2017年11月01日
私が笛を演奏させて頂いております三味線音楽(歌舞伎で使われている長唄や清元、常磐津など)では
篠笛と能管という二種類の横笛を使用しています。
このうち篠笛にはとても日本的な美意識が見て取れます。
材料になる篠竹(女竹)は細いまま節間が長く育つためとても笛の素材に適しているといえます。
間に節を入れないためスラリとしたすがたに仕上がり装飾もほとんどしません。
このとてもシンプルで飾り気のないものを我々日本人は端正で美しいと感じます。
しかも自然のままに竹の形をほぼ残すのでそれぞれに竹の皮などの模様があり自然な景色となります。
この様な偶然の産物として出来上がる部分をとても大切なものとすします。
また、長く使って参りますと指のよく当たるところが削れたり、
孔の面が自然に取れてきたり白っぽい肌色だった表面が飴色に変ってきたりします。
このゆっくりと変化していく様子も劣化とは捉えず、味わいが深まってきたと感じます。
新しく切り出してくる竹ではなく、煤竹という素材を使って作られることもあります。
この場合は変化を楽しむことが出来ませんが、既に百年単位で囲炉裏の煤によって
自然にゆっくりと出来上がった汚れのような模様をとても美しく面白いものと見て
そのまま楽器に活かして作るのです。
日本人は時の移ろいの中でゆっくりと変化していく全てのことを、
とても愛おしく美しいものだと感ずる感性を昔から持っています。
例えば分かりやすいところですと、桜の枝がほんのりと薄紅色になってくると、そこに美しさを見出し、
咲き始めると春の訪れに胸をほころばせます。そして、桜が満開になれば木の元に集まり、
さらに花びらの散る姿にも刹那の美しさを感じます。
また桜のように目で見て取れない何十年、何百年もかけてゆっくりと移ろっていく物、
寺院のような木造建築物や茶室、庭園、お茶のお道具にも時の流れが沁み渡り
味わい深いものへと変わって来た美しさを感じます。
現代は世界がぐっと近くなり、なにかと便利になりました分、時間の流れも速く世知辛い世の中と
なってきております。それゆえ常の生活の中ではこのような感覚をなかなか見ることが出来ません。
だからこそ日本の伝統文化にふれることは現代人にとって、とても大切で、
同時にとても必要なことになってきているように感じます。
「そんなこと言っても、難しい!」と思われる方も沢山いらっしゃるかもしれません。
でも、実はそんなに難しく考えないでください。
触れてみるととても自然に踏み込んでいけるものですよ。
そんなところになにかDNAの囁きを聞けるかもしれません。
福原 寛
平成4年東京藝術大学音楽学部邦楽科修士課程終了。
他ジャンルの演奏家(インドバンスリーの巨匠ハリプラサード・チャウラスィアー氏、
サムルノリの金徳珠氏、オイリュトミーの笠井叡氏など)や、語りや朗読とのコラボレーション など
様々な演奏表現にも積極的に参加。歌舞伎座外部協演者として、数々の歌舞伎座舞台で活躍。
国立音楽大学、東京学芸大学、国立劇場養成科などにおいて講師を務め、後進の指導も精力的に行っている。