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お知らせ

2015年11月30日

【和をつなぐメッセージ】第15回 小波則夫さん(小波流 琉球きからじ結家元)

いま、伝統文化の各分野でご活躍の方々は、どのようなことを考え、取り組んでいらっしゃるのでしょうか。

「和をつなぐメッセージ」では、伝統文化の各分野の第一線でご活躍のみなさまが、

そのわざをどのように未来へ「つなぐ」ことを考えていらっしゃるのか、

共通の5つの質問Five Questionsを通して、等身大のご意見を伺っていきます。

和をつなぐメッセージは、季刊でみなさまへお届けします。

第15回は、小波流 琉球きからじ結家元 小波則夫さんからの和をつなぐメッセージです。

 

<小波則夫 Konami Norio プロフィール>

小波則夫_img

1925年  沖縄県平良市(現 宮古島市平良下里)生まれ

      本名 古波蔵 佐紀(こはぐら すけのり)

1945年  劇団 「翁長座」に入団。沖縄の初代女優陣の結髪を担当。

      身分や階級、男女、年齢に応じて微細に結髪に変化をつけ、

      また、この時期に、琉球士族男性の髪型であるカタカシラを独特の

      「中組カタカシラ」として創案し体系づける。

1959年  退団後は,琉髪の結髪師 『小波流』を名乗りその道に専念。

1992年  沖縄県立芸術大学で非常勤講師

      NHK大河ドラマ「琉球の風」床山師の結髪指導。

2006年  国立劇場おきなわ組踊伝承者養成コースの講師として結髪、扮装法を指導。

      (現在継続中)

2011年  国立劇場文化講座企画「琉球のきからじ~小波則夫の技~」結髪、着付の実演

 

<主な受賞>
1996年  沖縄タイムス芸術選賞 功労賞

1998年  第4回ニッセイバックステージ賞

2002年  第22回伝統文化ポーラ賞優秀賞

      沖縄県文化功労者表彰(県教育委員会)

2008年  第15回島袋光裕芸術文化賞

2013年  平成25年度沖縄県文化功労章(「伝統芸能・工芸部門」)

 

<認定>
平成20年(2008年)  国選定保存技術「結髪(沖縄伝統芸能)」保持者認定

 

<叙勲>
平成22年(2010年)  旭日双光章拝受

 

<主な著書>
「きからじの世界」(芸歴50周年記念誌、結髪教本)
「小波則夫の着付け」(ビデオ教本)

 

<記録資料>
国選定保存技術「沖縄伝統芸能」結髪記録製作
(平成21年より「きからじの世界」DVD,リーフレットNO.1~6まで制作中)

 

①最近のお仕事で印象に残っていること。

2011年(平成23)に、国立劇場おきなわ伝統芸能公開講座の一環として開催された「琉球のきからじ~小波則夫の技~」の依頼です。講座では、琉球大学教授大城學氏による解説のもと、組踊や琉球舞踊、沖縄芝居に不可欠な結髪や着付を実演致しました。王国時代より日常生活の中に伝わった結髪や着付法と舞台芸術に見る技法との違いを紹介する取り組みは初の試みとなり、多くの芸能実演家や一般の参観者に、伝統文化における扮装の位置付けを理解して頂く良い機会になりました。

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選定保存技術映像記録NO.6より 若衆の髪型(丸結)

 

②この道を歩もうと決心したのは、何歳のとき、どのようなきっかけでしたか?

