文字サイズ

  • 大
  • 中
  • 小

ここからコンテンツ情報

お知らせ

2018年02月15日

 【地域社会における信仰民俗文化と風土 ―青森県津軽地方の川倉賽の河原祭祀を事例として―】

DSC_0524 死者(亡児)供養をする信仰祭祀に賽の河原霊場の例大祭があります。全国的な分布を示す賽の河原は、名称を示すだけや荒廃著しい実態が見受けられる反面、特徴的な信仰祭祀が現在も盛行している地域が確認できます。その存続の主体は地域住民であると言っても差し支えないでしょう。紙幅の関係で全貌を述べられませんが、現在も存続される事象について、霊場存立の多い青森県津軽の祭祀事例からお話をさせていただきます。
   

川倉賽の河原地蔵尊本堂

 
DSCN2247 青森県には霊場が点在します。国内的には下北の恐山が有名ですが、地域主体で継承する多くの霊場は津軽地方といえます。その中で、現在も特徴的な死者(亡児)供養が盛行するのは「通称:ストーブ列車」の津軽鉄道で有名な、青森県五所川原市金木町川倉に建立された地蔵堂を中心にした川倉賽の河原地蔵尊です。本堂に向かう坂道の両側には数多くの地蔵像が祀られてお菓子や果物の供物が置かれ、無数の赤い風車が亡者(子ども)を供養する情景として独特の様相を醸し出します。
参道の風車が寂しさと我が子を思う気持ちに溢れている。  
DSCN2243 写真は2011、2014年の例大祭の様子です。大祭へは供養の申し込みをして、近隣の寺から参勤した僧侶に「諷誦文(ふじゅもん)」の読誦依頼をすることで参加が可能となります。読経供養の後、本堂内陣裏の階段(ひな壇)方式に安置する供養者各自の地蔵像にお参りを済ませ、真新しい着物や帽子(頭巾)を着せ替えます。着物や帽子は、供養者の手製によるもので、同一のものは見かけないほど、様々な色柄・服地で縫製されています。この理由は子どもの頃に着ていたものを利用するということと、着物により、自分の地蔵を容易に判別するためです。このような、亡児供養は他に類をみない特徴といえます。

例大祭の参詣と地蔵像安置の様子

 
DSC_0460 もう一つの特徴は地蔵像です。像は亡くなった子どもの写真等で似せて、石工に彫らせるものがほとんどで、堂内と堂外(堂の周囲・参道)に安置されています。像の総数は二千体以上で堂内でも千六百体が安置されています。基本的には亡くなった子ども1人/1体でありますが、中には子ども数人/1体という像も見かけます。さらに亡児の実在化(擬人化)を求めて顔に彩色をします。これは、化粧地蔵と呼び国内各地に点在する習俗です。亡児供養の際立った特徴の最後に、供養で亡児との対話に介在するイタコの口寄せが重要な行事だということも挙げられます。

イタコによる口寄せの様子

 
DSC_0440

特徴をまとめると、この地は飢饉が頻発した地域で大勢の子供が亡くなった背景から、

  1. 「亡児1人/1体の地蔵像を写真に似せて造立」
  2. 「亡児の実在化(擬人化)を求めて顔に化粧を施す」

ということが特筆できます。また、「イタコの口寄せ」は、賽の川原で「死者(亡児)との再会と対話」という供養が重要不可欠です。以上の事象は、他の霊場には類をみない稀有な事例であり、地域の信仰民俗文化・風土だと考えることができます。

現代とは異なり、幼子が成人を迎えるのが難しかった時代・・・。愛する子が無くなった後も、その子のことを想い続ける・・・。人々の悲しくも温かい心が生んだ、日本の文化なのかもしれません。

亡児に擬人化した地蔵像と独自の着物・化粧

 

 

 

近石 哲(チカイシ サトシ)

2017年、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程修了。博士(歴史民俗資料学)。現在、神奈川大学日本常民文化研究所特別研究員として日本各地の仏教民俗研究を行っている。

 


ここからサブコンテンツメニュー


  • ページトップへ戻る