUBEにポーラ伝統文化振興財団のチャンネルが開設された(https://www.youtube.com/channel/UCqoBFBt6U8EV1Egj-PH-LbQ/)。伝統文化を紹介する興味深い動画を視聴することができ、私が前回ご紹介した映画『蒔絵 室瀬和美 時を超える美』も視聴することができる。ぜひとも伝統文化の世界を身近に感じていただき、お楽しみいただきたい。
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 まるで人間の血管のようにも見える美しい木目 |
 師・赤地友哉氏と若き日の大西氏 |
 若者たちを親身に指導する大西氏
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 ろうそくの灯のもとで作業する大西氏 |
 試行錯誤の末、大西氏は月の色を決めた。
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※「うつわに託す 大西勲の髹漆」(2009年制作/35分)
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2020年06月10日
ポーラ伝統文化振興財団では設立以来、わが国の貴重な伝統文化に貢献され、今後も
活躍が期待できる個人または団体に対し、更なる活躍と業績の向上を奨励することを
目的として、顕彰を行ってまいりました。 本年で40回を迎える「伝統文化ポーラ賞」。
この度、弊財団40年の軌跡と共に、過去ポーラ賞受賞された方々を随時ご紹介致します。
第30回 伝統文化ポーラ賞 地域賞
五所川原立佞武多委員会「五所川原の立佞武多の保存・振興」
川﨑瑞穂(博士・神戸大学特別研究員)
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「ねぶた」?いいえ。「ねぷた」です。
ここ青森県五所川原にて400年以上の長きにわたり伝承されてきた「五所川原の立佞武多」。「たちねぶた」と間違えて発音されることがありますが、正確には「たちねぷた」。青森県には「ねぶた」と「ねぷた」の両方が混在しています。この違いは一体何から来るものでしょうか。 各地域がもつ独特な掛け声の違いで分類されることもあれば、「立体的なものがねぶた/平面的なものがねぷた」と言われることもありますが、一つ確かなことは、青森市や下北地方では「ねぶた」と呼ぶことが多く、津軽地方では「ねぷた」と呼ぶことが多いということです。「弘前ねぷた」などはその好例で、扇形のねぷたが街を彩ります。
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闇夜を進む立佞武多
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ねぶたとねぷた。どちらも眠気をさそう妖怪を流す民俗行事「ねむりながし」に由来するという説が知られておりますが、財団の記録映画『ねぶた祭り―津軽びとの夏―』(1993年制作/34分)では、県内外のねぶた/ねぷたとその歴史が詳しく紹介されています。 毎年8月上旬(注1)に行われる五所川原の立佞武多祭り。闇を切って曳行される「佞武多」は夏の夜空に燦々と輝きます。熱き血潮を崇高さへと昇華するその光に、「父」のごとき厳しさと「母」のごとき優しさがこもる、そんな見ごたえのある祭りです。
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「鹿嶋大明神と地震鯰」(左)と「又鬼」(右) |
大型立佞武多 「纏」
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五所川原の立佞武多の起源は分かっていませんが、記録としての残るのは明治40年頃といわれています。古今東西、富とその蕩尽により聖なるものと交流するのが「祭り」の重要な役割ですが、この立佞武多も当時は「富の象徴」として、20メートルを超える立佞武多が制作されていたそうです。 伝統文化ポーラ賞を受賞した五所川原立佞武多委員会は、現在でも受賞時と変わらず、五所川原立佞武多祭りを主導し、地域の振興を支えています。
注1:2020年度は、新型コロナウイルスの影響で、例年通りの祭りが催行されないことがあります。詳しくは公式HPをご確認ください。
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”夕焼けに燃える立佞武多”
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五所川原商工会議所
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2020年05月25日
映画解説 vol.24
映画『蒔絵 室瀬和美 時を超える美』─
「自然に学ぶ」
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中畑 邦夫 (博士 哲学)
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 金粉を蒔く室瀬氏
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「自然に学ぶ」、漆芸家・室瀬和美氏が若き日に漆について学ぶ中で何度も耳にしたという言葉である。室瀬氏はいまだに、この言葉をいわば「一生の宿題」としてその意味を探求し続けているという。 室瀬氏にとっての「自然」とは、たとえば木や水といった具体的な目に見えるものを意味するのではない、という。それは、目に見えない力、エネルギーであり、自分の仕事はそういったものを受けることによって生まれた気持ちを、かたちにすることであると語る。 漆の上に金粉を蒔いて絵を描くことを基本とする蒔絵では、素材と、素材に対する作者の感性が重要である。この映画で制作過程が紹介される「蒔絵螺鈿丸筥『秋奏』」(まきえらでんまるばこ『しゅうそう』)はレッドオークの葉の上で遊ぶリスたちをモチーフにしたものであるが、室瀬氏はオークの葉を6種類の異なる金粉で、リスをヤコウガイで、そしてドングリを鉛とチタンで表現する。自然の世界に存在するものを素材として、オークの葉の上でリスたちが遊ぶ様子、つまり自然の世界の営みを、再現するのである。 ところで氏の自然観は、紀元前3世紀にキティオンのゼノン(BC335~BC263年)によって創始されたストア派の自然観を思い起こさせる。ゼノンは「自然に従って生きる」ことを主張したのであるが、ここで自然とは、やはり目に見える自然のものや目に見える世界のことではなく、人間をも含めたこの全宇宙を統一させている永遠にして不変の秩序・調和のことであり、理(ことわり)のことであって、自然の世界のあらゆる営みはその現われであるとされる。 西洋の歴史において、ストア派の思想は、文化を担う人々のあいだで基本的な教養として受け継がれてきた。日本では安土桃山時代以来、漆芸作品はヨーロッパの上流階級の人々のあいだで”Japan”と称され愛されてきたというが、もしかしたら彼らは、漆器の中にストア派の説く秩序・調和としての自然を見出していたのかもしれない。 さて、この映画で紹介される「蒔絵螺鈿丸筥『秋奏』」であるが、室瀬氏は実に驚くべき方法で、この作品に自然の世界のひとつの「要素」を取り入れた。それがなんであるのかは、ぜひともこの映画をご覧になってご確認いただきたいが、ただ、それは私たちが非常に慣れ親しんでいる、ともすればその存在を忘れてしまいがちな要素である、とだけ申し上げておく。自然の世界の営みを再現しつづけてきた室瀬氏は、新しい発想によって新しい要素を取り入れることによって、また一歩、自分の作品を永遠にして不変な自然の秩序・統一に、この映画のタイトルにあるように「永遠の美」に、近づけることに成功したと言えるであろうし、また、「一生の宿題」へのひとつの回答にたどり着いたと言えるであろう。
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 作品のモチーフであるリスをスケッチする室瀬氏 |
 ヤコウガイで作られたリスと 鉛・チタンで作られたドングリ |
 6種類もの金粉によって レッドオークの歯葉が表現される |
 研ぎ出しによって素材の質感が活かされる |
 ロンドンの博物館で 漆器のメンテナンスを指導する室瀬氏 |
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※「蒔絵 室瀬和美 時を超える美」(2017年制作/39分)

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