1945年(昭和20)、戦争で親を失った私は、自活を余儀なくされました。もともと芝居が好きでしたので、終戦直後すぐに、八重山からきた劇団に入団。15歳でした。結髪人生はその時から始まりました。生来、細身で小柄な体型と手の器用さが幸いし、劇団では女形を勤める傍ら、先輩の結髪を見よう見まねで学びました。入団1週間ほどで、劇団員の鬘をすべて任されるまでになり、琉球髷だけでなく大和芝居の日本髪なども結い上げておりました。この時期、戦争による男性役者の不足から、男性に変わる女優の台頭に伴い、男役をする女優のために中組カタカシラ(男性の髪型)を考案。さらに美しさを強調するため、かつら結い技法によるイナグカラジ(女性の髪型)を考案しました。これらの結髪法は広く普及し、今日多くの舞台で活用されております。

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選定保存技術映像記録NO.6より 若衆の髪型(丸結)

 

③座右の銘は。

「従蘭二青(じゅうらんにしょう)」― 私が最も好きな言葉です。「青は藍より出でて藍より青し」と教えるこの言葉は、弟子を育成していくうえで、私が最も心掛けている指針です。多くの弟子たちが、私を凌ぐ技術者として成長することを祈り、指導しております。

 

④伝統文化を未来につなぐために、いま、どのようなことをなさっていますか?

幸いなことに私は、戦前の舞踊家や芸術家の舞台を観る機会を得、また舞台経験も積んできました。戦後は芸術祭や芸能コンクールの受験者たちの扮装(結髪・化粧・着付)を一手に引き受けてきました。戦前から戦後にかけて変遷する扮装法をみてきた者の責務として、常々その記録を残したいと考えておりました。2008年(平成20)、国選定保存技術保持者「結髪(沖縄伝統芸能)」の認定を頂き、現在、保存技術記録映像として舞台扮装の変遷について、資料作成に取り組んでいるところです。また、公益財団法人国立劇場おきなわ運営財団伝統芸能伝承者養成研修(組踊)の講師として,扮装法の基本を指導しております。

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記録制作 結髪(沖縄伝統芸能)リーフレットシリーズ

 

⑤和をつなぐメッセージリレー

伝統文化の様々な分野の方が「つなぐ」をキーワードに、リレー形式で質問をつないでいきます。

 

☆ 第15回は、石田知史さんから小波則夫さんへのご質問

沖縄は一度米軍に占領され、また、ご自身にも戦争により様々なご苦労があった事と拝察されます。沖縄が、そのような状態でしたのに、消滅を免れ、文化の継承とはなぜ可能だったのでしょうか。

 

☆ 小波則夫さんからのご回答

石田様、ご質問有難うございます。 おっしゃる通り、京都では土地柄もあって髪結いを生業とされる方々がいらっしゃいますね。沖縄で戦後、髪結いを生業にしたのは、私1人だけでした。今では多くの方がおられます。嬉しいことです。 沖縄(琉球)を形容する言葉に"歌と踊りの島"という表現が使われて久しくなります。元来、沖縄(琉球)の芸能は祭祀から発達し、生活のあらゆる場面で芸能が営まれ、育まれてきました。歴史的にも見ても琉球王国では明・清国の使者を歓待するため躍奉行職が存在したほどです。 70年前、人も物もすべてが灰燼と化した地獄の沖縄戦の時でさえ、苦しい収容所生活の中で沖縄人(うちなーんちゅ)は芸能を求めました。誰からともなく空き缶(沖縄方言:カンカラ)を胴に見立てた「カンカラ三線」が鳴り響き、戦争の嘆きも悲しみさえも唄や音楽に乗せる沖縄人(うちなーんちゅ)の心には、慣れ親しんだ芸能に唯一の光明を見出し、安寧を託す思いがあったのです。沖縄人(うちなーんちゅ)には、歌や踊りが心の底辺にあり、共に生きている島なのだと思っています。   アメリカ施政県下、地元新聞社である沖縄タイムス社主催の芸術祭(1954年第1回開催、現在まで継続中)や琉球新報社主催の琉球古典芸能コンクール(1966年第1回開催、現在まで継続中)も開催され、芸能復興の大きなきっかけになりました。今日の伝統文化の発展、継承はこのような取り組みも要因となり、沖縄人(うちなーんちゅ)の芸能熱に拍車がかかったことも事実です。

 



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