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2018年07月18日

(第3回)すれ違う「復興」の意思を描く 映画『願いと揺らぎ』

  • たかが祭り、されど祭り

 宮城県南三陸町波伝谷(はでんや)では「春祈祷」といって、お獅子様(おすすさま)と呼ばれる獅子頭が全戸を廻り、悪魔祓いの舞を納めます。村人が操る獅子舞を、家内安全と繁栄を願う人々が笑顔で迎え入れる―きっと幾度もこの地で繰り返されて来たのでしょう。東日本大震災の翌年2012年も、途切れることなく行事は行われました。

 災害にめげず復活した地域の伝統の祭り。傍目からみれば、震災後沿岸各地でみられた感動的な光景のひとつです。しかし、それが人々のすれ違う意思のなかで生み落とされた苦渋の「復興」だったことを、我妻和樹監督の映画『願いと揺らぎ』は描いています。ーたかが祭り、されど祭りー生活のいっさいがっさいを流された人たちにとって、伝統とは一体なんなのでしょうか。波伝谷の人と祭りの震災前後12年に渡る記録から産まれた、この希有な映画は考えさせます。
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  • 羅針盤の喪失

 映画の舞台である波伝谷は、牡蠣・ホヤ・わかめ等の養殖が盛んな地域です。東日本大震災の大津波で集落のほとんどが壊滅し16名が犠牲になりました。もとあった約80軒のうち、40軒弱が現地での生活の再建に努めているといいます。この地には「契約講」と呼ばれる伝統的な互助組織が伝わり、古い家を中心とした合議で物事を決めながら、支え合って暮らしてきました。

 しかし大津波は、まとまりの強かったこの地域にも大きな混乱をもたらします。カメラは、集落の高台移転をめぐる住民のすれ違いや、復興のために行われた共同漁業での漁師同士の軋轢を捉えます。誰もが生活の建て直しに必死なあまり、ひりひりとした感情がぶつかり合ってしまう。まるで、地域の人々の行動の拠り所となっていた羅針盤のようなものが、津波で流されたかのようでした。

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  • 足並みの揃わない「復興」

 とりわけ、波伝谷になくてはならないという「お獅子様」の復興を巡って、人々の思いは交錯します。住民がいくつかの仮設住宅団地に分散するなか、お獅子様の村廻りもかつてのように行うことはできません。ありうべき「お獅子様」の姿をめぐって、各々の理想と現実がぶつかり合います。各々の出来る限りのことはやっている―、それなのに足並みが揃わない。復興を願う気持ちは皆同じなのにも関わらずーー。

 わだかまりを抱えたまま、とうとう祭りの日を迎えます……。

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  • 深い傷を覆う

 なぜ波伝谷の人々は、それぞれの思いがすれ違う程に、真摯に「お獅子様」の復興を願ったのでしょうか。筆者にはそれが、深い傷を覆う“かさぶた”のように見えました。傷が治るまでに膿んだりするかもしれない、あとには傷痕が残るかもしれない。だけど、かつてあった地域のつながりが恢復するまで、それは不格好ながらに傷を覆っているのかもしれません。

 この映画は、何年も経てば忘れ去られてしまうような小さな出来事を丹念に追った作品です。大震災発生直前までを記録した前作『波伝谷に生きる人々』(2014年)とともに、ぜひご覧いただきたいと感じる映画です。

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【作品情報】

『願いと揺らぎ』 監督:我妻和樹 /2017年/日本/147分

製作:ピーストゥリー・プロダクツ

 

公式サイト https://negaitoyuragi.wixsite.com/peacetree

予告編 https://youtu.be/BQwE0lhv0wo

 

掲載画像(C)ピーストゥリー・プロダクツ


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