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お知らせ

2018年10月30日

 

秋祭りシーズン真っ只中。

日本各地で五穀豊穣を感謝するお祭りが執り行われる。当神社も例外ではなく、毎年9月15日に例祭を、そして第3土日には「日本のふるさと遠野まつり」と合同で神輿渡御と流鏑馬、そして市内の郷土芸能総参加(本年は42団体)の馬場めぐりを行っており、本年は近年まれにみる快晴に恵まれ盛大に執り行うことができた。
一日市南部ばやし横
当神社例祭の最大の特徴はこの「馬場めぐり」である。もっと言うならば、馬場めぐりを行うことのできる広大な馬場を有していることである。これは1661年、青森県八戸から遠野に村替えした南部直栄が造営したものだ。南端は220m、最大幅50m、一周450mという広大な芝生馬場は、日本広しといえども全国に二か所しかない。そのもう一か所である島根県津和野の「鷲原八幡宮」の馬場と比べると、当神社の馬場の特徴がさらに際立つ。
遠野太神楽
鷲原八幡宮は1568年、津和野城主が鎌倉の鶴岡八幡宮の馬場を模して造営したものとされ、最も古い形を残すものとして県指定有形文化財にもなっているが、この馬場は、直線が235mと流鏑馬の定法に従って造営されているところは共通するも幅は約半分の23mしかなく、中央に土手を設けて馬がめぐる形になっている。対して当神社の馬場は、中央ではなく南端に土手を設け、中央は広場とし、その広場をめぐる形になっている。
境内の様子

馬場めぐりとは、当神社のお神輿を中心にして郷土芸能団体がこの馬場をめぐることを言う。1762年に書かれた『遠野古事記』にも「祭礼毎年九月十五日に御定、(中略)毎年祭礼には馬場を御廻り被成候(おめぐりなられそうろう)」と書かれており、造営当時より馬場をめぐっていたことが伺える。つまり、多くの観衆が広場に集まり、流鏑馬や郷土芸能などを見物できるように設計されているのである。

細越獅子踊り
これには理由がある。遠野南部氏が八戸から遠野へ引っ越してくる前、統治者不在の期間が長かったため遠野は荒れ放題だった。それを何とかするために南部直栄が注目したのが「お祭り」なのである。前述したように、領内の人々が集まることのできる馬場を整備し、流鏑馬を奉納させ、神楽やしし踊り、南部ばやしといった芸能を踊らせた。なぜかといえば、集まることによって、人々の不満や不安が解消されるからである。嫁に出した娘に会えるのは一年でもこの日だけだったのかもしれない。お互いの近況を語り合って盛り上がり、また来年の再会を誓う。そのような士農工商を超えた領民が一堂に会する交流の場こそ「遠野郷八幡宮例祭」であり、南部直栄の想いが今に息づいているのである。
東禅寺しし踊り 上組町南部ばやし
馬場めぐりにはもうひとつ注目すべき特徴がある。それは「右回りで三回めぐる」ということである。遠野地方では、葬式の数珠回しは左に回す。つまり左に回すことは魂を「解(ほど)く」ことを意味する。これが「ホトケ」の語源であり、その逆に右に回すことは「結ぶ」つまり神様からの御霊を我が体に定着させる意味があるのではというのが宮司の説である。この説の真偽はさておき、お祭りに参加した方々の晴れやかな表情を見ると、たしかに神様からのご加護を頂いているのだということを、私は毎年実感するのである。
露店の賑わい

遠野郷八幡宮  多田宜史

昭和55年生まれ。岩手県遠野市出身。

遠野市松崎町に鎮座する遠野郷八幡宮の社家に生まれる。
平成15年 皇學館大学文学部神道学科卒業
同年4月遠野郷八幡宮に奉職
 『遠野物語』や河童など、民俗学で有名な遠野に鎮座する神社の神職として、文化の伝承・保存に関心を持つ。

 

なお、本日ご寄稿いただいた多田先生の著書『教訓で読み解く 遠野物語』は書店他、Kindleの電子書籍でお買い求めいただけます。

多田 本


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