2013年07月24日
【和をつなぐメッセージ】第6回 雨宮弥太郎さん(硯作家)
いま、伝統文化の各分野でご活躍の方々は、どのようなことを考え、取り組んでいらっしゃるのでしょうか。
「和をつなぐメッセージ」では、伝統文化の各分野の第一線でご活躍のみなさまが、そのわざをどのように未来へ「つなぐ」ことを考えていらっしゃるのか、共通の5つの質問Five Questionsを通して、等身大のご意見を伺っていきます。
和をつなぐメッセージは、季刊でみなさまへお届けします。
第6回は、硯作家の雨宮弥太郎さんからの
和をつなぐメッセージです。
雨宮弥太郎 Amemiya Yatarou
1961年 山梨県生まれ
1989年 東京藝術大学大学院修了(彫刻、美術教育)
1994年 日本工芸会正会員認定
1996年 日本伝統工芸七部会展 朝日新聞社賞
1997年 日本伝統工芸七部会展 東京都教育委員会賞
2006年 日本伝統工芸新作展 新人賞
2007年 伝統文化ポーラ賞 奨励賞
その他受賞多数
①最近のお仕事で印象に残っていること。
元禄3年以来、323年の硯の伝統をつないでいる。特に祖父11代静軒が犬養木堂翁の教示のもと硯を工芸作品として確立して以来、「和」の感性を大切に、代々時代を硯に表現してきた。私自身はここ何年か硯に現代的な形を与えるために粘りのある石質を生かした薄手のシャープな形に取り組んでいる。
昨年、工芸会の支部展で賞もいただき、自分の中でも転機となるフォルムだと感じている。当初、新しいイメージだと思って取り組んでいたが、ある時ふと、平成元年に初めて硯石を用いた個展をした折に同様の薄手の造形を意識した作品が何点かあったのを思い出した。当時はまだ頭の中で様々な形のイメージをうまく硯にすることができずに、硯展ではなく「硯石のオブジェ展」とせざるをえなかった。当時のイメージに、私なりに納得のできる硯の形を与えることができるまで、約20年の月日が必要だったということだ。私はやっと作家として、一歩を踏み出せたのかもしれない。そして今、あのころの向こう見ずなエネルギーをまた、作品の中に取り込んでいけたらと思っている。
◎写真左:硯制作の工房にて / 写真右:硯作品 古陽硯(奥)、悠想硯(手前)
②この道を歩もうと決心したのは、何歳のとき、どのようなきっかけでしたか。
子供のころから、手で物をつくる事が大好きで、自然に父と同じ藝術大学を志し、当たり前のように硯づくりに関わってきたので、いつ決心したのか、というような明確なポイントは考えつかない。
③One’s motto.(座右の銘)
Think globally Act locally
どんなに狭くとも、硯という世界にしっかり足場を固めて集中すること、そしてその充実のためにも宇宙全体、幅広い視野と好奇心を持ち、知的で柔軟な姿勢を失わないこと。
④伝統文化を未来へつなぐために、いま、どのようなことをなさっていますか。
硯は現在、必ずしも必要不可欠なものではなくなっています。そのため硯が現代社会の中でどんな意義をもつべきものなのか、そのイメージを再構築していく必要があります。今までのイメージにとらわれない新しい生活の中でのあり方を提案するよう、努めています。特に、硯はただ墨を磨るための道具ではなく、墨を磨る時間は心を鎮め、自分の内面と向き合う時間であること。そんな心の拠りどころ、魂のオブジェとしてのイメージを広めたいと思っています。
◎石川県輪島漆芸美術館講演会「石と向き合う~硯のカタチ~」にて講師を務める
⑤和をつなぐメッセージリレー
伝統文化の様々な分野の方が「つなぐ」をキーワードに、リレー形式で質問をつないでいきます。
☆第6回は、杵屋巳太郎さんから雨宮弥太郎さんへのご質問。
伝承が絶えてしまうことを、ふと不安に感じたりはしませんか。
☆雨宮弥太郎さんからのご回答
私は、どちらかというと比較的楽観的に考えています。日本語が絶えない限り、また自然に対する微細な感性を日本人が失わない限り、墨の表現に対する憧れが失われることはないと信じています。そして「和」の原風景の一要素としての硯も記憶から失われることはないと思います。もちろん、作り手が誇りを持ち、その価値を時代に応じてアピールし続ける努力を忘れてはいけません。
〔作品展のご案内〕
雨宮弥太郎 硯展2014年 1月29日(水)~2月4日(火)
東京 日本橋三越本店 本館6階 美術サロン