文字サイズ

  • 大
  • 中
  • 小

ここからコンテンツ情報

お知らせ

2019年02月12日


映画解説 vol.15

祭礼の部分的つながり

映画『月と大綱引き

 

川﨑 瑞穂(神戸大学・日本学術振興会特別研究員PD)

綱引き1

 

 

  今回紹介する映画『月と大綱引き』は、懐かしい思い出があふれてくるような、小学校の運動会の風景から始まる。綱引きの不思議な感触、匂い、砂ぼこり。あの日、劣勢であった私の陣営の誰かが「せーの!」と声を掛けたとたん、みるみる綱が下がっていき、逆転勝利となったことを思い出す。あの時ほど人の力が合わさることの恐ろしさを感じたことはない。「いまはゲームとして楽しまれていますが…」という意味深長なナレーションによって幕を開ける本作は、われわれが引いたその綱が、悠久の刻を越えて過去と現在を結ぶ「世界線」であったことを教えてくれる。

 

  本作では日本の綱引きとして、北から秋田県大仙市の「刈和野の大綱引き」、鹿児島県枕崎市・南さつま市旧坊津町・南九州市旧知覧町の「南薩摩の十五夜行事」、そして沖縄本島(沖縄県島尻郡与那原町)の「与那原大綱曳」を紹介している。また、比較対象として韓国慶尚南道(キョンサンナムド、けいしょうなんどう)の「霊山の綱引き」や中国湖南省の芸能、さらにはインド古代神話までも採り上げており、われわれに馴染みの深い「綱引き」というゲームが、いかに世界各地に広がっているのかを知ることができる。それぞれの綱はわれわれが引っ張ったあの綱の何倍もの太さ、長さであり、人数も運動会の比ではない。「なぜ海を越えて広がっているのか」「類似をどう理解すればよいか」「なぜ綱を引くのか」、本作は問いと仮説を謎解きのようにつないでゆき、スリリングな知的冒険を楽しませる。

 

  「比較」という手法には、材料を増やしすぎると一つ一つの情報量が減少し、一つにフォーカスしすぎると他の情報量が減少するという問題がつきまとう。どちらも全体の情報量は一定であり、大事なのはバランスであるが、本作では薩摩半島の事例を地区ごとにいささか詳細に辿っており、このマクロとミクロの情報量の調停が計られている。地区ごとの差異がわれわれに教えてくれるのは、綱の両サイドの陣営が「置き換え可能」であることだ。秋田県では地区同士の対決であったが、鹿児島県のある地区では子どもと青年、ある地区では男性と女性になっている。綱引きの行事において共通しているのは「要素」ではなく、「白/赤」といった二項対立の「関係」だということがわかる。

 

 本作のタイトルは「月と大綱引き」。採り上げられている綱引きには旧暦の15日、すなわち満月の日の行事が多く、本作は月への信仰と綱引きとの関係に注目している。ただ、綱引きを考えるうえでは同一性より差異が面白い。本作の冒頭と最後に紹介される秋田県の例は、いわば雪国の冬の綱引き(現在は2月10日)であるのに対し、鹿児島県や沖縄県の例は、いわば南国の夏(8月)のそれである。多彩なそれらの祭礼は、伝承地域の歴史や環境といったコンテクストからそれぞれ多様な意味を引き出しているが、「綱引き」というある一点において、他地域、あるいは他国の祭礼とつながっている。そのつながりはあくまで「部分的」なのであって、その部分的つながりを紡いでいき、部分的な他者とのつながりを見出していくこと、それが言外に語られた本作の狙いではなかろうか。

 

 

「与那原大綱曳」(沖縄県)

綱引き4

「刈和野の大綱引き」(秋田県)

綱引き3

「南薩摩の十五夜行事」(鹿児島県旧坊津町

綱引き2

網で作られる月の輪(旧坊津町)

※写真は、すべてポーラ伝統文化振興財団による撮影

 


  0924_001記録映画「月と大綱引き」(1990年制作/33分)
映画紹介はこちら
無料貸出はこちら

※次回は3月11日、「伊那人形芝居―明日へつなぐ伝承のチカラ―」をご紹介します。

 



  • ページトップへ戻る